09
月神香耶side
温い布でぐいぐいと顔や首筋を擦る感触に、私はぱちりと目が覚めた。
「あ、れ……朝になってる」
「ざーんねん、今は昼だよ」
にょきっと視界に入る半兵衛君は、にっこにこに笑っててなんだか逆に空恐ろしい。
畳の上に敷かれた上等な布団と格子窓から、自分が寝かされている場所を岩付城の天守か櫓内だとあたりをつけた。
格子から入る陽光は直接当たってはいないが少し苦痛で、寝なおす気にもなれず布団から起き上がろうとすると、それを半兵衛君に押し留められた。
「光が眩しいんだね。ちょっと待ってて。木戸を閉めるから」
「……いや、大丈夫。これからずっと暗闇で生活するわけにもいかないし、慣らさないと」
「そんな青い顔で何言ってるの。せめて今日一日くらいは暗いところでゆっくり寝てなよ」
「う」
人差し指でおでこを押され、浮かせた背中が布団に沈む。
そんなに酷い顔してるのか……たしかに疲労感半端ないけど。
半兵衛君がぱたんぱたんと窓を閉めれば、あんなに明るかった部屋が仄暗く暮れて、私は無意識に深く息をついた。
「伊達軍は朝までにしんがりを含め全部隊が撤退したよ。それ聞いたとき、ぜったい香耶の仕業だろうなって思った」
「……ごめん、勝手に」
「ほんと、俺がいないところで勝手に無茶して」
半兵衛君は再び枕の横に腰を下ろし、すこし不機嫌そうに私の鼻を軽くつまんだ。
「……敬助君は」
「あのひと朝には起きて今は精力的に事後処理中。吸血衝動が出たわけじゃないから元気だよ。香耶にはあとでお説教が山ほどあるかもね」
「うへぇ」
早々にくじけそうな私に半兵衛君は微苦笑する。
「着物を血だらけにして運ばれてきたからびっくりしたよ」
「あれは……私の血じゃないよ」
「理由は聞いてる。でもね、」
盥の湯で、私の顔を拭いていた手ぬぐいを絞ると、よもぎの香りがふわりと漂う。
こうした薬草を入れたちょっと贅沢な沐浴が、私は好きで。
きっと、半兵衛君なりに私を甘やかしてくれてるんだろう。
「参っちゃったよ……心臓が止まるかと思った」
「半兵衛君……」
「風魔殿に抱かれた香耶が、死体に見えてさ」
彼の手が私の単衣の衿を寛げると、肉付きの貧弱な上半身が外気に晒され、なんとも落ち着かない気分になる。
柔らかな手ぬぐいが素肌を拭い清める感触に、ぞくりと背筋が緊張した。
「香耶が死んだら、……俺も死んでいい?」
「なん、」
「はい背中向けて」
本気なのか冗談なのかわからない言葉に翻弄されてしまう。
言われるままにうつ伏せになれば、顔が見えないぶん半兵衛君の声が鮮明に聞こえる気がした。
「……香耶」
髪をかき上げられ、うなじから背中へと布が滑る。
その手の動きはしばらくして止まり、かわりに耳元にそっと唇を寄せられて、私は身を竦ませた。
「好きだよ」
「…………っ」
「はい上向いて」
存外強い力で仰向けに転がされた。
再び視界に入った半兵衛君の顔は、いつもの調子、いつもの笑顔で、もうなにが冗談でなにが本気かもわからない。
ただ、彼の手が単衣の腰紐を解こうとしているのに気付いて、私は我に返ってあわてた。
「ま、待って、下は自分で」
「なに今更。その単衣、誰が着せたと思ってるの?」
「……女中じゃ、」
「残念。俺だよ。意識の無い香耶に不用意に外部の人間を近づけたくないからね」
その言葉に頭を抱えた。
今、単衣の下は湯文字さえ着けてない。すっぽんぽんである。
「安心してよ。まだ手は出さないから」
「まだって」
「でも欲情はするかも」
安心できる要素がひとつも無かった。
「大人しくして。部屋の外を幸村殿が警護してる。そんなあられもない姿をみられてもいいの?」
「それは女を手篭めにする悪党の言うせりふだよ、半兵衛君」
「あはは、言い得て妙だね」
なにがあははだ信用できるか!
私が強情に腰紐を守っていると、半兵衛君の手が太ももを撫でてくる。
それを条件反射で払いのけるとその隙に、最後の砦の腰紐がするすると引っ張られ単衣のあわせはしっかりばっちり開帳した。
「ふおぉ!?」
「優しくしてあげる」
「沐浴をっ、沐浴をだからね!」
「うんうん」
…………もうお嫁にいけない。なんて、言葉のあやだけど。
でも半兵衛君なら、じゃあ俺が貰ってあげる、ってかわらず笑って言うんだろう。
うぬぼれじゃ、無く。きっと彼は、冗談なんかひとつも言わなかったのだろうから。
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