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月神香耶side
甲斐武田を列強同盟に加え、盟王の名のもとにさらに磐石となった平穏な某日の早朝。
小田原、月神屋敷の庭ではある意味平和な怒声が響き渡っていた。
「うおぉぉおおおみ、な、ぎ、るぅあああ!!!」
「煩いぞ真田ァ!!」
「石田殿、お早うございまする!!」
「黙れ! 貴様はその声量でしか話せないのか! 長旅でお疲れの香耶様のお耳汚しだ!」
「……三成、ちと声を落としやれ。ぬしの声も屋敷端まで丸聞こえよ」
「ちょっとちょっと、真田の旦那も凶王の旦那もここじゃあ居候の身だってこともっと自覚してくんない?」
……朝から元気だなぁ。
母屋の自室で居候たちの騒音をめざまし代わりに眠りから覚醒した私は、手繰り寄せた布で耳を塞ぎながら、寝返りを打って二度寝にふけこんだ。
が、そのとき、何の前触れもなく部屋のふすまが開いた。
「いつまで寝ている。すでに日輪は昇りきっているぞ」
私の惰眠を妨害してくるのは、おそらく世界最強の十歳児、毛利千景だ。
「千景君……、ひとの部屋に入るときは一声かけるのが今も昔も共通のマナーだよ」
「ふん、この俺にマナーなど……おい、なんだそれは」
やっべ。
寝起きで隙だらけだった私は、掛布がわりにしていた薄い表着で身体を隠す。
だが千景君は一瞬で間合いを詰めてきたかと思うと、私の額を手刀で打ちながら表着を引っぺがしてきたのだ。私の身体はその勢いで後ろに倒れ、夜着の裾がふとももまで盛大にめくれ上がった。そのうえ彼が倒れた私の右足をつかんで肩に担ぎ上げるものだから、私は先ほどの比ではなく本気で慌てた。
「痛……こっ、こらー! 中見える、着物の中がっ」
「この傷跡はなんだ。正直に話さなければこのまま屋敷内を引き回すぞ」
「話すっ、なんでも話しますからその前にふすまを……!」
なんて恐ろしいことを言う。この子一応私の小姓だよね?
青ざめた私の、せめて全開になっているふすまを閉めて欲しいという願いをかなえてくれたのは、ふすま脇に風の婆娑羅とともに音もなく現れた小太郎だった。だが私を千景君から助けるつもりはないらしい。完全に傍観の姿勢だ。
「ふすまは閉めたぞ。さあ話せ」
「この体勢で!? せめて着替えくらい……」
「往生際が悪いな。よし、ふすまを開けろ、風魔小太郎」
「ぎゃあああ嘘です言います小太郎もうなずかないで!」
このドSども。私の反応で遊んでるだろ。
するとこちらの騒ぎを聞きつけてか、複数の足音がこちらに向かってくるのに気付いた。足音の主はさっきまで庭先で騒いでいた彼らで間違いないだろう。その速さときたらほぼ一瞬で、しまった、と思う暇もなく締め切られたふすまは再び開け放たれた。
「香耶様……っ!」
「ご無事でござるか香耶どのぉあああ!!?」
そしてこの堅物たちが部屋の惨状を見て、なにを思うかなど想像に難くない。顔を朱に染めた幸村君が「は、ははは破廉っ、」などと言いよどむのを聞いて、嫌な予感を覚えた私は着物の裾を抑えるよりもまず真っ先に自分の耳をふさいだ。
これが小田原に帰還して翌朝の出来事である。今日からこのようなことが毎日続くのかと思うと、もはや空笑いしか出てこない。
右足の傷跡は小田原に帰ってもまだ消えずに残っていた。
「押さえると痛みますか?」
「むしろ気持ちいい。もっと揉んで」
「平気そうですね」
あれから作務衣に着替えた私は、皆が集まる居間で敬助君の診察を受けることになってしまった。
彼の手が傷跡の残る右足のふくらはぎをむにむにと押さえたり離したりするのを、先の堅物組みは直視できないでいるらしい。なんでだ。ふくらはぎくらいいつも出してるからありがたみもないだろ。
みんなが注視する中でごろごろしていると、すこし深刻な表情で半兵衛君が口を開いた。
「ねえ山南殿、香耶は羅刹なんだから、こんな痕が残るのはおかしいよね?」
「そうですねぇ、これはおそらく毒のせいではなく、土方君の死ぬ気の炎が作用したせいでしょう」
まぁ、嵐の炎をあんなふうに身体に入れたの初めてだしな。
「土方め、下手を打ったな」
「千景君、ここにはいない歳三君を貶すのやめようよ。私が今こうしてぴんしゃんしてるの彼のおかげなんだし」
「ふん、……おまえはいつまでも隊士に甘い」
「隊士も家族ですから」
というか、千景君も平成では新選組の隊士だったんだけど。
まったく不調のない身体をのそのそと起こし、四つんばいで定位置の無双幸村の隣に移動すると、幸村が心配顔で私を迎えてくれた。
「もしや、生涯消えないなどということは……」
「どうでしょうかね。もしそうなれば香耶を土方君に娶ってもらいますか」
「な……!?」
敬助君の意地悪な冗談に、幸村だけでなく、この場にいたほぼ全員が目を見開いて驚愕した。そして真っ先に吠えたのは意外にも三成君だった。
「香耶様を真田の忍になど娶らせてなるものかッ! 香耶様、傷のせいで貰い手が見つからないとおっしゃるのであれば、おそれながら、わ……私が、」
「え、う、うん……ありがとう。でもべつに貰い手がなくて困ってるわけじゃないからね?」
「お待ちを! その傷が某の忍のせいであれば某が香耶殿を娶るのが筋というものでござろう!」
「いやいや、幸村君は自分が何叫んでるかわかってる? こんなことで張り合わないでよ」
なんかだんだん恥ずかしくなってきた。
張り合う忠犬たちをなだめていると、なにを思ったか隣の幸村が強い力で急に私の手を握りしめた。
「! ゆ、幸村?」
「どこにどんな傷があろうと香耶は香耶です。私の想いはなにひとつ変わりません。……ですが、どんなに死なない身体と言えども軽々しく御身を危険に晒されては心配でこちらの身がもちませんので、どうか御自愛なさってください」
「は、い」
うあ。
真摯な瞳から目を離せなくて、カカカッと首から上に熱が上がる。その瞬間、なんだかものすごい視線が集中した気がして、しばらく周囲を見る勇気は出なかった。
結局この傷跡は周りの騒動をよそに、五日ほどかけてゆっくりと消えていったのだった。
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