52

石田三成side



香耶様や山南が使う、夜の炎による長距離移動には昔から何度も世話になっている。だから此度の移動がいつもとは違う不自然なものであることは、私でも容易に気付いた。

強制的に移動させられ出た先は月神屋敷の庭などではなく、冷たい小雨が降りしきる見覚えのない土地だった。夕暮れ時なのだろう。家屋の建ち並ぶ辻に人通りはほとんどなく、曇天のせいもあり町の景色が仄暗い。私は抜き身だった無名刀を鞘に納めるが、いつでも抜き放てるよう周囲を警戒した。

「やれ三成、ここにいたか」

「刑部……!」

声をかけられ振り向くと、意識の無い香耶様を輿に乗せ抱き込む刑部の姿があった。

「なにがあった。香耶様はご無事なのか!?」

「騒ぎたてるな。息はある。……やや力任せに手を引いたゆえ、われの輿に頭でも打ったのやもしれぬなァ」

その言動の端々から彼女を気遣う気配が伝わった。刑部にここまでさせる女など、おそらく香耶様を置いてほかにない。
眠る香耶様が雨に濡れぬよう、廂の広い商家の軒先に移動して少しばかり落ち着いた。



「さてや、今は盛夏の季節だったと記憶していたが、われは身を切るように寒い。とうとう体感までもおかしくなったか」

「心配はいらん。貴様の体感は正常だ」

たしかに寒い。なにか羽織ものをと思っても、私は稽古着のままだし刑部も夏の小袖のみ。香耶様とて麻の小袖と緋の袴だけ。私はともかく香耶様をこのままにしては、風邪を召されてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなければ。
身を寄せ合う刑部と香耶様を視界の隅に入れて、私は通りに足を踏み出そうとするが、そのときふと薄い血臭が嗅覚を刺激して足を止めた。

「あ、蝶々さん。凶王の旦那、見つかったんだ」

「ましらか」

屋根上から飛び降りてきたのは真田の忍だった。そういえばこいつも巻き込まれていたな。元凶の真田は難を逃れていたというのに。
忍はいつもの食えない表情で、私と刑部に衣服と履物を手渡してきた。

「……なんだこれは」

「羽織と草鞋。この寒いのに全員単衣と裸足だと悪目立ちするぜ」

「羽織にしみついた血の臭いが癇に障る」

「ヒヒ、もしやひとを殺して奪い取ったか?」

刑部が香耶様の足に草鞋を履かせながら問うた。……先ほどから刑部は必要以上に香耶様に密着している気がするのだが。

「この服は俺様が殺ったんじゃなくて、すでに斃れてた奴から剥ぎとったんだよ。これでも綺麗なのを選りすぐってきたんだから文句言うなって」

「斃れていただと? このような町中に屍骸を放置するなど、もしもここが秀吉様の治める大坂の地であれば決して許すものか」

「そんなのどこの国でも一緒でしょーが。でも、ここはどの町屋も立派だし町全体も結構発展してるけど、そこかしこに血の臭いがこびりついててなかなか不穏なところだと思う」

「貴様でもここがどこの国か判別できないと言うのか」

草鞋の紐を結び、足で地面を摺って具合を確かめる。この草鞋では恐惶には耐えられそうにないな。一丁(およそ1km)も走れば擦り切れてしまいそうだ。
諸々の不満をこめて真田の忍をねめつければ、奴は軽薄な態度で肩をすくめた。

「しかしこの寒さはまるで真冬よな。われらは国を越えると同時に季節さえも越えたのであろうか」

「それ冗談じゃないぜ。香耶なら何か知ってるんじゃないの? 起こして聞いてみようよ」

「まちやれ。香耶殿はなにやら夢見がよろしいようでな。いま起こすのは忍びない。ほれ、ぬしにはこの安らかな寝言が聞こえぬか」

「……うぅ、やめたげてよこたろぉ……さすけくんが、さすけくんがぁ……」

「これのどこが安らかなの!? 俺様の夢見て魘されてるんですけど!」

「ヒッヒッ」

戯れる奴らを尻目に周囲を観察していると、我々にひとが近づいてきた。
通行人かと思われたそれは、しかし血生臭いにおいと不快な殺気をまき散らし、獲物を探すかのような足取りでゆらゆらと歩いてくる。闇に慣れた私の目が捉えたものは、抜き身の刀に鮮血を滴らせ、浅葱色の羽織を返り血で汚した白髪赤目の男だった。あれがただの通行人であるものか!

「おい、忍。あれが屍骸の下手人か」

「あー、手を下してるとこは見てないんだけど、刀傷だったからそうかもね」

男の狙いは明らかに我々に定められていて、私は刑部と香耶様の前に出て無名刀を居合腰に構え、忍も大型手裏剣を手の中で回旋させた。


「ん、う……さむ」

ここでようやく香耶様が目覚める気配。ちらりと刑部に目配せすると、刑部は心得た様子で彼女を抱えたまま後方にしりぞいた。

「血……血をよこせ……!」

「なにこいつ、っ!」

血脂で汚れた男の刀と真田の忍が刃を打ち合わせる。耳障りな音が響くと同時に火花が散った。
浅葱の羽織の男は赤い目を爛々と光らせしきりに血を寄越せと呟いている。力は強そうだが隙が多く、抜き打ちで仕留めるのは容易だった。

「そんなに渇いているのならば泥水でも啜っていろ」

私は無名刀の刃を振りぬき血振りして納刀する。雨水のたまった路面に男はどしゃりと崩れ落ちた。他愛ないことだ。


――しかし。


「三成君、まだ終わってない!」

「!」

香耶様の声音に、私はとっさに無名刀の柄に手をかける。たったいま斬ったはずの男に再び視線をやると、そいつは何事もなかったかのような表情で起き上ったのだ。斬った手ごたえも、着物を汚す血の量も、明らかに致命傷だったはず。だというのに。

私に向かって横なぎに放たれる敵の斬撃。剣速が速い。それを止めたのは刑部の数珠である。
数珠は男の手にぶつかり、その手にあった刀が跳ね飛ばされた。私が敵から間合いをとると、婆娑羅で遁甲していた真田の忍が地中から敵を斬り上げる。
最後に男を仕留めたのは、私の脇を走り抜け、大刀狂桜で敵の心臓を一突きにした香耶様だ。

「香耶様……!」

彼女の表情は険しい。だが血臭の満ちた戦場で鼻先を微かにかすめる彼女の花香は、それまでくすぶっていた私の困惑や焦燥を一瞬で静めるのだった。

| pagelist |

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -