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月神香耶side
洗浄剤については基本的に手作りの灰石鹸を使っている。
特に素肌に使うものに関しては菜種などの高価な植物油脂を惜しみなく使って、植物灰からアルカリを抽出し、釜炊きで石鹸を製造するのだ。牛脂や魚脂等で作るものは臭気があるので洗濯や台所用。
しかし基本的に日本には油脂原料が少なく、これを一般庶民に広めるとなるとやっぱり採算が合わないし、まず需要が少ない。そのため石鹸の製造は厚木のあたりの強アルカリの温泉里で極秘にほそぼそと行われるようになったのだが、これが近い将来強力な輸出品となる可能性があって少し怖い。石鹸の製造が歴史に及ぼす力は存外大きかったりするのだ。
髪を石鹸で洗ったらお酢を希釈した湯でリンス。若干酢臭くてもこれは使う間だけで、流せばにおいなんて残らない。……けど柑橘の汁とか入れて香りを楽しむのもいいな。
ここまでやって、貰った真田紐で髪をまとめて上げ、身体も洗ったらゆったりとお湯に浸かってお風呂タイムは終了した。
洗い晒しの湯上りを着て、手拭いで髪をわしゃわしゃとかき混ぜつつ台所に戻ると、そこには敬助君に伊達さんに幸村、さらにさっきまではいなかった半兵衛君がいて、私を見て「お、湯上り美人」なんて囃してくる。
幸村が私の手を引いて板間の上がり端に座らせると、彼は後ろに陣取って手拭いで丁寧に髪の水分を取っていく。
それを見て半兵衛君まで私の隣に座って、私の指先を手に取りいじり始めた。
「爪、切ってあげようか」
にっこり微笑んだ彼の懐からまたも出てくる鋏。なんでみんなして鋏必携なんだよ……。
まさか私に鋏を持たせないため? 私の髪を私から守るために? いやいやまさかねぇ。
「香耶、刀まで持つなとは言わないけど、あれは髪を切るためにあるものじゃないからね?」
そのまさかだった。
「そういえば、香耶は幕末にいた頃、一度自分で髪をばっさり切り落としたことがありましたねぇ」
「い、いやあれは……なりゆきと言うか、やむを得ずと言うか……」
敬助くんんん! 今ここでそれ言う!?
それを聞いた半兵衛君が、やっぱり、なんてしっぶーい顔をした。
「あーもう! 香耶に刃物を持たせるの、すごく心配!」
「くくっ! そんなこと言われるswordsmithは後にも先にも香耶だけだろうな」
「まぁ、刀匠としては立つ瀬がありませんね」
「ひどいなみんな!」
あんな軽い気持ちで言った独り言が、ここまで大ごとになるとは思わなかったんだけど。みんな私の髪に夢見すぎ。
……でも、悪い気はしないんだ。
なんだかすごく大切にされてるみたいで。
その後、家族と居候が全員居間に集まって、すこし遅めの豪華な朝餉をとった。
旬とはいえやや早いカボチャはあっさりとしていてこれはこれでオツなもの。つか六月に冬至なんきんかよ、とは思ったがこの風習は明治からとか。西瓜の出来は、まぁこんなものかって程度。こればっかりは仕方ないな。研究あるのみ。
私は美味いものが食べられればそれでよし、だ。
ご飯の後は歯を磨いて、婆娑羅小太郎が干しといてくれたお布団で爆睡した。
食ってすぐ寝るのかよ、なんて伊達さんに言われたけどこっちは徹夜明けなんで勘弁。
目が覚めたら辺りは茜色の夕方で、私の布団の横で無双小太郎が肘枕で楽寝にふけっていた。
それを横目に、ふわふわと空気を含んだ髪を手ぐしで整え、ふと思い出して袂に入れてあった真田紐を手に取る。
赤い糸と白い糸が巧みに織り込まれた平紐は、なんだか幸村と私みたいだな、なんて笑ってしまった。
私が自分で出来るヘアアレンジなんて高が知れてるけど、横を緩めに編みこみねじって、紐を組み込みながら貴重な手作りのアメリカピンとUピンで適当なサイドアップにしてみると、首もとが涼しくなってなかなか満足の出来。これを見せて幸村にはお礼を言おう。
それにしても真田紐って髪を飾るためのものじゃないんだけど……いいのかね。
さて。
「小太郎君、起きてるんでしょう。着替えるんだから出てってくんない」
「狭量なことよな……」
「私が君の目の前で着替えが出来るほど寛容だとでも?」
いや、それは寛容じゃなくてただの無神経か。
小太郎君を部屋から追い出し洗い替えの作務衣に着替え、井戸場で顔を洗うために庭の下駄をつっかける。
縁側を歩いてくる人の気配に、私はそちらへ顔を向けた。
「あ、幸村!」
呼ばれてこちらを向いた幸村が驚いたように瞠目する。
「もう起きられても大丈夫なのですか?」
「さすがに三刻半寝ればね」
病人じゃあるまいし、と私は笑うが彼は少々心配顔だ。
私だって自分の身体がさほど頑丈でないことくらい自覚してる。羅刹で不老不死であっても基本スペックは現代生まれ現代育ちの凡人なので、無双やBASARAの武将などとは比ぶるべくもない。
「その結い髪はご自分でされたのですか」
「うん……おかしいかな?」
美意識的に、大丈夫だとは思うけど。くのちんだってサイドアップにしてたし、……甲斐ちんなんて見事な盛り髪だった。
視線を落とし、無双世界で男に飢えてた東国一の美女(笑)な親友に思いを馳せていると、いつの間にかそばまで来て膝をついた幸村の姿が視界に入り込む。
私が何事か面白いことを思い出していると解ったのだろう。彼は優しく微笑んでいた。
「お綺麗ですよ。とても」
「ありがとう」
掛け値なしに褒められて、私も自然に笑った。
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