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雪村千鶴side
「香耶さん、なにその格好?」
「男装だよ。お茶屋遊びに行くならこれでしょ」
香耶さん、袴姿が意外と似合ってる。
彼女の支度は私も手伝った。
さらしで体型を補正し、池田屋でも見た錆色の袴を(ちゃんと)着付けた。いつも下ろしたままの銀髪は高い位置で結い上げた。
すると不思議なことに、もうどこから見ても美しい若衆姿に変貌を遂げた。
香耶さんはもともと目筋鼻筋が通っていて、凛とした顔立ちをしているから。
私はみんなと一緒に、島原の角屋(すみや)に来ていた。
「いや〜! 左之、おまえは本当によくやった! まさか、『報奨金でみんなにご馳走したい』なんて言ってくれるとはな!」
「新八さん、褒めるならそこじゃなくて、制札を守りきったってところじゃないかなぁ」
角屋のお座敷に足を踏み入れたことなんか、私にはあるはずもなく、すこし気後れしてしまう。
それにくらべて香耶さんの立ち振る舞いは、堂々として自然だった。
「香耶さん、まさか花街に来たことがあるんですか?」
「いや、客としてくるのはこれが初めて」
この香耶さんの台詞に、引っ掛かりを覚える。そう感じたのは他のみんなも一緒なようで…
「おい、そりゃ芸妓としちゃあ来たことあるって意味じゃねえだろうな」
「嘘だろ! 香耶に接客業が務まるとは思えねえんだけど」
「なんだと? 平助君に言われたくないよ」
「詳しく聞かせてもらおうか、香耶」
「…しまった」
香耶さんは追及しようとするみんなの視線から逃れて、私の背中に隠れる。
「これはもしや…釜中之魚ってやつ?」
「ふちゅうの…?」
「魚の釜中(ふちゅう)に遊ぶがごとし。煮立てられようとしている釜の中に泳ぐ魚のように、絶体絶命の困難な状態にあることを言う」
「さすが一君」
「話を逸らさないでよ。香耶さん本当にやってたの?」
「いやその」
と、ここでふすまが静かに開いて、一人の花魁さんが現れた。
「みなはん、おばんとすえ。ようおいでになられました」
つい女同士だということを忘れて見とれてしまうくらい、綺麗な人。
「旦さんたちのお相手をさせていただきます、君菊どす。どうぞ楽しんでおくんなまし。料理も、すぐに参りますえ」
すぐそばで香耶さんが深く息をついたのがわかった。
それから程なくして、料理が運び込まれ宴会が始まった。
「あっはははそーじ君、飲みすぎたら、らめらからね」
「その言葉そっくりそのままお返しするよ、香耶さん」
香耶さんは比較的早い時間でできあがってしまったみたい。
お酒の飲めない私としては、気持ちよさそうに杯を傾ける香耶さんが、少しうらやましい気もする。
高級なお料理にぽつぽつと箸をつけるけれど、味なんてぜんぜんわからなかった。
「にしても、立て札を守っただけでこんだけの報奨金が出るんなら。全部捕まえてたら、どれだけの大金が貰えてたんだろうな。
なあ左之、どうして逃がしちまったんだ? 八人くらいなら、なんとかできねえ数じゃねえだろ」
「あっ、オレも、それが不思議だったんだ! 敵を絶対に逃がさないよう、包囲網を敷いてたんだろ? 一旦捕まえた奴もいたらしいじゃん? 本当はなにがあったんだよ?」
「………」
永倉さんや平助君の問いに、原田さんはむっつりした顔で黙り込む。そして、しばらく考え込んだ後、何故かこちらへと視線を向けた。
「千鶴、おまえ、あの晩、どこかに出かけなかったか?」
「えっ? 出かけてませんけど……どうしてですか?」
「やっぱりあいつがそうなのか……」
「おい、どうしたんだ?」
「あの晩は月も出てなくて暗かったから、見間違えかも知れないんだが……。実はだな、立て札を引っこ抜こうとした土佐藩士を取り囲んだとき、おまえによく似た顔の女に邪魔されたせいで、包囲網が崩れちまったんだ」
「えっ……?」
原田さんの言葉に、宴席が水を打ったように静まり返る。
私とよく似た女って……まさか
「薫くん……」
それまで静かに酒を舐めていた香耶さんが、ぽつりとこぼした。
……南雲薫さん。
そうか、原田さんはまだ薫さんに直接会ったことがなかったから……。
「も、もし、原田さんの邪魔をしたのが薫さんだったら、どうするんですか?」
「もちろん、殺すことになるだろうね。例え知り合いでも……。あれ、香耶さん?」
気づけば香耶さんは膝を抱えて泣きじゃくっている。
「うぅ〜……薫くん、先に行かせるべきじゃらかったんら。ちゃんと千鶴ちゃんとこに連れてっれあげてれば……!」
「香耶さん……?」
彼女は私の膝の上に突っ伏して泣きはじめた。
「うあああん」
「ったく、こんどは泣き上戸かよ……」
「とにかく、南雲薫に話を聞いてみる価値はありそうだな」
「えっと……元気出してください香耶さん」
「よしよし、おちついて」
「ぐすっぐすっ……そうじくん、ふふへへ」
「……泣いてるの? 笑ってるの?」
泣きながら笑ってます。
香耶さんは緊迫しきれない微妙な空気を残して、ふらふらとお手洗いに立っていった。
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