かたほとり譚歌
※「邂逅」をテーマに勢いで書きちらした短文。「私と、愛刀、狂い桜」→「空模様、マフィアびより」→「なまケモノシリーズ」→現代、とトリップした香耶さんが、終の棲家で過去の仲間達と再会したりしなかったり。
玄関のドアを開け閉めする音で、短い午睡から目覚めた。
カーテンの隙間からこぼれる強い日差しに、左の目の奥がツキンと痛む。
「うぅ……遮光カーテンに目張りしたほうがいいかな……」
力の篭もる眉間を押さえ指で揉み解していると、リビングから「香耶ー!」とかしましい声が聞こえてくる。
ずぼらな香耶に何かと世話を焼いてくれる、頼もしい友人の声だ。このマンションのオーナーでもあるその友人は、香耶のあまりに不規則で不健康な生活を危ぶみ、自由に部屋に上がりこんできては野菜や惣菜を置いていってくれる。
そんなありがたい友人は、勝手知る他人の家でまず持ってきた食材を冷蔵庫に突っ込み、そして迷いなく香耶の寝室まで来てドアを開け放った。
「香耶ったら、こんな時間に寝て。ちゃんと夜に寝て朝起きないと、また身体壊すわよ!」
「朝起きるのって、つらいよ」
「もう、なに言ってるの。普通の人間の身体は太陽が昇ってるうちに活動するようにできてるのよ」
「千に迷惑はかけないよ……だからちょっとは勘弁して」
「バカね。迷惑かけたくないって思うんなら心配させない。次、床に落ちてたら救急車呼ぶわよ。昼の薬は飲んだんでしょうね?」
「…………ごめん。忘れた。ってか昼過ぎてるの?」
「香耶〜」
これ以上口を開いても墓穴を掘るだけなので、香耶は軽く息をついて肩を落とした。
真っ黒に染めた髪に手櫛を通し、そしてベッド脇の机にある化粧用コットンを、見えない右目にあてがい眼帯で押さえる。たとえ数日化粧も外出もしていなくとも、眼帯だけは必ずつけていた。
「仕事のほうはどう?」
「んー、べつに平気。編集部と作画さんのほうでなんかトラブってるっぽいけど、私は構成チェックするだけで今までどおり気ままにしてればいいし」
「そう。趣味が高じてお金になるってすごいわね」
と、もの珍しげに資料で散らかった部屋を見渡す千姫こそ、じつは鈴鹿グループの本家筋の跡取り娘だったりする。
そして香耶はというと、web上でちまちまものを書いては不安定に小金を稼ぐオンライン作家である。
「メディアミックスはありがたいけど、必ずしもいいことばかりじゃないさ」
「そうなの? 裏事情はよくわからないけど私は楽しみだわ。これで香耶の作品が有名になるのなら嬉しいし」
「ま、私も嬉しいし楽しみなのも認めるよ」
眼帯の上から朱色のフレームの遮光眼鏡をかけた香耶は、千姫とともに明るくすっきりと片付いたリビングダイニングへと移動した。
「今日は陽が出たり曇ったりしてるわね。カーテン閉めたほうがいいかしら」
「開けておけばいいよ。寝起きじゃなければそんなにきつくない」
「そう、ならいいけど」
言いながら千姫はキッチンに向かい、電気ケトルから湯冷ましに湯を注ぐ。美しい漆の茶筒から取り出す茶葉は、千姫が取り寄せ買い求めた八女の無農薬の高級玉露だ。
リビングにまでただよう緑茶の奥ゆかしい香りを深く吸い込みながら、香耶は少しだるさの残る身体をソファへと沈めた。
(……衰えたなぁ。幕末にいた頃も、マフィアだったときも、戦国乱世で隠棲を目指していた頃も……なんだかんだで荒仕事ばかりしてたのに)
ソファのふちに頭をもたげ、自分のてのひらをじっと見つめて香耶は考える。
不老不死や、羅刹、死ぬ気の炎……特殊な力を一度に全部失って、彼女に残されたのは弱い身体と短い余命。
病弱で、日光に弱く。特殊な義眼は形をたもてなくなり、ただの石に戻ってしまった。
(これが時渡り能力者の末路、か)
自嘲の笑みを零す。
彼女は知らなかった。不老不死も、時渡りをする過程で得てきた能力も、永遠のものだと思っていた。そう、覚悟をしていた。
けれど。
「香耶、大丈夫? 目が痛いの?」
「違うよ、千。ただてのひらを見ていただけだ」
「なによ、まぎらわしいわね。お茶淹れたわよ」
「ありがとう」
前世の記憶などかけらもない友達に優しく世話を焼かれて、充分な糧を得ながら、こうして世界の片隅で静かに生涯を終わらせる。
(……これが散々に業を重ねてきた私の、終の棲家だというのなら)
世界とは、なんと理不尽なものだろうと。香耶は残った左目を細めた。
「それじゃあ、私はこのあと仕事があるから帰るけど、ちゃんと夜ご飯食べて忘れずに薬飲むのよ。夜更かしはしないで12時前には寝ること」
「はぁい」
「……心配だわ」
「平気だって。行ってらっしゃいマイダーリン」
「誰がダーリンよ!」
玄関でいつものふざけたやり取りをしたあと、エレベーターホールで多忙な千姫を見送り、香耶は室内へと身を翻す。
台所で冷蔵庫を覗くと、おやつ用のプリンが入ってたので、それを立ったまま平らげて容器とティースプーンをシンクに放置。
コップに半分ほどの水道水を一気飲みして、さて部屋に戻ろうとリビングに足を踏み出したところで、テレビ台の上にあるレンタルビデオ店の袋が目に入り、香耶は数拍動きを止めた。
「あれ……今日だっけ。今日……だな」
映画、返しに行かないと。
こうして予期せぬ外出を強いられることになってしまったのである。
ピエトラスカーラと名づけられたマンションの、平石を敷き詰めどことなく懐かしさを感じさせるホール、エレベーターを降りると、長椅子を配したおしゃれなエントランスで常駐するコンシェルジュがにこやかに会釈した。
「あら、香耶さん。こんにちは。お出かけでしたらお伝えするようにと、千姫様から伝言を預かっております」
「こんにちは。千から伝言? なに?」
まぁ、なんとなく予想は付くけど、なんて香耶が肩をすくめると、コンシェルジュも苦笑した。
「せっかく出かけるのならちゃんとおしゃれしなさい、と……」
「やだなぁ、彼女はどこかから私を監視でもしてるのかい?」
「まさかそのような」
香耶の格好は黒のデニムスキニーにスウェットプルオーバー。部屋でもだいたいこんな感じである。
「どうせ目的地はすぐそこだよ」
「また姫様に叱られてしまいますわよ」
「君菊さんが黙っていてくれればばれないさ」
「仕方のないお方ですね」
くすりと微笑むコンシェルジュ、君菊の顔は、香耶の知る妖艶な芸妓と同じものだった。
「そういえば、香耶さんは姫様からお聞きになりまして? こちら来週から24時間有人管理になりますのよ」
「え、そうなの? 深夜もコンシェルジュがここにいるってこと?」
「ええ。新しく夜勤の方が入られて、巡回や警備もいたしますから、少々サービス内容に変更がございます。詳しくはこちらの紙に」
「なるほど。警備員を兼ねるんだね」
「香耶さんのフロアにその新しい方が入られますわ」
「え、ほんと?」
本当です、とうなずく君菊はいやに嬉しそうに見えた。
このマンションはワンフロア二世帯のつくりで、香耶が住む階のもうひとつの部屋はちょうど先日空いたところだったのだ。
「素敵な殿方でしたわ。たまにご友人にもお部屋をお貸しになるとか」
「そう……あまりうるさくないといいけど」
「それはもちろん充分に気をつけるとおっしゃっていましたし、なにかご不満があれば直接お申し付けくだされば最善の対処をいたします」
「あ、そうか。仕事はここのマンションコンシェルジュだもんね」
貰った紙を小さく折ってデニムのポケットに押し込んだ香耶は、薄い財布が同じポケットにあることを確かめて、レンタル店の袋を小脇に抱えなおす。
「じゃ。日が落ちる前に帰ると思う」
「長く引き止めて申し訳ございません。それでは行ってらっしゃいませ」
「うん。君菊さんもおつかれさま」
会釈をする彼女に手を振って、香耶は共用玄関を出た。手入れの行き届いた植木を眺めながら、緩やかな石畳のポーチを渡る。
そして門から歩道へと出ようとしたところで、アウディのSUVと鉢合わせた。
結構勢いよく入ってきたので一瞬ひやりとしたが、接触などはしなかったので気にせず素通りしようとする。
だが、なぜか車の持ち主は、ポーチの端に車を寄せると少し焦った様子で降りてきたのである。
「お待ちを!」
呼び止められて、香耶は歩みを止めた。
それだけではない。
その声に聞き覚えがあって、香耶は男に背を向けたまま言葉を失った。
(なぜ……! ……いや、彼に前世の記憶があると判断するのは早い。千姫も君菊も私を覚えていなかったのだから)
ふと、冷静になった香耶の脳裏に君菊の言葉が甦る。
『香耶さんのフロアにその新しい方が入られますわ』
その人物が今、彼女の背後にいる男である可能性。それに気付いて若干のめまいを覚えた。
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