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猿飛佐助side



煩わしいと思う。
香耶のこころを煩わせるものが。

“幕末”の世に来る前から、香耶の中には消えない誰かが巣食っていることは分かっていた。
信繁さんや重虎さん、あの混沌でさえ彼女を特別視しているのは丸分かりだし、凶王、豊臣の軍師、独眼竜、風の悪魔まで、程度の差はあれど日ノ本屈指の武将共が香耶ひとりを恋い慕っている。だけど甘い言葉をささやかれると相応に照れたり戸惑ったりするものの、香耶の心はかたくなだった。
才歳が月神軍に合流した後、たまに香耶が懐かしそうに目を細めるようになった。才歳や千景君の前世に、香耶は心を置いているんだと。気づいたのはきっと、俺だけじゃない。

だから“幕末”に来て、新選組と対峙して、無性に焦った。香耶の視線も意識もひとりの男が独占していて。
元の世界にいた時には全く隙のなかった香耶が、今は隙だらけに見えた。



「沖田総司の代わりに、俺があんたの心を埋めてやるよ」

瞠目した香耶の目に映ってるのは、卑怯な忍の猿飛佐助か、それとも。

「忘れろなんて言わない。……でもあんたは」

幸せになっていい。
楽をしていい。
踏みとどまったって、堕落したって、その選択を誰が責められるって言うんだ。
だから、俺様に身を任せてみろよ、ってね。

そんな冗談みたいな本気のセリフに、香耶は瞬きをひとつして表情を緩めた。

「君を亡き夫の代わりにはしないよ。それは、総司君にも佐助君にも失礼だ」

「……俺様がいいって言ってるのに?」

「私がいやなんだよ」

そう、薄く笑ってまぶたを伏せる。

だったら。
だったら、香耶が欲しい俺は、どうすればいいのだろう。

凍える縁側に足を崩して座る彼女に、俺は近づいて、逃げられないようにその細い腕を引いた。

「無理やり抱いて、奪って、閉じ込めるしかないよな」

「……それもまた随分と乱暴な策だね。君らしいけど、お勧めはしないよ。私を物理的に束縛することに意味はないもの」

俺らしい、って。ま、確かに緻密な策をねったりするのは苦手だし、そういうのってそもそも戦忍の領分じゃない。
唇が触れあいそうなほど至近距離まで顔を近づけても、香耶は逃げもせず大人しい。

なぁ、あんたの目には今、誰が見えてる?

「約束をした。他の誰をも総司君の代わりになどしないと。だから、私とともに生きた総司君は、総司君ただ一人。この世界で生きる沖田総司とは別人だし、とうぜん猿飛佐助とも別人だ」

その言葉に、俺は虚を突かれる。こんなのもう、負けが見えてるじゃないの。
香耶はそんな俺の心の内を読んだかのように言葉を紡いだ。

「あ、でも、私がこんなことを言うのもなんだけどさ、もう生きてはいないたったひとりに操を立てて貞操を守っているわけではないんだよ。事実、私は総司君以外のひとと婚姻を結んだ経験があるし。……そのひとは、総司君のことが忘れられない私を、求めてくれた」

今までぶれることのなかった香耶の感情が、空色の瞳の奥で揺らいだ。喜怒哀楽だけで量ることのできない機微をくみ取るのは難しい。

「私にとって約束は鎖だ。それを知って皆が私に幾重にも鎖をかけた。覚悟を貫くこと、欲を捨てないこと、己の生命を諦めないこと。この先、私が誰と契りを交わそうとも、私に幸福を教え、与えてくれたひとがいたことを決して忘れないこと」

独りきりで遺されたとき、これらの約束が私を生につなぎとめると彼らはわかっていたんだろうね、と。
ゆっくりと瞬きをして、再び俺を見る香耶の瞳は、強い光をたたえていた。

ああ、そうか。

『あいつはほの暗い夜を照らす。そういう属性の人間だから、闇に生きる忍が敏感にそれを感じ取り集まるんだろう』

才歳のあの言葉、今なら少しだけ理解できる。
昼も、夜も。幸福も、憎悪も、孤独も、地獄を知ってもなお、このひとは揺るがない大空だ。だから惹かれた。
香耶が、猿飛佐助を亡夫の代わりにできる女だったら、俺はここで香耶を殺していたかもしれない。

「俺様に、その約束を破らせることはできないって言うわけね」

「そうだね。でも、」

でも、新しい約束を重ねることは、きっと俺にもできる。

あいかわらず胸の内から焦燥は消えない。
でも今は、それだけ解かれば充分だ。

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