40
月神香耶side
胸がざわついて意識が覚醒した。
その気配を察したのだろう。誰かの手が私の頭を優しく、けれど有無を言わせぬ力で押さえ、動くことを制してくる。
おそらく、半兵衛君……だとおもう。視界を塞がれる直前に、彼の装束の袂が見えたから。
「はんべ……」
「香耶、聞いて。君はここから動いちゃだめだ。なにがあっても。なにを見たとしても」
それは難しい話だよ。私の性質を知り尽くしてる半兵衛君なら、それがわからないはずないだろうに。
ただ、混乱もあって言葉を失った私は、沈黙する間に耳が拾う物音で、なにか大変なことが起きてるらしいことを理解した。
襲撃だろうか。
外から、ごうごうと炎の音が聞こえる。
そばにいる気配は、半兵衛君だけだった。
「半兵衛くん、手を、」
「行かせないよ。独りでなんて、ぜったい行かせない」
視界をふさがれたまま、するりと頬を撫でられる。
私はなおも開こうとした口をつぐんだ。
ああ、そうか……彼は。
「……半兵衛君を、残してなんか行かないよ」
横臥したまま手を伸ばせば、彼の髪に触れた。視界は未だ塞がれたまま。
「不安にさせてしまったかな」
戦。襲撃。怪我。羅刹。
常にトラブルを引き寄せる私の隣に立って、情勢を制御する役割を担ってきた半兵衛君は、いつか私がこの業を命であがなうときが来ることを、恐れているんだ。
「、そうだよ。俺をこんなにして。……責任とってよ、香耶」
ごめん、と言うのは何か違う気がした。それは彼の望む答えじゃない。
彼が欲しいもの。それはきっと。
「約束をしよう」
私は視界を塞ぐ彼の手をとった。身長はほとんど変わらないはずなのに、彼の手は私より大きくて、骨ばっている。
夜の帳が下りた室内で、ふすまの隙間から差し込む炎の赤に照らされる半兵衛君は、どこか途方にくれたような表情をしていた。
「私はこれからも永遠を生きる。死にたいほどつらい経験をしても、決して自分の命を諦めない」
過去に死に別れたたくさんの仲間達と、重ねてきた約束。
だから今は、大事なひとを守るために、命以外の全てを懸ける。
「君の命ある限り、私は君を連れて行くよ。どこまでも……君は私についてきて」
「香耶……」
強く、手を握り返された。
半兵衛君は私の言葉を噛み締めるように目を閉じて、そして強い瞳で見開いた。
「なら俺も。命の続く限り、ずっと香耶のそばにいて、頭を撫でて、泣き言を聞いて。香耶のことを心配してあげる」
見たことのない優しい微笑で、指先に口づけて。
「俺の忠誠を、香耶に誓うよ」
彼にとって、何よりも重い言葉を紡いだのだった。
周囲の状況をざっと見渡した結果、どうやら私たちは思ったほど深刻な状況に置かれているわけではなかった。
「今俺たちはふたりだけで炎の中に取り残されてる。でもこの炎は普通の炎とは違うみたい」
「周囲の炎に燃え広がる様子はない。ただし触れる者は容赦なく“分解”される。間違いないね……これは“嵐”の属性の死ぬ気の炎だ」
「香耶の属性は“大空”と“夜”で、山南殿は“霧”と“夜”。千景君が“大地”の属性だったっけ? ならこの炎の持ち主は新たな香耶の世界の転生者ってことになるわけか」
「……もしかしたらこの炎は私たちを守るために張った結界かもしれない」
そう呟けば、それはずいぶん希望的だねと半兵衛君は肩をすくめた。私が落ち着いているせいか、彼の表情にも焦りの色はなかった。
「大空七属性の中でも嵐の炎は性質上、攻撃性が最も強い。この炎の持ち主に私たちを害する気があったのなら、私たちの命はすでに文字通り、風前のともしびだよ」
「なに、うまいこと言ったつもり?」
「あれ、今のうまくなかったかな?」
びしっと額にチョップされた。
……とにかく、“嵐”をこんなふうに使うなんて、普通に考えてありえないことだ。
私は刀を腰に差しながら立ち上がって客間のふすまを開く。視界を染める炎の赤を前に、一度大きく深呼吸した。
「香耶……炎の外は、たぶん戦場だよ」
私の横に並んだ半兵衛君が羅針盤を携え私と手を繋ぐ。わざわざ自分から手を塞ぐ下策を打つなんて。
「皆戦っているんでしょう? ならばここで行かなければ私じゃないでしょ」
「だよねぇ」
顔を見合わせて、私たちは笑いあった。
「夜の炎で外に出るよ」
「気をつけて。物的な攻撃からはある程度守ってあげられるけど、婆娑羅や死ぬ気の炎の迎撃は俺には少し厳しい」
「わかってる」
婆娑羅や死ぬ気の炎などの超自然の力を迎え撃つ場合、無双武将だけはその成否をフィジカルな能力に頼ることになる。それを可能にしている彼らの武器の性能は刀匠明月が最高のレベルに引き上げたものだが、これらを扱うのは最終的に彼らの肉体だ。
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