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(BASARA)真田幸村side



俺たちと月神の皆の間に微妙な緊張感を残したまま朝を迎えた。
毒を受けた香耶殿は別室にて軍師殿の処置を受けそのまま休まれたが、彼女以外は誰一人眠ることなどなかったであろう。
忍隊は昨晩の事後処理に駆け回っている。佐助や才蔵も例外ではない。
才蔵の口からはっきり聞いたわけではないが、俺の予想が正しければ、才蔵は香耶殿のもとに行くことを望んでいる。そしてそれを阻んでいるのは佐助と……、そしてほかならぬ俺だ。

俺は手入れを終えた刀匠明月の二槍を前に、甲斐の地を発つ時を粛として待っていた。
するとここに近づいてくる足音がある。この時刻、お館様は家臣と合議のさなかであり、破門された俺の部屋に近付く者は限られている。護衛の忍が止めぬのであれば怪しい者ではないのだろうが、隠すそぶりもない気配は俺のいる部屋の前で止まり、俺は軽く身構えた。
ふすまはすぱんと軽げな音を立てて開かれた。

「おはよう幸村君!」

「は……、お、おはようございまする」

やってきたのは気分の良さそうな香耶殿であった。意外にも供の者の姿はなく、ここまでひとりで来られたらしい。
香耶殿は昨晩までの緋の袴姿とは打って変わって、辻が花の小袖に名護屋帯、絽刺しの打ち掛けとなんとも楚々とした装いだった。
目を丸くする俺に気付き、香耶殿は苦笑して肩をすくめた。

「ああこれ……。昨日盛大に返り血を浴びたからね。仕方なくだよ」

「仕方なくなど、そのようにおっしゃいますな。赤のころもが香耶殿の髪色に映えて似合うております」

「……君のそれはたちの悪い無意識か」

心から思ったことを口にすれば、なぜか香耶殿は呆れた顔をされた。なにか気に障る言動でもあったのだろうか。

「おなごとはまこと難解にござる……」

「そうかい? 君は一皮むけるととんでもない好色家になりそうだけど」

「な……!? は、破廉恥な、」

「おっと、仮定の話で叫ばないの。あちらの御殿で信玄公が合議中なんだから」

「うぐ、申し訳ござらぬ」

よくわからぬ話を交わしながらも香耶殿に部屋から連れ出され、たどり着いた先は今まさにお館様が家臣と合議を行っている謁見の間の前であった。
まさか昨晩のことで殴りこむつもりであろうかとふすまの前で内心混乱する俺をよそに、香耶殿は別段機嫌を損ねた風もなく俺に語りかける。

「さて幸村君。君は昨晩のあれに対し策を立てた己の責任を認め、いかようにも罰を受けると言ったことを記憶しているかい?」

「む、むろん二言はございませぬ」

「君の甘いところはその策ではない。君自身の志だ」

「こころざし、にございますか?」

香耶殿の言葉に少々納得がいかず眉をひそめる。
こころざしならば俺にとて。お館様のご上洛をお支えする。いずれ天下を掴むその日まで、お館様のもとに在る事。それが俺の志だ。

「頭を使え、真田幸村。ここで私が昨日の責任を取らせ、君のお館様から所領を召し上げることもできるんだよ」

「そ、そのようなこと……!?」

目をむいた俺に、香耶殿は唇に指を当て、静かにするようにと目配せを送った。

「まぁ実際にはしないけど。そのような事態もありえたということだ。潔く正直であることは君の美徳だが、安易に『責任』を口にするべきではない」

「しかしそれでは……」

「君が背負うべきものは、そのようなものではなく、もっと大きなものであるはずだろう? ここで倒れては意味がない。失錯も、敗北も、とことんまで利用しつくし生き残れ。必要なのは、志を貫く覚悟だ」

覚悟と。
薄く笑う香耶殿の瞳から、目が離せなくなる。何故、彼女は俺にこんなことを言うのだろうか。

「さて本題だが、私は君の策にびんじょ……じゃなかった、力添えをしようと思う」

「今、便乗と、」

「細かいことは気にするな」

有無を言わせぬ笑みで、彼女は拳を振りかぶる。
……俺に向けて。

「理不尽なことではないだろう? これでチャラにしてあげるよと言ってるんだ」

「うっ」

これでは弱みを握られているも同じ。先までの長い前置きはこのためだったのかとすら思える。

「殴られるのはかまいませぬが、何ゆえこの場で……!」

「すぐにわかる。すこし本気で行くから、──歯を食いしばれ!」

その瞬間、香耶殿の拳に燈の色に輝く炎が灯ったように見えたのは、おそらく目の錯覚ではないのだろう。
刹那ののちには俺の身体は衝撃とともに吹っ飛び、ふすまを突き破ってお館様や家臣が揃う謁見の間へと転がり込んだ。
さすが香耶殿。その拳の威力たるや、お館様にも劣るまじ。

「何事だ!?」

「合議の最中であるぞ!」

いきなりの乱入に合議の場が色めき立つのは当然。

「盟王、明月……!」

家臣たちの非難の視線は、殴られて突っ込んできた俺のあとに、振りぬいた拳を誇示しながら堂々と会場に乗り込んだ香耶殿へと集中した。



「失礼する。信玄公。あれほどの騒ぎだったのだからすでに知っていようが、昨晩私の命を狙い武田家中から刺客が放たれた」

謁見の間に香耶殿の声が朗々と響き渡り、家臣らは唖然と言葉を失った。
香耶殿の視線はまっすぐと上段に座するお館様へと向いている。お館様はそれに応えるように重々しく頷いた。

「うむ。毒を受けたと聞いたが、元気そうじゃの」

「ああ。幸村君の忍に解毒に長けたものがいてね」

そして香耶殿の視線が俺へと向く。
俺は慌てて体勢を立て直し、お館様に向かい頭を垂れた。

「ひいては甲斐国を発つ前に彼がこの責めを引き受けると。これにて武田の狼藉を不問にしよう」

「そうか……厚情感謝つかまつる。幸村もそれでよいか?」

「はっ。この幸村、武田を守るためなれば、いかような処遇も甘んずる所存!」

もとよりそのつもりであったのだから俺に文句のあろうはずがない。
家臣たちの痛ましげな視線が俺に向く中、香耶殿は老成した面持ちで口を開いた。

「平和を謳う列強同盟は今や日ノ本随一の強大な勢力となっている。もたらされる恩恵の根底にあるのは国家規模の信頼と協調性だ。私の立場は中立であっても無抵抗ではない。泰平のためならば同盟国にも軍を上げるし所領替えとてやぶさかではない。これ以上分国法に介入されたくなくば国の威信に傷をつけるな」

少し、解った。
あの刺客騒ぎで矢毒まで受けた香耶殿が、なんの咎めもないまま甲斐を去ることなどできない。合議制にて政治を行う武田であれば同盟に反発する家臣を納得させることは不可欠。妥協して安易に事を済ませることは、同盟にとっても、そして甲斐国にとっても良くないのだと。

「邪魔したね。信玄公」

「いや、そなたには借りができてしもうたわ」

武田の家臣たちを黙らせ、お館様と対等に笑う香耶殿は、俺が今までに見たどんなおなごとも違う、特別な存在に見えた。

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