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沖田総司side
「香耶さん。男とふたりきりにならないでよ」
「ごめんごめん。なりゆきでさ」
廊下の壁に香耶さんを押し付けてすごんでみるけれど、彼女は仕方ないなと笑うだけ。
このひとはほんと僕の嫉妬心がわかってない。
そうしていると、廊下の角からさっきの芸妓が現れた。
その君菊という芸妓は、僕達の姿を認めると、気を利かせたのか一礼して去ろうとしたが。
「あっ菊…いや君菊さん!」
香耶さんはあっさりそちらに意識を移してしまった。
「……香耶様、お久しぶりどすなあ」
「ほんとひさしぶりだよね」
香耶……さま?
「知り合いなの?」
「ええ。香耶様は昔ここで」
「だああそれ以上はだめ君菊さん!」
「あら、かんにんどすえ」
「僕はもっと詳しく聞きたいなあ。君菊さん」
「芸子をしてはったんどす」
「へぇ〜…」
やっぱり。
「君菊さーん」
「新選組の沖田はんの言うことには逆らえませんから」
君菊さんは冗談ぽく笑った。
「香耶様は、そらもう幻といわれるほどのすばらしい妓どした。殿方からはもちろんのこと、芸子達からも絶大な人気を誇っていました。この島原ではもう伝説になってます」
「ふーん」
「や、ちがっ……ただの用心棒だったんだよ! 友達に頼まれて、ほんのちょっとここにいただけ」
「用心棒?」
君菊さんもそれにうなずく。
「そうどしたな。よう綺麗な着物着て座敷の隅でにらみを利かせてました。香耶様は、基本的に意にそわないことをしはらなかったんどす。酒をつがせても仏頂面で。肩を抱かれては投げ飛ばし。用心棒としては優秀どしたが芸子としては失格どした。
ほんでもそのかんばせを一目見ようと、詰め掛ける客はひきもきらず」
そんな信じられないような話も香耶さんのことならあり得そう。香耶さんはすこし頬を染めて肩を落とした。
「なんかいろいろおおげさだよ」
「そうなんだ…」
客と床にはつかなかったのかな。
君菊さんは、僕のことを安心させるように、にこりと微笑んだ。
「今のその姿からは想像できへんどすやろ」
確かに。今の香耶さんは男装している。知り合いか、ちょっとするどい人じゃないと見破れない程度には完成度が高い。
「香耶様、またいつでも戻ってきてくれてかまへんのどすえ」
「遠慮しとくよ。今は嫉妬深い恋人がいるんでね」
香耶さん……
「ふふ、そら残念どす。おふたりのお邪魔してすんまへんどしたなぁ。そんならまた後ほど」
優雅に会釈して、君菊さんは通り過ぎて行った。
「はぁ……」
「香耶さん、何で黙ってたの?」
「あのときそんなこと言ったら大騒ぎになるでしょう」
「まあ、そうだね」
「私が揚屋にいたら君は幻滅するの? 私のこと嫌いになる?」
「そんなこと絶対ない」
僕が口調を強めて否定すると、香耶さんは「そっか」と嬉しそうに笑った。
もしかしたら、僕がどう思うのか、彼女は不安だったのかもしれない。
そっと彼女の結い上げられた髪を撫でる。
「芸者遊びなんて興味なかったけど、君が芸者だったら毎晩通いつめるよ」
「なに馬鹿なこと言ってるの」
「僕はいつでも本気だよ」
本気、なんだよ。
「あ、そうだ。総司君。心配かけたお詫びに、これあげる」
香耶さんが袂から取り出したのは、綺麗な小箱のこんぺいとう。
特別なひとに贈るものなんだと艶やかにほほ笑むものだから、彼女の散財を叱ることもできやしない。
僕はもう一度、壁に手を突いて彼女の身体を閉じ込めた。
「じゃあ食べさせてくれるよね」
「もう。君って子は」
箱を開けて、華奢な指でこんぺいとうをつまんで、僕の口に運ぶ。
なんて甘美な。
「これじゃあ新選組の沖田総司は衆道だって噂になっちゃうかも」
「なら続きは帰ってからやろうか」
「やりません」
まいったな。
新選組の一番組組長の僕が、君の前じゃ、ただの馬鹿な男だよ。
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