10

月神香耶side



「あの……大丈夫ですか?」

「うぅ」

沐浴を終え、ご機嫌でその後片付けをしに出て行った半兵衛君と入れ違いに、この仄暗い部屋に入ってきた幸村。
ぐったりした私を前に、見るからに狼狽していた。

さっきの一連のやり取りは耳の良い彼に筒抜けだったらしい。なんで軍師の魔の手から助けてくれなかったんだ。



半兵衛君の仕事は良くも悪くも完璧だった。鋼の理性で私の頭から指先まで薬湯で余すとこなく拭った後、寝汗のしみこんだ単衣も換えて、髪に櫛をいれ部屋に香を焚き湯冷ましでうがいまでさせる甲斐甲斐しさ。
後に残ったのはさらさらの身体と余計な疲労だけという。



頭まですっぽりかぶった夏蒲団が暑くなったので腹まで跳ね除けると、幸村が苦笑してそれを整えてくれた。

「まだ顔色が良くないですね……」

「そんなに? 疲れてはいるけど……貧血かな」

貧血、と聞いた幸村がなにか言いづらそうに口ごもるので、私は正座した彼の膝にとんと拳を置いた。

「ただの貧血だよ。食って飲んで寝れば治る。血なんか飲んでももう意味はない」

「……、」

「大丈夫」

少し笑って、彼の膝をとんとんと叩いて手を引っ込めようとしたが、その前に幸村の手に掴まれた。



「……申し訳ありませんでした」

「幸村?」

「香耶殿をお守りできず……それどころかまた貴女を犠牲にしてしまった」

それは、幸村のせいじゃない。
なんて言い方をしても彼は納得などしないのだろう。

私の行動がどうあれ、幸村の仕事は私の護衛だった。そしてそれを無視して彼を小田原に帰したのは私だ。



「……なんだか遠い」

「え?」

「その香耶殿っての。私のこと呼び捨てにして」

「え、しかし……」

「しかしもかかしもねーの。呼び捨てに、しなさい」

「は……はい。香耶」

「この理不尽な命令を君への罰に代えよう」

私の言葉に幸村は目を見開いた。
布団から微笑して見上げる私を見て、彼はぱっと視線をそらす。

「このような……罰になどなりません」

「じゃあ言い換えよう。私に罰を与えることが、君への罰だよ。幸村」

「なっ……貴女はなにも悪くなど……!」

繋がれた手をぎゅっと握る。
そうすれば幸村は声を荒げた自分を恥じるように口をつぐんだ。



「心配をかけてごめん。特に君には心労をかけた」

「いいえ……貴女を心配するのは当然のことです」

「幸村。心のうちに溜め込んでいるものを我慢せずに言ってごらん」

「…………私の、直情などただ卑屈なだけです。貴女に嫌われたくない」

彼の手の甲を指でさすると、彼は少し逡巡した後口を開いた。



「貴女の周囲は……優秀な武将や忍が集まってきます」

「うん……」

「私にはもう貴女に近づく資格などない、と」

「あはは、本当に卑屈だ」

「う……だからそう申し上げたでしょう」

落ち込んだ様子の幸村に私は苦笑した。



「以前にも言ったけど、私は君を役に立つからという理由でそばに置いてるんじゃないんだよ。月神軍なんて私たちをさすのに都合がよかったからついた呼び名で、私は私兵集団を作りたかったわけじゃない」

ましてや幸村に完璧な臣下でいることを望んだりなんかしていない。

「うじうじ卑屈になって、落ち込んだっていいんだよ。私は君を嫌いになったりなんかしない」

「……は、い」

「失敗を恐れなくていい。自信を持っていい。幸村らしくいればいい。君がどんな罪を犯したって、私だけは君を許し、受け入れる」

「はい……」

「私たちは主従である前に、家族だ」

「はい」

「誇っていい。君は私に必要とされている」

はい、と吐息混じりに吐き出された応えは熱っぽく聞こえて。



「香耶……貴女が私の主でよかった」



私の指先をまるで繊細な硝子細工を扱うように持ち上げて、口付けを落とす。
そうしていろんな覚悟を決めた顔で。力強い声で。幸村は日の本一の兵と言われた精悍な顔で綺麗に微笑んだ。



かたり、と天井裏で微かに物音が聞こえたような気がした。

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