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(無双)竹中半兵衛side



はぁ、と重くため息をつく。

縁側にごろりと横になり、ひさしに吊った下げ灯篭をじっと見つめていると、目のまえの部屋の主が自室の前で寝てる俺を見て驚いた顔をした。

「竹中殿、このようなところで寝ていては危険ですよ」

「わかってる。寝てはいるけど眠らないよ」

むしろ、眠れない。それは幸村殿も一緒のはず。そう言うと彼はたしかにと俺に同意して、自室に戻らず俺の隣に腰を下ろした。

俺の部屋より幸村殿の部屋のほうが香耶の部屋に近い。というか戸棚を挟んだ向こう側だし。
ここにいれば、香耶の部屋から彼女と風魔殿がぽつぽつとなにか話している声が聞こえてくる。



「…………香耶に、八つ当たりしちゃったかも」

嫌われたかなーと冗談ぽく呟くと、幸村殿の視線がこちらに向いた気配がした。

「香耶が作業蔵の小上り四畳で寝るのは今日に限ったことじゃなかったし、俺たちにも油断があった。香耶が屋敷の敷地から離されたのも不可抗力だってわかってるし、婆娑羅者の忍がふたりがかりで張った結界のせいで吉継君にまで動いてもらわなきゃならなかったし……」

「竹中殿……」

「あーもう……なんで香耶ばっかりひとりで怪我してるんだろ」

これじゃあ俺、軍師失格だ。

俺が珍しく人前で吐く支離滅裂な弱音を、幸村殿は黙って聞いていた。



みんなが寝て暮らせる世が、もう手の届くところにある。
この世の誰でもなく、香耶ひとりの細腕にかかっているんだから、皮肉な巡り会わせだ。

最初はこの婆娑羅者の世で、俺はただ、香耶と自分の世界だけを守っていけたら……それだけでよかったのに。
どこまでもつづく空のような度量に、月輪と例えられた徳望。特異な彼女を時代が……世界が放っておくわけがなかった。



「面倒臭いひとを好きになったもんだよ」

「……では、あきらめるのですか?」

ぽつりと投げられた問いに、俺は初めて横に座る男に目線を向けた。
幸村殿はひとから正直で直情的な性質だと思われがちだけれど、実は老獪で油断のならない人物だと俺は思ってる。だってたとえ戦に百戦百勝したとしても、それだけで“日の本一の兵”の名声は得られないだろうから。



「それができたら俺は、俺じゃなくなるよ」

もしも香耶が他の誰かと結婚しても。

もしも香耶が俺を突き放して、殺そうとしてきても。

もしも香耶と、死に別れたとしても。

「俺って案外執念深いのかな」

この胸に宿る想いは、消えてなくなったりしないって。
それだけは、確実に言える。



幸村殿は、それを聞いて口元に微笑を浮かべた。

「我々のために笑って毒を呑むことができるひとを、そう簡単に諦めきれるわけがないでしょう」

「そうだね……」

彼女が守ると決めたなら、毒も、危険も受け入れる。きっと俺の八つ当たりも。
愚かで、憎らしいひと。俺をこんな気持ちにさせるんだから。



俺は勢いをつけて立ち上がり、耳を澄ませる。声は聞こえてこない。香耶、寝ちゃったかな。
彼女の部屋に足を向ける俺に、幸村殿はその場を動かず声をかけた。

「……信玄公はやはり恐ろしい人です。あれが佐助の独断専行だとしても、おそらく信玄公ならそれすらも利用してくる」

「世界は違えど狡猾な甲斐の虎かぁ」

俺はまだこの世界の信玄公に直接会ったことはないけど、幸村殿が言うならそうなんだろう。

そんな忠告を心の中に留意しておいて、香耶の部屋のふすまをそっと覗く。
綺麗に髪を切りそろえた香耶は、風魔殿の胡坐に上半身を預けて寝ていたのだけど、その表情は眉間にしわを寄せていて、お世辞にも安らかな眠りとはいえそうになかった。

「うなされてるの?」

「呼吸のたびに痛むらしい」

彼女の首筋に手で触れて、滲む汗を拭うように撫でる。少し熱っぽいかな。
いつもならそばで何かしててもなかなか起きたりしない彼女が、今日はやっぱり眠りが浅かったらしい。うっすらと目を見開いて、神秘的な色の瞳で俺を見上げた。



「ごめん、起こして」

「…………半兵衛君、大丈夫?」

なんて、掠れた声で訊いてくるものだから、俺は瞬いた。

「大丈夫って……ふつう俺が香耶にかける言葉でしょ」

俺は怪我してないのに。

でも、香耶なら俺が落ち込んでたの、解っちゃったんだろうな。
襲撃を先読みできず、香耶に怪我させた。香耶が俺を責めたりするわけない。だから自分で自分を責めなくちゃ。

香耶を喪ってからじゃ、後悔したって遅いんだから。



「私は……大丈夫じゃない」

浅く呼吸を繰り返しながらつむがれた言葉は、香耶にしては意外にも弱弱しいものだった。

「香耶……?」

「痛いし、暑いし、眠れないし、苦しい、し」

伸ばされる細い手を思わず掴む。

「独りで耐えるなんてもういやだ」

「……うん」

「そばにいて、泣き言をきいて」

「うん、」

「手を握って、頭をなでて」

「うん、うん」

「ずっとわたしを離さないで、心配してくれたら……いいのに、な」

「してる……俺がしてあげるよ」

夢うつつで吐き出される香耶の本心に、応える俺の声が微かに震えた。



君の望みなら俺がなんでもかなえてあげる。

俗世を離れ静かに暮らしたいなら逃げてしまおう。実りが良くて、温泉が湧いて、戦が無い。そんな夢みたいな土地を探そう。もう君が自分を犠牲にしなくていいように、大事なものだけを持っていこう。

だけど。

欲張りでわがままな俺の月輪は。
本当はただ独りが怖いと、子供のように泣き叫んでいたんだ。

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