「……まさか同じフロアだとは」

「驚くよねー」

さて幸村の車に乗せてもらいさっさと用事を済ませてきた香耶は、再び小太郎と合流してピエトラスカーラに帰ってきた。
なんとなく予想していた香耶はともかく、幸村はワンフロア二世帯の造りのマンションで己の新居が香耶の住む部屋と同じ階であることに驚愕する。

「とりあえずうち上がって。なにもないけど」

「女の独り住まいに男をふたり上げるか。無防備よな」

「さすがにこっちの世界ではだれかれ構わず家に上げたりしないよ。相手が君らだから」

と、さらりと寄せられる彼女からの全幅の信頼に、幸村も小太郎も複雑な心境になる。背を向けてキーを通す香耶には、彼らの表情などわかる由も無かったが。
玄関を開ければ幸村の家とは左右対称の彼女の部屋。そこは殺風景で、相対的に何かが足りない感覚がした。

「……ここが香耶の住まい、ですか?」

「そうだよ。リビングはあっち」

案内された30畳のリビングダイニングは、対面キッチンのそばにふたり掛けのテーブルがあり、中央に配置されたテレビと人がひとり寝られる程度のソファがある程度であまり物がない。奥の三分の一の使われていないスペースが寒々しい。

「うぬはこの部屋を持て余しているようだな」

「だからなにもないって言ったでしょ。もともと物はあまり増やさないことにしてるし。……本以外はね」

本、と聞いたふたりは、確かにテーブルの上やソファの端などに様々な大きさの本が少しずつ積み重なっていることに気付いた。小太郎がテーブルの本を手にとってみれば、なぜかそれは植樹の本。他にファッション雑誌と歴史小説のオムニバスが積んであって表題に統一性がない。

「自室は散らかってて酷いよ。見せられたものじゃない」

「自室とは向こうか」

「いやいやなんで行こうとするの小太郎君。見せられたもんじゃないって今言ったじゃん」

リビングを出てすたすたと主寝室に向かおうとする小太郎の行く手を香耶が阻む。小太郎は視界に入ったその彼女の手をおもむろに取り、その存在を確かめるように触れて静かに口を開いた。

「ここには香耶の生きた爪痕がなにもない。まるで……消える準備をしているようよな」

「……!」

その言葉に、香耶は目を見開いた。
戦国時代、あんなにも感興と欺瞞に満ちていた男の瞳が、今は不安に揺れている。

「何もせず、何も残さず、逝くつもりか?」

「…………」

それに返す言葉は、声になることはなく。
少しうつむいた香耶の顔を、今度は幸村が覗き込んだ。

「香耶……不老不死だった貴女にしてみれば酷な願いかもしれませんが、どうか長生きをする努力をしてください」

「幸村まで……」

途方にくれたような顔をしたふたりに、香耶は小さく苦笑した。

「たしかに私が死んだ後、他人に迷惑をかけないようにと考えて生活していることは否定しない。きっとこの世界……この家が私の終の棲家となるのだろうから。だけど、なにもしないでただそのときを待っているわけではないよ」

おいで、と彼女がふたりをいざなうのは、先ほど話しに上がった廊下の奥にある主寝室。
そこに入れば、二十畳の部屋の三方を棚が囲み、あらゆるジャンルの本で埋め尽くされていた。遮光カーテンの引かれた出窓には、この家に唯一と言っていい有機物であるアイビーがベッドサイドまでツタを這っている。ダブルサイズベッドの布団は起きたときのまま乱れっぱなしで、夜に着ていたカーディガンが放置されている。部屋の中央には座椅子とこたつにもなるローテーブル。そこはノートパソコンを囲むように書類や筆記具が乱雑に置かれ、その上に飲みかけの無糖の紅茶のペットボトルがごろりと横になっていた。

「ここはなかなか生活感があるな」

「だから見せたくなかったのに……」

「いえ、逆に安心します」

「なんでだよ。君らは変わってるな」

せめてと香耶がペットボトルを立てながら言うが、取り繕っても今更である。

「ここが私の仕事場兼寝室だよ。丸一日この部屋から出ないときもある」

「香耶の仕事とは……」

「作家だよ。作家。月下野草」

「月下野草、といえば有名な『片恋旅』の著者ではないですか」

「ありゃ、よく知ってるね、幸村。なんだか恥ずかしいな」

「……貴女には驚かされるばかりです」

道楽で食ってるだけさと笑う彼女に、やはりこの世界でも自分の凄さなど解っていないのだと幸村は肩を落とした。



その日、三人は懐かしい匂いに満ちたその部屋で夜まで語り合い、再び何もないダイニングへ戻り、久しぶりに手の込んだものを作ったよと苦笑する香耶の手料理を夕食にした。千が朝に持ってきてくれた数食分の量の食材はキレイに無くなったが、香耶はむしろすがすがしい気分だった。

後片付けを手伝ってくれる幸村と、自由に本を開いている小太郎を眺め、こんなのも悪くないと思う。

「食べてくれる人がいたほうが作り甲斐があるね。ひとりだと面倒で」

「戦国の世ではあれほど食に拘っていた者の台詞とは思えぬな」

「結局はそれも共にいた我々のため……ということだったのでしょう」

「そんな大層なもんじゃないって。ひとの興味は移り変わる。みんなコーヒーでいいの? インスタントだけど」

「かまいません。私が淹れますので香耶は座っていてください」

「なに言ってんの、君も客でしょ。あ、上の棚に揃いのカップがあるからとって……って、これじゃ言ってること矛盾してるか」

文句も無くカップを手に取った幸村は、ケトルの前でごまかすように空笑いする香耶に近づいた。

「お疲れなのでしょう? こちらの勝手はすでに解っていますから、貴女は少し休んでください」

「……ごめん、ありがとう。幸村」

素直にうなずいた香耶は確かに疲れていた。小太郎が座るソファの隣に深く腰掛け、背もたれに頭を預けて息を吐く。
起きたときと同じ体勢だが、この調子なら夜に寝て朝起きる生活に戻せるかもしれないと、香耶の心中は存外前向きだった。
(2014/4/14)

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