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月神香耶side
なんだか悪い夢を見た気がする。目覚めの修羅場で内容は忘れたが。
強制的に能力を引き出されるような感覚は、たしかにあった。闇の手の仕業なのか、それとも闇の婆娑羅者ばかりが集まったせいで、それが作用したのか……、もしくはその両方か。
ともかく真夏の小田原にいたはずの私たちは、気づけば真冬の京にいた。
「京……? ここは都なのですか」
三成君の驚きの声に私はうなずいた。
史実では戦国時代の初め、応仁の乱に始まる戦乱にたびたび巻き込まれた京の都は、大半が焼失し荒廃していた。その町を保護、復興したのは織田信長や豊臣秀吉、そして町衆の力である。
BASARAの世界においても京の町衆の力はたくましく、私が以前上洛した時はなぜか毎日(ケンカ)祭りをやっていたが……。
「君たちが分からないのも無理はないよ。ここはおそらく“幕末”の京だ」
「幕末とは。香耶殿や山南がもともといたという、なにがし幕府の末期の乱世か」
なにがして。紀之介君も徳川幕府の名を認めたくないのか。
……いや、私こそ固定概念にとらわれてはだめだな。ひょっとしたらこの世界での天下人は石田三成で、その後つくられた統治機関を“石田幕府”と呼んだのかもしんないし(はてしなく違和感あるけど)。私だって頻繁に史実と無双やBASARAの歴史を比較しているが、この「史実」が全ての世界の不文律というわけではないことを、私は数ある世界を巡って知っている。
と、なるべく後にカドが立たないよう補足してみる。
「何幕府だろうと君たちの未来に影響はしないさ。ここは無限にある『ありえたかもしれない』世界のひとつにすぎないのだからね」
まぁ、十中八九徳川幕府だとは思うのだけど。これは願望でもある。だって仮に江戸政権が石田幕府とか聞かされた日には、どんな顔して三成君を見たらいいのかわからん。私はひれ伏して腹でも切るべきか。あ、その場合将軍のお膝元は江戸じゃなくて大坂、もしくは近江の佐和山になるのか……だったら「江戸時代」なんて呼び方もしないな。なんかもうムチャクチャだわ。
そんな意味の無い可能性の検討に終止符を打ったのは、羅刹の遺体の検分を終えた佐助君だった。
「それさ、てっとり早く言うと俺様たち未来に来ちゃってるってことでしょ。帰れるんだよね?」
「さぁ。わかんない」
首をかしげた私に皆はぴしりと固まった。
「わ、わかんない?」
「だってこんなわけわからん時渡りしたの初めてだし」
不老不死に付随する世界を渡る能力は、さほど使い勝手のいいものではなく、まれではあるが自然現象のように突発的に起こる場合もあって案外ままならない。婆娑羅の干渉で強制的に時渡りさせられるなんて初体験である。
元就の推測を全面的に信じるとして、私をここに連れてきたのはお市の方。こんな手数をかけてでも、彼女は私にここでさせたいことがあるのだろう。
「ヤレ……ではわれらは少なくとも第五天の気が晴れるまで帰れぬというわけか」
「まぁ、そうなるね」
しかも私では帰り道が分からない。もういちど彼女の闇の手に引っ張ってもらわない限り。つまりお市の方にその気がなければ、私たちは永遠にBASARAに帰れないということになる。
……なんて、不安要素は私の胸の内にとどめておこう。うん。
「まずは情報。それから先立つものを集めないと」
「先立つものってこれ?」
言って佐助君がじゃらりと押し付けてくるのは布の袋。財布だ。中を覗けば銭さしに通した寛永通宝、天保通宝、あと銀貨がちらほら。
「どしたのこれ」
「集めたんだよ」
死体から。とつづく言葉に私は苦笑。佐助君を責めるつもりはない。彼がやらなきゃ私がやってた。
ちなみに貨幣価値は慶応三年なら天保通宝(百文銭)で米一合一勺買える程度。江戸時代中には百五十〜二百文で泊まれた宿も、この時代には七、八百文からといったところか。幕末は貨幣価値が激しく変動するインフレの時代だ。無駄遣いはしたくない。
すると今度は優秀な豊臣勢からまさに天の助けのようなひとことが。
「香耶様、小判金ならば少しばかりですが持ち合わせがあります」
「え」
「香耶殿は知らなんだか。無双の世より婆娑羅の世へ渡った時の教訓から、月神屋敷の者はみな常時幾分かの金銀を持ち歩くようにしてあるのよ」
まじか……。私なんてへたすりゃ刀さえ持ち歩かないときもあるのに。
まず今の三成君たちのその軽装のどこにそんな金を隠し持っているのかと問えば、紀之介君の輿に貼り付けられていた。末恐ろしいわこの子ら。
ともあれこんな良貨をこの時代に散じるのはもったいない。彼らの財産に手をつけるのは最終手段ということにして、とりあえず現場から離れつつ拾い集めた金で今夜泊まる宿でもさがそう、という運びになった。
ところが。
「動くな」
第三者の地を這うような声が響いて、どうやら自分たちがここで長話ししすぎたことを悟る。
「あらー、俺様たち囲まれちゃってる?」
佐助君がやけにのんきなのは、はじめからこの新たな敵の存在に気付いていたからだろう。気配を悟らせるうちは彼らにとっての脅威ではない。
「敵方に羅刹や婆娑羅者はおらぬな。ならばいかに数をそろえようとも三成ひとりにすら敵うまい」
「当然だ。香耶様の御前を遮るものは私が残らず斬滅する」
「こらこら待ちなさい物騒な」
鯉口を切る三成君を手で制す。
私の記憶に間違いなければ、いまの声は新選組の幹部のひとりだ。この羅刹を回収しに来たのだとしたら、機密に関わるため私たちを囲んでいるのは全員幹部格隊士ということになる。
小雨の降る中、月明かりも星明かりもなく夜の帳が支配する闇の世界。私はあまりに視界が利かないので帯に差してた扇子に大空の死ぬ気の炎で明かりを灯した。もちろんもったいないのでホントに燃やしてるわけじゃないからあったかくはない。
そしてぼんやりと浮かび上がる互いの姿を目視して、私たちはいろんな意味で息を呑むのだった。
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