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月神香耶side



この世界の沖田総司を見て、私の夫だったひとを思い出してしまうのはしょうがない。
なにしろ亡夫はパラレルワールドの沖田総司。見た目だけならほとんど同一人物だ。
だけど、彼は私を『香耶ちゃん』なんて呼ばなかったし、私を見つめる翡翠の瞳はいつも優しくて穏やかだった。培った思い出たちは、彼と私だけのものだから。



「ぬしは不幸よな」

普通にしてれば誰もこないような夜の庭園の池の桜の木の上でぼおっと膝を抱えていたところに、急に声をかけられると心臓に悪い。真冬の池に落ちたところで心臓麻痺、なんてことには絶対ならないにしても。

「紀之介君、びっくりした」

「そのわりにはピクリとも動かずさえずるわ」

「枝を傷つけたくなくて」

紀之介君は輿に乗って同じ目線の高さまで上がってきた。

「その情こそが月君をも病ませるに足る凶事か。妬ましや、妬ましや……」

彼が妬ましいのは。桜の枝か、それとも別の何かだろうか。
私は黒い雲を掠める月を見上げ、はぁ、と白い息を吐く。

「ねえ、寒いからそっちにいっていい?」

「はて、ぬしがそのように甘えるとは珍しきことよな。さては酩酊しているな。また軍師殿にこっぴどく叱られよう?」

「君ってやつは不穏なことを嬉しそうに……。酒は飲んでいないから叱られはしないよ」

「存外ぬしは鈍いな。これがかの今孔明すら陥落に手こずる金城鉄壁か。ヒヒッ」

愉快よ愉快、と哂う紀之介君の言葉にはいまいち理解ができなかったが、拒絶はされていないと勝手に判断して私は桜の枝から彼の座る輿へと飛び移った。他人に触れられたり、視線にさらされたりすることを基本的に嫌う紀之介君だが、私が見たり触れたりすることに関しては今さらなので文句も言わない。彼の治療は彼が子供のころから、私と敬助君のふたりがかりで手を尽くしてきた。

「ひらり、ひらりと枝から舞い落ちるは狂い桜の咲きぞめであったか」

「それは皮肉かな。とわに生きる私を桜に例えるなんて」

「惰弱なぬしにはせいぜい桜が似合いよ。月では誰の手も届かぬであろ」

「……なるほど」

私の腰に手をまわして支えてくれる彼に、くすりと笑った。しかし月もアレだが桜もたいがい身に余る。

紀之介君の横に少しだけスペースを開けさせ、ぴたりと寄り添うように私はそこに収まった。彼の操る輿は私たちを乗せ、ふわふわと庭園の眺めのいいところを彷徨う。
すでに月は隠れてしまった。今日の夜空も曇天である。


「盟王が手塩にかけた花冠とて、いずれ地に堕ち泥土にまみれ朽ち果てよう。この世の動乱が良き例よ」

「泰平の在り方は移り変わる。未来永劫すがたを変えないものなんてつまらないだろう?」

きっとまた新しく咲き誇る。

「ヒヒヒ、たしかに盟王のおっしゃる通り。ではわれは乱世を果てなく延ばす為に力を尽くそう」

「乱世はただの過程だよ紀之介君……。けれど君がもし本当に果てない変乱を望むなら、私のもとに来るといい。私自身はすがたを変えないものだけれど、この身の傍らは退屈しないと自称混沌のお墨付きだからね」

「誰よりも平穏を望みながら自ら禍をしょい込むと言うか。まこと酔狂、まこと不幸よ」

紀之介君が豊臣から月神に鞍替えする可能性は低い。なんだかんだで彼もまた忠義や友誼に厚い人物だ。史実の大谷吉継がそうであったように。
あちらの世界に残してきたみんなの顔を思い浮かべていると、紀之介君が私の頭に手を添えて後れ毛を撫でおろした。そんなぎこちない愛撫をゆるゆると繰り返す。


「ふむ……むずかる姫君を眠らせるは容易ではないな。われにはあの術師殿のような夢幻を操るすべは持たぬゆえ」

私が眠れないとわかっていたようだ。
あの紀之介君が心配してくれているんだと、うぬぼれてもいいのかな。

「その胸に居座る情などするり払い落してやろう。ぬしはあちらの世のことだけ考えていればよいのよ」

「……君が言いたいことが今やっとわかった気がする」

紀之介君は回りくどくて解りづらいし嘘も平気でつくけど、案外自分の感情に素直だった。相手にもよるかもしれないが、少なくとも三成君や私の前では。

そうだ。こんなところで二の足を踏んでいる場合じゃない。私は帰ることにだけ集中しなければ。

「不安にさせてごめんね。帰りたくないわけじゃないんだよ」

「よいよい。凶運にひたるぬしはいじらしく愛くるしい」

「それは褒めてるんだよね? ……なんだか怖いな。良くないことが起こりそう」

「ぬしもなかなかの毒舌よな。調子が戻ってきやったか。ヒヒヒッ」

繰り返される拙い愛撫と、ふわふわと地に足のつかない感覚に、私はゆっくりとまぶたを下ろす。
自分で思っていたより精神的に疲れていたのかもしれない。
ぐだぐだと考えこんで眠れなかったのが嘘のようにストンと意識を失い、翌朝、布団の中で目を覚ましたのだった。

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