02
『………さん、…香耶さん』
悪魔の低く耳に心地良い声が聞こえる。ずいぶんと距離が近いような気がする。
それを認識すると同時に、私の意識は一瞬で覚醒した。
「………っ」
ゼロの貌が目の前にあった。
『お目覚めですか』
なんていつものしらじらしい笑顔で聞いてくる。
私の身体はゼロに抱きこまれていて身動きが取れなかった。
「…………なにかなこれは」
と、声のトーンを落として聞くと、ゼロは私を抱く腕に一度ぎゅっと力をこめてからそっと解放してくれた。
「はぁ……君の顔を間近で見ると女としての自信をなくすよ」
『何をおっしゃるんですか。香耶さんほど美しい女性はいませんよ』
こんなことをにこにこ言うものだから胡散臭い。
「そんなことより、ここは…」
はっと気付いた。
ここは深夜の民家の屋根の上らしい。屋根瓦。ここから見える景色。
「日本、か………?」
私の言葉を聞いて、ゼロの表情もすっと真剣なものになる。
『故郷に帰ってきたと?』
「いや…」
たしかに日本は私の故郷だが、違和感を感じる。
私が生まれた西暦2020年代の日本ではないようだ。
おそらく…江戸時代。
「過去の日本、だろうね」
そうとなれば我々はまず衣服を整えなければならない。
江戸時代に洋装で街をうろついていては何を言われるか分かったものではない。
悪魔のゼロは基本精神生命体なので衣服くらい魔法で変えられるが、私は人間なのでそうはいかない。
私のようなタイムトラベラーは金銭の問題を解消するために、どの世界でもおおむね共通して財貨として使用できる、黄金を持ち歩いている。
特に私は、口外しないが黄金を自ら作り出すことができるので、金に困ることはほとんどない。
とにかく私たちは朝を待って、行動を開始することにした。
五日たった。
もしものときのために保険をかけて、ゼロには姿を消したまま私の護衛にあたらせ、私は周辺の聞き込みに徹した。
私の着物は女物とも男物ともつかない変わったもの。利便性を考えて、この時代にも不自然ではない程度に私が創作したものである。
何しろ着物というものは動きづらく、脱ぎ着もしにくい。(着方が分からなかったとはあえて言うまい)
しかしそんな創作着物のせいか、はたまた私の銀髪が珍しいからか、人々は興味を持って積極的に私に接してくれている。
そうして分かったのは、私たちが始めていたところはやはり江戸で、しかも嘉永四年、西暦に直すと1851年だということが分かった。
幕末である。
1853年、つまりあと2年でペリーが来日、幕府の崩壊が始まる。
私は決めた。
この世界に留まり日ノ本の歴史が動く瞬間をこの目に焼き付けよう。
きっと鮮烈な、面白いものが見られるにちがいない。
そして私は、旅を続けるのだった。
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