雲城
それは、私がまだ五歳くらいのとき。
お寺の森で大きくて黒い鳥を手当てしたことがある。鳥は首の後ろあたりを何かに引っかけたようにパクリと切っていて、真っ赤な血を流していた。私は鳥の血を着物の袖で拭い、血止めにヨモギの生葉を噛んで傷につけた。本当は布を巻いたりしたかったが、この鳥が野生なら邪魔だろうとこの場で止血するだけにとどめる。
逃げるでもなくおとなしくしていた鳥は、手当てが終わるとすぐにどこかへ行くような素振りを見せた。

「もう行っちゃうの? だいじょうぶ?」

心配そうに言う私に、鳥は会釈するように頭を下げて、そして大きく羽ばたき飛んでいった。



平成時代に一度死んだ私が転生し、新たに生まれた先はなぜか戦国時代。田舎の豪族の一人娘だった。
地元は山と田畑に囲まれたのどかなところで戦乱の影はなかった。が、少し遠くではどこどこの里が焼き討ちにあったとか物騒な話を聞く。安穏と暮らしていても、やはりここは戦国時代なのだ。

十歳の時、私は父に呼ばれ屋敷の広間で対座した。私の性別が女であるためか、父と顔を合わせることは滅多にない。気むずかしく融通の利かない父と面と向かって話をするのは、精神年齢が大人の私でも緊張するものだった。

「香耶。そなたは毎日部屋にこもって怪しげなからくりの図画を描いてばかりいるそうだな」

「怪しげなからくりではございません父上。これは上水道の構想で、こちらは脱穀機の図面です」

「やめよ。そなたの仕事は諸芸を極め、いずれ有力な家に嫁ぐにふさわしい振る舞いを身につけことだ」

「……もうしわけありません」

私は父に頭を下げた。ここで「でも」と反論したところで窮屈な生活は改善しない。むしろ改悪する可能性の方が高い。私の年齢はまだ親の庇護を必要とする子供。ここはこらえ時なのだ。
いずれこの父の言うとおり、私はどこかの武将の元にでも輿入れして、子を産んでのちに安閑の時を過ごすことになる。やりたいことをするのはそのときでいい。

──と思っていたら流行病で親や親類、嫡男だった従兄弟までばったばったと亡くなってしまい、数えで十三で私がお家を継ぐことになってしまった。
それはいい。まだいい……のだが。継いだのは家や土地、使用人や小作人たちだけではなかった。

「姫様。忍頭の戸沢でございます。こちらの報告書にお目通しを」

「あ、はい」

なんと私の家はいくつかの忍の里の総元締めだったのだ。
そんなお家の裏の顔とか継いでから初めて知った。正直頭を抱えた。百姓の元締めならまだしも忍衆の元締めなんて、どう扱ったらいいのか皆目見当がつかなかった。
私の代わりに実質的に忍衆をまとめている戸沢さんから手渡された書類の束を前に、私は重くため息をつく。

「……これじゃあお飾りの当主だ」

忍の斡旋事業はいわゆる人身売買と同じだった。この時代ならそんなこと珍しくもないことかもしれない。だけど、平成で価値観を養いそれを捨てきれずにいる私には苦痛の家業だった。
貧しい農民がはした金で売った子供や浮浪児を集めては、暗殺術をたたき込み拷問の訓練を施す。戸沢さんに頼み込んで見せてもらった現実のそれは、目を覆いたくなるほどの陰惨なもの。死んで当たり前の世界が、こんなに近くにあったなんて、知らなかった。

私は忍が、忍の里が怖かった。



鬱屈とした気持ちを抱えたまま、家を継いで一年半ほどが過ぎた。

「村長、今年の稲はどうですか?」

「これは姫殿様。近頃の気象でよその村はどこも不作でしょうな。でもうちは姫堤と新しい肥料のおかげかまだそれなりの収穫が見込めそうです」

「これも姫殿様がご領主になられたおかげですなぁ」

「良いご領主に恵まれて、ワシらも安心して畑ができます」

「それはよかったです」

この日、武術の心得のある馬丁をひとり連れて、私は馬を駆って所領の視察にきていた。農村では領民たちがまだ若い私を「姫殿」と呼び慕い迎えてくれる。
飢饉の多いこの時代、私は平成の知識をフル活用し農業改革に力を注いでいた。基本的に質素な暮らしで満足している私は、年貢を浪費することもなく領地に還元し、順当に農地経営を軌道に乗せている。
しかし、裏家業だけは忍頭に任せきりで、私はいっさい携わってこなかった。

「……ここは戸沢さんの隠れ里の近くですね」

何の気配もない鬱蒼とした森林に目線をやる。この山の奥に忍が忍を育てる里がある。森の暗さはそのまま私の後ろ暗い部分のようで、すっと目をそらした。
農地の収穫が良くなっても忍の里は手放せない。私の領地に戦の影が届かないのは忍の斡旋業のおかげなのだから。
農地の視察を終え、馬丁とともに帰路に就く私の目線の先に、人が行きだおれている姿があった。

「姫殿!」

馬丁があわてる声を背に、私は思わず駆けだした。倒れているひとは子供だった。

「大丈夫ですか?」

声をかけるも反応はない。が、息はかろうじてあった。草色の衣服はぼろぼろで、いたるところに血がにじんでいる。特にひどいのは背中を袈裟掛けに斬られた傷だ。私は自分の着ていた羽織の裾を懐刀で切って、残りの布を傷口にあてがい切った布できつく縛る。

「……姫殿、そのものはおそらく忍の里を逃げ出した子供でござりましょう。そういった者は処分されるのが里の掟」

「それは里の情報を外部に漏らさないためでしょう。忍衆の元締めである私が連れ帰るのだから問題はないはずです」

屁理屈をこねて馬丁を黙らせ、私は忍の子を馬に乗せた。はやくちゃんとした手当をしないとこの子は死んでしまう。

「その子供ひとり助けたところで、里では何人もの子供が毎日拷問死して捨てられているというのに……」

馬丁の嘲るようなつぶやきに、私は聞こえないふりをして無視するしかできなかった。

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