春眠不覚
斎藤一side
今日は朝から総司がおかしかった。
たとえ校門前で風紀委員の服装検査にひっかかったとしても、教室で喧しいクラスメートにしつこく部活勧誘を受けたとしても。
いつもなら気だるい様子で適当にあしらうものを、今日は常に心ここにあらずといった表情で、あらぬところを見つめてはたまにぼんやりとため息をつく始末。まるで初恋を知ったばかりの子供のようだ。
あの傍若無人の風紀委員長にまで「そいつ風邪でも引いてるんじゃない? 迷惑だからさっさと帰らせなよ」などと言わせたほど。
ちなみに総司は断じて風邪など引いていない。健康だ。今朝方山崎君の太鼓判も貰っている。
そんな調子のまま、今は昼休憩。
「総司。気味の悪いその顔をなんとかしろ」
「ちょっと一君。一番の兄弟分の僕に向かって、言うに事欠いてそれ?」
誰が一番の兄弟分だ。せめて古馴染と言え。
総司のセリフに若干の悪寒を感じたのは、俺が正常な証しだと信じたい。
あいにくだが教室での俺の席は窓際の総司の目のまえだ。それゆえ休み時間、教室移動、昼休憩と学校でのほとんどの時間をともに過ごすことになる。
さらには帰る家も新選組本部と同じなうえ、幹部は大体学校から帰れば道場に直行し鍛錬する。皆で夕食を終え各々の部屋に戻るまで、生活の大半を俺はこの男から一定の距離以上離れることなく送っているのだ。
つまり総司がこんな状態で、気にならないはずがない。むしろ気が散ってしょうがない。
俺は昼休憩が終わる直前になって、奴を問いただすことにした。
「総司。今日は対人的な対応に甚だしい違和があるようだが何かあったのか?」
「……なんでそんな回りくどい言い方? そんなに不快だった?」
「否定はせん。では率直に聞くが、あんたのその上の空の理由はなんだ」
慣れている総司は俺のドライな物言いをさして気にすることもなく、にやりと笑って俺を見た。
「じつは香耶さんのさぁ、」
「やはりか。そろそろ次の授業が始まる。早く教科書の用意をしておけ」
「ちょ!? まだ途中! まだ途中!」
あわてる総司に俺は盛大にため息をついた。
「あんたがおかしくなる理由など、昔から香耶をおいてほかになかったな」
「そう言わずに聞いてよ。一君だって知ればきっと平静ではいられなくなるって」
言いながら総司が机の中から取り出したのは、自身のスマートフォンだった。
そしてそれをイヤホンに繋ぎ、画面に指を滑らせ、周囲の声やスピーカーの音量を気にするそぶりを見せたと思ったらイヤホンの片方を俺に渡してくる。
それを受取りながらも俺の脳裏に一抹の不安がよぎり、眉をひそめた。
「もしやこれになにかいたずらが仕掛けてあるのではあるまいな」
「……一君が僕のことをどう見てるのかよーくわかったよ。安心しなって。何もないから。ていうか僕も一緒に聞くし」
「…………」
そうまで言われては信用するしかあるまい。
しぶしぶとそれを己の耳に装着すると、総司は携帯を操作した。そして流れてきたのがこれだ。
『総司君。いつまで寝てるの。遅刻しちゃうよ』
「……なんだこれは」
「ボイスレコーダーで録りだめた香耶さんの声めざまし」
「は?」
促されるまま黙って聞いていると、次々と聞こえてくる『起きなさい』や『朝ごはんの時間だよ』などの香耶の声。
「一君はいつも早起きだから知らないかもしれないけどさ、幹部隊士が朝寝坊しそうになると五回に一回くらいの確率で香耶さんが起こしに来てくれるんだよね」
「なんだと?」
総司の言葉に俺の眉尻が跳ね上がった。
「あんたはそれを狙ってわざと毎朝寝坊をしていると言うのか……!」
「そんな怒んないでよ。僕だってリスクを抱えてるんだから」
起こしに来てくれるのが千鶴ちゃんとか無害な隊士ならまだしも、土方さんの怒鳴り声や骸君の幻術をくらって叩き起こされた日には……、などと言いながら総司は顔色を悪くする。だったら最初から寝坊のふりなどしなければいい話だろうに。
「では今朝からあんたの様子がおかしかったのは、香耶が起こしにきたゆえ、か」
「香耶さんが起こしにきただけなら、僕もこんなに悩まなくてよかったんだけど……」
苦笑しながら操作する総司の携帯の画面上には、まだ膨大な数のフォルダアイコンが…………いや、見なかったことにしよう。内容など恐ろしくて聞けん。
「……で、これが今朝、香耶さんが起こしに来てくれたときの会話」
『──総司君、これ以上君の寝坊癖が抜けないようなら、一計を案じさせてもらうよ?』
『一計……?』
『そうさ。明日の朝、君が早く起きれたらご褒美を。寝坊をしたら罰を与える。どちらを選ぶのかは総司君次第』
ご褒美と罰、だと? そんなもの、選ぶまでもないだろう。
『……先に聞いておくけど、その罰って香耶さんが僕に与えるものなんだよね? 土方さんが代わりに起こしにくるのが罰とか言わないよね?』
『言わないよ。私が君に直接与える。ただし、明日の朝限定だよ』
それは……。
思わず総司に目を向けると、目のまえの男は頬を淡く紅潮させて、目元を手で覆っていた。
「どうしよう一君! 香耶さんのご褒美と罰……僕どっちかなんて選べない……!」
「……」
こいつの頭の中は、俺が思った以上に重症だったようだ。
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