ななくさばやし
「山南殿ー、出不精の香耶が屋敷にいない」


夕方、心配顔の半兵衛が居間を覗くと、そこでは長火鉢で餅を焼く山南の姿があった。

「はぁ、またお餅かぁ」

「松の内は仕方ありません。米がよいものと気づくのが正月というものです」

「あはは、確かに」

半兵衛は居間を温めるついでに餅も焼く火鉢に近づいて、冷えていた手足をかざし暖を取る。

「ですが明日の朝餉には違うものが食べられそうですよ」

「え、ちがうものって?」

「今、香耶が風魔君と伴太郎をつれて若菜を摘みに行っていますからね。そろそろ帰ってくる頃じゃないですか?」

「若菜……あ、明日は人日(じんじつ)だ」

「そういうことです」



一月七日の人日は一年で最初の節句で、春の七草入りの粥を食べて邪気を払い、無病息災を願うものである。

そのうち台所から戸を開けたり下駄を踏み鳴らす音が聞こえてきて、香耶が帰ってきたと知る。
普段歌などほとんど歌ったりしない彼女の声で、「ななくさなずな、とうとのとりが……」などと口ずさむ声が聞こえてきて、半兵衛は珍しげに耳を傾けた。

「なーにこれ」

「この囃子は形は違えど室町時代からあったはずですが……一般に広まるのはもうすこし先の時代でしたかね。まぁ、若菜を刻むときに歌う定番歌ですよ」

「ふぅん。台所から唄が聞こえるって、なんだかいいね」

「……幕末にいた頃、仲間のひとりが今の竹中殿と同じようなことを言ったのを思い出しましたよ。まるで新婚みたいだと」

「へぇ? その仲間って、男だよね」

「男ですね」

正直に答えれば半兵衛は面白くなさそうに頬を膨らませる。
その仲間はのちに香耶の夫になった男だが、とは山南の胸のうちに留め置かれた。



「ただいま戻りました」

そこに幸村がそっとふすまを開けて入ってくる。彼の耳にも香耶の歌声は当然聞こえていて、ほほえましげに頬を緩めていた。

「幸村殿、その手に持ってるのは?」

「これは諸白です。婆娑羅屋の主が挨拶にと」

「ほんと? 香耶が喜ぶんじゃない?」

「ええ。ですが今厨に入っては、おそらく香耶の唄を止めてしまいますので……」

「ああ、それは惜しいね」

彼女の歌声ならば聞けるだけ聞いていたい。そんな幸村の配慮に半兵衛も同意する。

そんな三人に小太郎がふらりと音も無く加わって、いつの間にか無双武将が勢ぞろいした。
どぶろく持参の小太郎の視線は幸村の持つ諸白へ。

「クク、上等な酒の匂いがするな」

「なっ、駄目です。これは香耶のものです」

「君の嗅覚は一体どうなっているんですか」

心底呆れた表情の山南にも小太郎は余裕に笑む。
香耶なら上等な酒を独り占めなどするまい。きっと好物のそれを仕方ないなと言いながら平等にふるまう。

ここに伴太郎が十能を手に居間へやってきた。

「山南。香耶が、そろそろ燠を注ぎ足す頃合だろうと」

「おや、ありがとうございます。ちょうど餅もいい頃合ですし」

その伴太郎の後ろから、人数分の箱膳を運んでくるのは婆娑羅の風魔である。
山南が金網をどけると伴太郎が火箸で新しい燠を入れる。ついでに燗器を灰に埋めて酒の燗をしておくのも忘れない。
半兵衛が五徳を置いて夕餉の鍋を乗せれば、ふたを開けて中をのぞき見た彼は、あっと声を上げた。

「粕汁だ」

「ふふ、香耶が好きなんですよ。さあ、風魔君、香耶を呼んできてください」

寡黙な風魔がこくりと頷き小さな風の婆娑羅とともに姿を消した。

彼女の歌は、いつの間にか止んでいた。



※この後現れた香耶さんは、みんなに歌を聞かれてたと知り赤面するのである。(2014/01/03)

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