あいまいぷろぽーさる

月神香耶side



「僕さ、そろそろ結婚を考えてるんだよね」

え、まじか。

衝動買いした歪な形の焼物のカップを傾ける手を止め、私は同じ炬燵に入ってみかんの皮をむいている男に視線をやった。
私がこの男、沖田総司と同じ賃貸マンションの一室で同居を始めておよそ一年と二ヶ月。とうとう来るべき時が来てしまったか、と私は内心で肩を落とした。
もちろん、彼のおめでたい報告に、あからさまにがっかりすることなんてできるわけがないので表面上祝福の笑顔を取り繕う。

「そっかー。それにしても急だね。今までそんなそぶり見せなかったのに」

「うん、香耶さんを驚かそうと思って」

ああ、確かに驚いたとも。君のその無邪気さが私の胸の中にあるやわらかい何かをザクザクとコマ切れにするようだ。

ちなみに総司君の想い人は知っている。学生時代に剣道部のマネージャーをしていたという一個下の……たしか、“ちづるちゃん”だ。一度写真も見たことがある。見せてもらったアルバムの中で、いまいち女っ気のなかった総司君が一緒にいることの多かった女の子。(決して総司君がモテなかったわけではなく、母校の薄桜学園が元男子校だったのだから仕方ない)
その後の恋愛話はあまり聞かなかったが、すでに結婚を考えてるって言うくらいだから進展があったのだろう。

「ねぇ、もうすぐ社会人になって初めてのクリスマスだし、何買ったらいいと思う?」

私の荒れ狂う気持ちなど知る由もない総司君は、相変わらず執拗にみかんの筋を取り除きながら、こんなことを聞いてくる。

「それさ、聞くまでもなくない? そこは指輪でしょ。指輪」

と言うと総司君はぱちくりと瞬いて、ちびちびと玄米茶をすする私に目線を向けた。

「なんか意外だね。香耶さんがそういうこと言うのって。装飾品には興味ないと思ってた」

私が装飾品に興味ないことは否定しない。見た目からの判断だが“ちづるちゃん”もチャラチャラした感じじゃなかったから、普段なら高価なアクセサリーなど貰っても困らせてしまいそうだ。そう、普段なら。

「あんね、結婚しようと考えるならけじめってもんが必要でしょうよ」

「あ、そっか」

なんで私は仮にも気のある男にこんなレクチャーをしてやらねばならんのだ。

「余程の事情がない限り、恋人から婚約指輪をもらってうれしくない女なんていないでしょ」

「なるほどね。給料三ヵ月分のやつか」

なにやら使命に燃えだす総司君へ意識をむけたまま、私は無意味にテレビへと視線をやった。テレビの中では芸人たちが熾烈な漫才バトルを繰り広げているが、内容など少しも頭に入ってこない。マグカップをくわえたまま、考えるのはこれからのことだ。

この話はこれで終わりじゃない。一番の問題は総司君と血のつながりのない私が同居しているところにある。

(出ていくか……)

家賃、生活費は割り勘にしているが、もともとこの部屋は総司君の姉のみっちゃんと私がシェア(と言うと聞こえがいいが私単なる居候)していた部屋で、現在は総司君の名義になっている。居候しているという意識が強かったため自分の荷物は極力少ない。まさに不幸中の幸いだ。

「はは……笑えない」

自嘲気味に呟くと、横から「僕もあの芸人は勢いだけでつまらないと思う」なんて返ってきた。
……私、いまさらひとり暮らしになんて耐えられるだろうか。



鬱々と考え込んで眠れない夜を明かした次の日。私が相談相手に選んだのは同じ店で働く歳三君だった。

「歳三君が今住んでるとこって家賃いくら?」

「はぁ?」

いきなりの不躾な質問に、歳三君はその秀麗な顔を不愉快そうに歪ませた。それにごめんごめんと苦笑して、私は事情を大雑把に説明する。

「総司君に結婚するって言われたんだよね」

「結婚だぁ? ……ああ、それで新居でも探してんのか」

「まぁね。今住んでるマンションは職場からちょっと離れてるし、どうせ引っ越すなら近いとこがいいなーって」

「つぅか、この際戸建てでも買っちまえ」

「戸建てかぁ」

それもいいな。ネコかイヌを飼ってみたい。まぁ買うにしても借りるにしても、差し当たって仮に住む場所は必要だ。

「できればクリスマスの前にはあそこを出ようと思って」

「ずいぶん急だな。あと二週間もねえぞ」

「だよねぇ」

苦く笑いながらも私はため息を落とす。
“ちづるちゃん”と総司君を取り合うつもりはない。ふたりはお似合いだ。総司君はきっと幸せになれる。私がいつまでもあの家に居座ることはできない。
ああー、この際有給取って旅にでも出ちゃおうかなぁ。

なにか事情があるとくんでくれる歳三君は、ぽんと私の頭に手を置いた。

「俺が住んでるところは安い単身者用だ。セキュリティーも最低限だし周りは男ばかりでお勧めはできねえよ」

「……そっか」

たしかに独身男ばっかのマンションはちょっと考えてしまうな。お金に困ってるわけでもないし、ペットの飼えるちょっといい部屋でも探すか。



その日からしばらく。互いの仕事の都合で総司君とはろくに顔を合わせることのないまま数日が過ぎた。こういうことはよくあることだ。
さみしい気持ちもあったが、さりげなく、しかし着々と私物を片づけている私には好都合だった。新しく住む先はとりあえずで即日にも入居できるという家具家電つきのマンスリーマンションに決め、繁忙期が過ぎた頃にちゃんとしたところを捜すことにした。
私は用事を終わらせ、クリスマスムード一色になっている駅前の繁華街をぶらぶらとひとりで歩く。休日のためか人が多かった。

すると。

「――沖田さん!」

鈴を転がすような声で聞きなれた名を呼ぶのを耳が拾って、私は思わず歩みを止めた。探すまでもなく私の視線は、雑踏の中から少し離れたところにあった背の高い茶髪に引き寄せられる。膨大なLEDがあしらわれた大きなツリーの前で、見覚えのある男女が笑い合っていた。

総司君と“ちづるちゃん”だ。

背が低くて人ごみに紛れてしまいそうな彼女の手を、総司君が掴んで歩きだす。それを見て、そして自分の手を見て。この同居生活中、私は総司君に極力触れられたことがなかったなぁと思い至った。

冷えた自分の手を握り締めて、彼のてのひらの温度を想像するしかない私は、なんだか惨めで。

無性にたまらない気持ちのまま電車に飛び乗り、友人に車を出してくれるよう電話した。マンションに帰って、勢いに任せて残り少なかった荷物を整理する。洗面台でわざとクレンジングでも置いてってやろうかなんて思ったが、結局そんな大人げないことはできず、自分用の日用品はすべて段ボール箱に仕舞い、布団も小さく丸めて縛って玄関に積み上げた。
これで私の部屋は、もともとみっちゃんが使ってたシンプルなベッドとタンス、机と椅子だけが残され、なんとも殺風景なものになった。それを見て、なんとなく荒れていた気分も落ち着いてきたところでインターホンが鳴る。友人が来たらしい。

「来たわよ香耶!」

「千、菊ちゃんも、急なことに付き合わせてごめんね。ありがとう」

「このくらいなんでもありません。香耶さんのためですもの」

にこやかにやってきたのは総司君のことを知らない私の女友達で、今回の引っ越しもルームメイトが結婚するからと最低限の情報しか伝えていない。ルームメイトが男だと知ったら大目玉必至だ。千姫たち私に過保護だからな……。

「あら、荷物ってこれだけ? 気合い入れてきたのに拍子抜けだわ」

エプロンと軍手で準備万全の千姫には悪いが、私の引っ越し荷物など段ボール箱三箱に布団や毛布、スーツケースしかない。もし大きな家具があったら業者に頼むって。

「それじゃあ悪いんだけど、さっそく荷物頼めるかな。私は掃除してゴミ出すから」

「まかせて!」

「それでは台車を持ってまいります」

てきぱきと動き出した友人たちを見送って、私も余計なことを考えないよう身体を動かすのだった。

出て行こうと決めた日から細心の注意を払って生活していたおかげで、自分の部屋はもちろん、キッチンやベランダ、玄関や風呂トイレなどの共用スペースにも私の長い髪が落ちている、なんて手抜かりはない。最後にダメ押しで総司君の寝室以外の部屋をくまなく見回り、みっちゃん以外の女の影など一切感じられないことを確認して、自分の貴重品が詰まったバッグを持って戸締り。合鍵は手紙と一緒に封筒に入れ、郵便受けに入れておいた。あとやり残したことは……住民票や諸々の手続きくらいか。銀行や市役所に行くのは月曜日だな。

駐車場で待っていてくれた千たちのミニバンに身体を滑り込ませると、目的地を新居に指定したナビに従って菊ちゃんが車を発進させる。助手席に乗っていた千が私を振りかえり、温かいミルクティーのペットボトルを差し出してきた。それを笑顔で受け取って、口に含もうと傾けたところで私は忘れ物を思い出してしまった。

「あ。マグカップ忘れた」

歪な形の焼物のマグカップ。作業中にあれで水を飲んで、すすいでかごに入れておいたのをそのままにしてきてしまった。

「どうなさいますか、香耶さん。戻って取りに行きますか?」

「いや……いいよ。悪いし……。あああでも」

「香耶ったら、仕方ないわね。マグカップくらい引っ越し祝いに買ってあげるわよ」

カップがなくなって困っているのではなく、最後の最後に不手際を残してしまったことに落ち込んでいるのだ。そう言ったら千は「案外完璧主義なのね」と呆れた顔をしていた。
あの渋いデザインのカップが、可愛いお嫁さんに見つかったとして、イコール浮気疑惑、からの泥沼、なんて事態にはならないだろうと思うけど。どんな小さな不安要素も残したくなかったのになぁ……。
そんな歯切れの悪さを抱えたまま、私は新生活へのスタートを切ることになった。



その日の夜。新しい部屋で最低限の荷ほどきを終えた私は千たちと外食し(もちろん私のおごり)、そのまま彼女たちと遊びながらマンションの周囲を探検して、職場へのルートや銀行の位置も把握し、総菜などの買い物をして帰宅した。新居にひとりになって、シャワーも寝支度も何もかも終えたところでようやくサイレントにしていた携帯の存在を思い出す。
疲れた体をベッドに沈めつつ携帯を手に取れば、メールやSNS、着信履歴まで“沖田総司”で埋まっていた。

「コワッ!なにこれ」

そりゃ何の相談もなくいきなりルームメイトが消えれば驚くかもしんないけど。
若干引きながら一番新しいメールを開くと『警察に香耶さんの捜索願い出すからね』という簡潔にして不吉な文面だけが書かれていた。いやいやいやなんでだよ。あの子ポストに入れといた手紙読んでないの? どう見ても私の意思で出てきたのだから、警察に行ったって大ごとにはならないだろう。新しい住所だって調べればすぐわかるはずだ。まだ仮住まいだから拡散する気はないのだけど。
他のメールも見ようと指を滑らせたところで急に着信画面に切り替わり、びっくりして思わずスマホをとり落としてしまう。慌てて拾い上げて名前を見れば案の定相手は総司君で、出ようとした瞬間に今度は電池切れのマークが出てきてしまった。これでは電話に出た瞬間に通話が終わりそうだと思い、荷物の中から充電器を捜すが見当たらない。

「……というか、充電器を荷物に入れた記憶がない」

ってことはあの家の居間か台所に置いてきてしまったということだ。あれ総司君も一緒に使ってたからなぁ。あぁあああもう!

「…………ま、いいか。PCあるし。新しい充電器買うまで少し携帯断ちでもしよ」

いろいろとどうでもよくなった私は、すでに真っ黒な画面しか映さなくなったスマホを枕元に放り投げる。
そして他人の気配のしない落ち着かない部屋で、ふて寝するように眠りに落ちた。


総司君が珍しく憔悴した顔で私の部屋を訪ねてくるのは、翌日、月曜日の夜のことだ。

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