十
月神香耶side
長く住んでいた隠れ家を出た。
今まで、買い物に出かけたりすることはあったけれど、ここを旅立つのは、初めてだ。
松本さんには悪いけど、衣類や家財、家畜など、売れるものは売ってお金に換えた。
ちぃは、かいだめた煮干がなくなったら、野良猫に戻るのだろう。
そうして私たちは、安穏から背を向け、ゆっくりゆっくり歩みを進める。
「香耶さん、つらくない?」
「うん」
額に浮かぶ汗を拭う。
隠れ家を出ると右も左も分からなくなってしまう私は、総司君に差し出された手を握って、前へと引いてくれる逞しい腕力に身を任せた。
やさしいな。総司君。
彼の好意と優しさに、ゆったり流されるように身を任せて。
「ごほっこほ、」
「大丈夫?」
背をさする温かい手に甘える私は。
総司君に出会った頃より容態は確実に悪化しているのに。
こころは反対に満たされていた。
「総司、くん……私の話を聞いて欲しい」
「…無理はしないで。ゆっくりでいいから」
街道沿い。新政府軍に見つからないよう木陰で身体を休めながら、私は途切れ途切れに口を開く。
「私にはね、将来を約束したひとがいたんだよ」
「……そ、う」
「ずいぶん昔に、道は分かれてしまったのだけど」
「……」
「私は別れてしまった道から、まばゆく輝く彼の先行きを祈っていられれば、それでよかった」
十年以上も前だ。眩しく輝いていたこと、優しくしてくれたこと……彼のことで覚えていることは少ない。
それでも。愛にあふれた思い出はあって。
それだけで、生きて、死んでゆける。そう、思っていたのに。
総司君が、私の頬を撫でた。
「ならどうして、僕についてきてくれたの?」
私はすぐそばにある彼の顔を仰いだ。
「だって、君が」
私だけに向けられた新緑の瞳に、仕事を忘れていたはずの私のポンコツの心臓は、どきどきと早鐘を打つ。
もしかしたら、父代わりの松本さんが、朽ちようとしている私のために仕組んだ出会いだったのかもしれない。
「君が私に向けてくれる想いが、私に熱を思い出させたから」
育つ恋は悲しい色をしている
でも後悔はしない
そう、命を懸けて誓える
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