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月神香耶side
本日の天気は曇りときどきみぞれ。暦の上では春とはいえ身を切るように冷たい空気を肌で感じながら、私はひとり風間邸の居間上の間の縁側から庭を眺めていた。
さて、元治二年の初めごろ、新選組では何があったかを思い出してみる。
去年の元治元年は、六月の池田屋事件、七月の禁門の変と豪華イベント目白押しだった。今の時点ではまだ薩摩藩は会津藩に協力しているが。
「薩長同盟成立はたしか来年か……」
となると千景君も表だって新選組と敵対してるってわけでは……いや、あの子なら新選組に必要以上にちょっかいかけてそうだな。前の幕末でも池田屋事件や禁門の変に一応敵として現れたのだし、なまじ未来の知識があるだけに嬉々として新選組で遊んでいそうだ。みんなつくづく厄介なものを敵に回してるなぁ。
そういえば池田屋事件の後だよね。あの彼に「付き合おうよ」なんて言われてなし崩しに恋仲に――……って。
「だぁあああ違う違う!」
思考が脇道にそれていくのを、私は頭を掻きむしってリセットした。考えるべきはこんなあまじょっぱい過去エピソードではない。
元治二年の四月、前年の戦争と大火が原因で元号が慶応と改元される。この“慶応”が江戸時代最後の元号となるのだ。
「閏五月には二条城の警護があったはず」
慶応元年閏五月の二条城警護の直後には松本良順による健康診断があった。このころになってやっと、私は彼とちゃんと両想いに……って。
「だから違うっつーの!」
雑念が過ぎる。誰か私を殴ってくれ。
自分の頭をグーで叩いてやるせなさをごまかしていると、不意に誰かに手首を掴まれて止められた。
「ちょっとちょっと、何やってんの? 今あんたに乱心されちゃ困るぜ」
「あ、佐助君」
顔を上げればすぐそばに、見慣れた迷彩装束の忍がいる。ちなみに私も三成君も紀之介君も全員夏物の軽装で時渡りしたって言うのに、佐助君だけはいつもの完全武装だった。いつもながら忍って職種の連中には、感心を通り越して少々呆れる。
偵察帰りであろう佐助君は「女の子が身体冷やしちゃだめでしょ」なんて呟きながら、私が肩がけにしていた綿衣に腕を通させた。
「どうだった? 新選組」
「おおむね香耶の言ってた通りだったね。山南の旦那は腕を怪我して引きこもってるし、前川荘司屋敷では秘密裏に羅刹の研究が行われてる。今は隊士を募って幹部の一部が下向してるらしくて、前情報と人数が合わなかった」
「そう、か……」
その報告を聞いて私は視線を庭に落とし唇に爪を立てた。
そういえば、屯所を西本願寺に移転するって話が今頃だったような……。
新選組は池田屋事件の後から大規模な隊士募集を行っている。結果、新選組屯所は隊士の急増で八木邸、前川邸だけではさすがに手狭になっていきていて、新しい屯所探しが急務となっていたのだ。特にこの世界の新選組は羅刹研究という機密を抱えていることもあって切迫していた。
西本願寺は勤王派で、禁門の変の折には敗走する長州兵を僧の格好をさせて逃がしたこともあり幕府に目をつけられている。そこでこの時期新選組では、西本願寺への屯所移転に関しての話し合いが慎重に行われていたのである。
そしてここで実際に移転のきっかけになった事件が起こる。
「……山南敬助の切腹」
「は?」
意味がわからないって顔をした佐助君に、今まで考えていたことをかいつまんで説明した。
「元治二年の二月に山南敬助が新選組を脱走、切腹する。介錯を務めるのは沖田総司」
「脱走って……あの山南の旦那が?」
「だけどそれは表向きの始末で事実は違う。敬助君は自ら変若水を飲んで羅刹になり、表舞台から姿を消すんだ」
「ああ、それが来月起こるってわけ」
「“起こるかもしれない”だよ。佐助君」
これに介入するべきかどうか大いに悩むところだ。以前の私は新選組に身を寄せていた(というか軟禁されていた)ためがっつり首を突っ込んだけど、ここでは完全なる部外者だ。仮に敬助君を説得するにしても、まずこの世界の山南敬助は私のことを知らない。幹部の誰かを協力者に引き込むにも圧倒的に時間が足りない。
庭をにらんで思考に沈んでいる私に、佐助君は仕方ないなって顔をして肩をすくめた。
「その変若水ってやつ片っ端から処分しちゃう? ついでに前川屋敷にいる羅刹も」
「随分と乱暴な策だねぇ。まぁ君と私がいればやってやれないことはないだろうけど、きっと一時しのぎにしかならないよ。薬による増強実験は幕府からの密命だもの」
第一、行方をくらませた雪村綱道もまた、どこかで羅刹の研究を独自に進めている。最終的にあのひとの羅刹の国を作るなんていう誇大妄想計画を新選組で阻止するならば、彼らにも変若水の力が必要となるのだろう。
「新選組に存在するものだけを消すのでは意味がない。変若水の根本的な入手経路を洗って潰し、幕府、雪村綱道の所持する羅刹、薬とそれらに関する資料を抹消する必要がある」
「うわーなにそれめんどくさい」
「でしょう?」
そう。雪村綱道の居場所すらわからない現時点では気の遠くなるような話だ。まぁ、もう少し時代が進めば、幕府は薬の研究から手を引くことになるのだけど。どれほど改良を重ねようと変若水から副作用は消えないのだから。
「……私だってそこまで深入りしようだなんて思わないよ。危ないし」
「ふーん。でもホントは新選組の奴らを助けたいんじゃないの? 香耶」
その問いに私は瞬いて、ずっと横でしゃがんでる佐助君に視線を向けた。
「だってさ、あの中にいるんでしょ。香耶と結婚した男が」
「誰に聞いたの。そんなこと」
「誰かに聞いたわけじゃないけど、あんた事あるごとに自分のこと後家って言ってるし。後はあの夜の香耶の反応でなんとなく」
鋭い指摘に私は肩を落とした。このぶんじゃ誰が相手だったかもある程度わかってるんだろう。あの夜……この世界の新選組と対峙した時の私は平静ではなかった。
ちょっぴり自己嫌悪に陥っていると、横の男は薄く笑ってこんなことを言ってくる。
「俺様が代わりになってあげようか」
「……なにに?」
「何ってもちろん、」
眉をひそめる私の顔を、佐助君は笑みを深めてのぞきこんできた。
それは、彼の変化か幻術だろうか。
網膜に翡翠の色の瞳がちらついた。
「沖田総司の代わりに、俺があんたの心を埋めてやるよ」
私は目を見開いて息を詰めた。
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