11
猿飛佐助side
今は何も考えたくない。
香耶が蒼白な顔で布団に横たわる理由も。
信繁さんを『幸村』って呼んだ理由も。
──君がどんな罪を犯したって、私だけは君を許し、受け入れる。
あんなにあっさり。
欲しい言葉を吐き出されたら、たまらない。
出会わなきゃよかった。こんな想いになるのなら。
岩付城天守の屋根に上がると、俺を狙って飛来する棒手裏剣。
足を止めそれを避ければ、敵が姿を現した。
「真田忍が偵察か。敵対行為ととらえてよいのだな」
「……あらら。あんた、甲賀の抜け忍じゃないの」
俺はすぐにいつもの笑顔を取り繕った。
伴太郎左衛門。甲賀の地侍、伴一族の頭領だった男だ。特にこいつは貴重な婆娑羅者で、一族は執拗に追っていた。
裁着に大小二刀を佩く姿は一見してただの侍。だがその正体は毒薬、火薬、あらゆる戦術に長じた忍の中の忍。甲賀忍の傑作だ。
「私は香耶に仕える忍だ」
「香耶の周り、厄介なの多すぎでしょ……」
小田原では風魔が香耶に膝をつくのをこの目で見たし。
あのあと真田の旦那を才蔵にまかせ、俺は戦の状況を偵察に来た。
その夜のうちに伊達軍が引き上げてったら、その理由を調べないわけにはいかないでしょ。
ほんと、俺様って仕事熱心な忍。給料上がんないかな。
「よもや忍を下がらせる沐浴の刻を狙ってくるとはな。目の保養になったか?」
「あ、そりゃあもう」
「そうか。死ね」
「うわ! ちょ、それ私情だろ!」
棒手裏剣をさっきの十倍投げられた。
しかもそれと一緒に別の軌道で投擲される苦無。
これは……!
「……伝説か」
「…………」
伴の隣に、風の婆娑羅を纏い現れた風魔。
やっべえ、俺様逃げ切れるか……?
刀匠明月の甲賀手裏剣を両手に構え、ふたりの手練を相手に俺は冷や汗を流した。
伴が懐から短筒を、風魔も対の忍刀を抜き、構えた……そのとき。
「そこまで! 双方武器を下ろせ」
俺たち三人の動きを止めたのは、忍特有の切迫した空気とはなんだか場違いな……例えるなら武田の大将みたいな重さと余裕のある声だ。
振り返ればそこには信繁さんの姿があった。
「猿飛佐助は見逃していい。香耶…殿の仰せだ」
信繁さんの俺を射抜く目線は鋭い。伴と風魔は素直に得物を納めた。
このひとがさっきまで香耶に縋り付いてた人と同一人物とは思えないんですけど……。
だけどちょうどいい。信繁さんには聞きたいことがある。
「あんたさ、『幸村』が本名なの?」
「……そなたの『幸村』に伝え置け。二度はない」
それは事実上の肯定だ。
ふたりの『幸村』。ふたりの『半兵衛』。そしてふたりの『風魔小太郎』。
月神軍は、……おかしい。
「……だが」
ここで信繁さんが嗤った。
たぶん香耶の前じゃ絶対見せない種類の笑みで。
「床に伏せる御方の清めを覗き見る狼藉には斟酌の余地はない。近く制裁を覚悟するのだな。佐助」
「は、はい……」
このひと……怖っ! いちばん怒らせちゃ駄目な人種だ!
そして俺は死に物狂いで遁走した。
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