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月神香耶side



すうはあすうはあ。
深呼吸で緊張を紛らわす私を見て、佐助君があからさまに不安そうな表情を向けた。

「大丈夫かよ。そんなんで隠密行動なんてできるの?」

「心外だな。隠れるのはわりと得意な部類なんだけど。ほら、寝てるとき物音たてないから、探されたり死んでるとか思われたりすることがざらにあるし」

「なにそれ無駄に高度」

でも寝てるときだけじゃ役に立たないぜ。と、ごもっともな意見。
ここから先は実戦でお見せしましょう。

元治二年、二月。この日の夕方は空が晴れ、赤く燃えるような夕日が拝めた。私たちがこの世界にきておよそひと月。こんなに晴れ渡った夕焼けをみるのは初めてだ。
私と佐助君は新撰組の屯所を、少し離れた建物の屋根上から眺めた。

「逢魔が時か……」

「ずいぶん不吉じゃねーの。蝶々の旦那に感化されてるんじゃない?」

「それもあるかもね」

今日、ここで不吉なことが起こることはわかっている。
なんとなく屯所全体がぴりぴりと危うい雰囲気に包まれているような気がした。眼下で沖田総司が八木邸を出て、道向かいにある前川邸へと入っていくのが見える。
チャンスだ。

「行こう、佐助君」

「はいよ」

私たちの身は夜の炎に包まれ、音もなくその場から姿を消した。



あれこれと悩みはしたが、結局私は関わることを選んでしまった。
ただし、私と佐助君がこの日八木邸に忍び込む目的は、山南敬助を羅刹化から救うためでもなければ変若水を破壊するためでもない。事の顛末を見届けるためだ。
私には「状況に応じて好きに動けばいい」と紀之介君から言質をいただいている。BASARAの世に帰るための手がかりっぽいものが見つかったら、とりあえず首を突っ込んでこいということ。
佐助君の任務は私の護衛……且つ監視。……この期に及んでまだ私が沖田総司と駆け落ちでもするとか思われているのだろうか。
もちろん来ているのは私たちだけではない。不測の事態に備え三成君と紀之介君も外に待機しているし、私たちの行動に基本ノータッチの千景君たちも、おそらくはどこかから私たちの様子をうかがっているだろう。彼らが動くような事態にはならなければいいのだが。

ショートワープと移動を繰り返しやってきたのは八木邸の広間。ここで知った声音を耳が拾い、私たちは気配を殺して隣室のふすまに張り付いた。

「こんなものに頼らないと、私の腕は治らないんですよ!」

敬助君の声だった。

「私は最早、用済みとなった人間です。平隊士まで陰口をたたいているのは知っています」

「そんなことはありません!」

声を大にして反論したのは、千鶴ちゃんだ。
明かりの漏れるふすまの隙間から中を覗くと、敬助君と千鶴ちゃんが対峙しているのが見えた。敬助君の手には、禍々しい血色の液体の入ったびん。人を羅刹に変える薬……変若水である。

「みんなも、優しい山南さんのことが好きです。なのに自分は用済みだなんて、そんなこと言わないでください……!」

「──剣客として死に、ただ生きた屍になれというのであれば……人としても、死なせてください」

敬助君の気持ちもこうするしかないってこともわかる。それでも、彼の冷笑を見て、私は歯がゆい気持ちになった。羅刹になってもこの世界の敬助君を不老不死にする事はできない。条件がそろっていないためだ。
なおも千鶴ちゃんが必死に敬助君に食い下がると、彼はそんな彼女に小さくため息をついた。

「……どうして君が必死になるんですか? 私の事なんて放っておいてください」

彼の口調がかすかに和らぐ。心配するな、とでも言いたげに微笑んだ。

「成功すれば、私の腕も治ります。さして分の悪い賭けではありませんよ」

それに千鶴ちゃんは泣きそうな表情で首を横に振って。
そうしてこう、声を張り上げた。


「助けてくださいっ、──香耶さん!!!」


その叫びに、驚くより先に私の身体は勝手に反応した。
敬助君がその血のような薬をあおろうとした瞬間、彼の手を、私が鞘付きのまま投げ放った“狂桜”が弾きとばしたのだ。
変若水のびんは壁に叩きつけられて、床に転がって中の液体がこぼれた。

開けたふすまの前に立つ私と佐助君を、山南敬助は鋭い目線で警戒する。対して千鶴ちゃんは、信じられない、といった風情で目を見開いた。

「うそ……香耶、さん」

「……千鶴ちゃん、前を覚えているんだね」

隊士たちは前世の仲間とはある意味別人。きっと辛い思いをしただろう。そう言うと彼女は声を詰まらせ涙を流しながら首を横に振った。

「佐助君、山南敬助を連れ帰る。拘束して」

「え!? ……はいはい」

佐助君は私の言葉が完全に予想外だった様子。私だって本人を目の前にするまでは、こんなことをするつもりはなかったのだけど……。

羅刹でも幻術師でもない、片腕の敬助君を捕らえるのは、彼にとって造作ないことだ。敬助君を当て身で昏倒させた佐助君は、崩れ落ちる彼の身体を肩にかつぎ上げた。
私は部屋の端で自分が投げた刀を拾って腰に戻す。と、そのとき広間の中ほどにいた佐助君を狙って、鋭い斬撃が閃いた。
ちょうどふすまに注意を向けていた私はいち早くそれを察知し、身を低くして鯉口を切りながら彼らの前に躍り出た。

「香耶!?」

きぃん、と耳障りな音が響く。
私は乱入者と刃を打ち合わせ、いなしてすぐに間合いを取る。佐助君もあわてて身を引いた。

「沖田、総司……」

「へぇ。意外にやるね、香耶ちゃん」

乱入してきたのは沖田総司だった。彼は千鶴ちゃんを後ろに下がらせ、私に向き直って好戦的に目を細める。
……そういえば、前の世でもここに最初に駆けつけた隊士は総司君だったか。失念していた。
でも大丈夫。私は落ち着いている。そしてここに総司君がきたことは、むしろ今の私にとって好都合だった。

「……変若水なんて、可能性を預けるに値しない。山南敬助を救うのは、こんな薬ではなく新選組の仲間であるべきだ」

私がそう言えば沖田総司の顔から笑みが消えた。

「新選組に関係のない君が、知ったようなことを言わないでくれるかな」

思わず胸を押さえる。彼の言い分はもっともだ。
私はその言葉を振り切るように総司君から距離をとって、敬助君を担いだ佐助君に並んだ。

「山南敬助は、この私、月神香耶が預かる。新選組に彼を取り戻す意志があるのなら、沖田総司ひとりで迎えに来い。私たちは近江で待つ」

「!」

言うやいなや私たちの周囲を包む夜の炎。追いかけようとしていた総司君が目を見開いて足を止める。その後ろで千鶴ちゃんは私と目配せを交わし、強い瞳でうなずいた。山南さんをおねがいします、と。

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