2
屋敷に帰るとなにかと諫めようとしてくる家臣をおしのけ子供の手当を強行した。子供はもともと栄養状態が良くなく、容態が安定するまで四日かかった。
四日目。私は子供の容態が変わったときにすぐに気づけるよう、病室に書類を持ち込んで仕事をしていた。しかしいつの間にか書机に突っ伏して眠ってしまい、次に目覚めたときには忍の子供が目を覚ましていたのだ。
「あ、起きたんですね。良かったです」
「……あんた、なに」
忍の子は純粋な日本人には珍しい鮮やかな赤茶色の髪の、容姿の整った少年だった。しかし暗い茶色の瞳には疑心と殺意が宿っている。私より確実に年下だろうに、やせた身体には消えない傷跡が無数に刻まれていた。
彼の姿は、私が目をそらし続けた業そのものだった。
「私は……、この領を預かる香耶と申します。戸沢さんから聞いたことありませんか?」
「あんたがあの、姫殿……?」
「そうです」
私はごまかすことなく身分を明かした。少年は虚を突かれたような顔をしたがすぐに無表情になる。
「逃げきれなかった俺を始末せず手当てした理由をお伺いしても?」
「落ちてたあなたを拾ったからです」
と言ったら少年がまたいぶかしげな顔をした。私はそんな彼に、にこりとしたたかな笑みを見せた。
「戸沢さんがいらないなら、私がもらっても問題ないですよね。私は戸沢さんの上司ですから機密の漏洩の心配もありませんし」
「……」
落ちてたものがまだ使えそうだったから直して使うのだと、わざとそんな言い方をすれば、少年は黙り込んだ。ここで私が「目の前で傷ついてる人を放っておけなかった」とか「忍だって尊い命を持った人間だ」とか口にしたって空々しい綺麗事だ。私は忍の里でなにが行われているのか知っていて、保身のためにそれを利用し続けているのだから。
私は彼にとって、憎むべき存在にも等しい。これで彼に寝首をかかれるのであれば、それは私の咎の報いなのだろう。
「私が治ったと診断するまでこの部屋で寝てください。私の長刀と短刀をお貸しします。もし万が一追い忍の襲撃があるようでしたら、私が駆けつけるまでこれで応戦してください」
言いながら書類を片づけ、脇にあった水差しから湯呑みに水を注いで少年に渡す。少年は警戒しながらも水を飲み干し、そして力つきたように布団に横になった。
「私がいては休めないでしょう。これで失礼します」
「……居て、いい。居て……ください」
立ち上がろうとすると呼び止められた。そのことを意外に思って少し混乱する。視線を向けると少年はすでに昏々と眠っていた。
少年が目覚めてから五日。未だ彼の病室が私の執務室になっていた。
少年は病床にあってもあれが欲しいとかなにがしたいとか口に出すことはほとんどなく、執務中彼の存在を忘れるほど静かだった。
元から物静かな性情なのかと思えばそうでもないようで、私が話を振れば一転して少年はよくしゃべった。
「西国はもっと暖かいんじゃないんですか?」
「姫殿ってほんと箱入りですね。あったかいっていってもこことそう変わりませんよ。せいぜいつもる雪の厚さの違いです。冬に野宿なんて凍死しちゃいますって」
「やはり寒い時代なんですね。おかげで目立った疫病はありませんが不作続きで……一長一短ということなのでしょうか」
「俺は寒いより暑いほうがいいです」
「私もそう思いますが……」
はじめは手探りだった距離間が、日々を過ごすうちに定まってきた。
「姫殿、それは?」
「飴です。忍衆は昔から秘密裏に渡来人と貿易をしておりまして、私が継いでから少々無理を言って、寒冷な気候でも育つ糖料作物の種子を仕入れてもらいました」
「とうりょう作物……?」
「要するに領内で砂糖を作っているんです。こちらはその試作品」
言いながら、私は少年の目の前で平たく作った飴をぱきりとかじる。そして残った部分を彼に差し出すと、少年は困ったような表情をした。
「姫殿が俺のために毒味してどうすんの。ふつう逆でしょう」
「原料の砂糖の毒味はすませてありますし、飴は私の手製です。ならば飴の毒味は私がしなければ意味ないでしょう。ごたくはいいから食べなさい」
と、少年の口に飴をつっこんだ。彼は目を白黒させたが口の中の堅い飴を持て余して私に視線を向ける。
「ひめとの、これどーすればいーんれすか」
「なめていればそのうち溶けてなくなりますよ。かみ砕いて飲み込んでもいいです。口に合わなければ縁側の外に吐き出してください」
すると少年はもぐもぐと口の中で飴を適当に割り、無くなるまでなめることを選んだようだ。
「味の感想を聞かせてください。今後の参考にしますので」
「……すごく甘くて、くせになりそう」
気恥ずかしげに口を動かす少年の反応を見て、甘いものは苦手じゃなさそうだと安心した。
夜になり、私は自分の寝室に戻ってから一人の忍の名を呼んだ。
「戸沢さん」
「……ここに」
戸沢さんには手紙を出してわざわざ館に来てもらった。少年の事情もある程度伝えてある。
「私は彼を私付きの忍にします」
「忍衆への恐れを克服されたのは良きことにございましたが、あれはまだ未熟です。姫様には里で一番に腕の立つ者を」
「いいえ。私はあの少年でなければいやです」
忍は今でも怖い。血を見るのも、争うのも、裏切られるのも怖くてたまらない。
それでも、私が目を逸らさずにいるだけで、拾える命があるのなら。
微力でも、戦おうと思えた。
(2015/02/28)
← | pagelist | →