望む関係
夜久邸、シンプルな家具でセンスよく揃えられたリビングに消毒液の匂いが漂い、テーブルに投げ出された保冷剤が僅かに溶けてジェルの泡を電灯に輝かせる。
「……これでよし、と」
骨ばった手がそっと頬から離れた。
岬はそこにででんと存在を主張するガーゼに触れ、にっこりと笑って礼を言う。
「ありがとう衛輔」
「……礼言うのは俺だろ」
岬の言葉に夜久はぼそぼそ呟くように口を開いた。
伏せ目がちに、少し眉尻を下げて複雑そうな笑顔で先を言う。
「庇ってくれてありがとな」
「………どういたしまして」
対して岬は柔和に微笑んだ。
かすかに覗く、綺麗に並んだ歯がまた麗しい。
「でも」
「?」
衛輔は俯き、声のトーンを変えて続けた。
さっきまでの気遣うようなものとは一変し、いつもの声音に戻ってけたたましく吼える。
「お前女なんだから無茶すんな!」
「あっはっは、一番ド突いてるの衛輔だけどね」
夜久のお叱りに岬は相変わらずの能天気さで返した。
うっと詰まった夜久の眉間にシワがよる。
「それはっ…」
「いやいや、いーんだよ?」
のらりくらり、岬はカラカラと笑いながら笑顔を見せた。
わざとらしいような陰影のない、夜久にだけ見せるそれでおどけたように言葉を紡ぐ。
「衛輔が私だけ躊躇い無くド突くのも、それはそれで愛を感じてますから?」
夜久の顔にさっと熱が灯った。
面白いように耳まで赤くなると、ぷるぷると震えながら口を開く。
「あっ…」
「あ?」
「愛とかさらっと言うなバカ!」
「…ははっ」
真っ赤な顔のまま、強い口調でそんなことを言う夜久に岬はどこか嬉しそうにまた笑った。
◇◆◇◆◇
「うわっ、どうしたのそれ!」
岬が登校すると、数少ない女友達である弓沢陽菜がすっとんきょうな声を上げた。
岬は席につきながらにひ、と笑って見せる。
「んー?愛の勲章?」
陽菜は岬の机に小さく座ると、友人の頬をベッタリ覆うガーゼを見つめた。
それごときで整った顔立ちが阻害されることはないが、やはり勿体無くはある。
「何、また幼馴染みにド突かれたの?どうせまたいらないこと言ったんでしょ」
「人聞き悪いなぁ、これは衛輔じゃないよ」
「は?」
陽菜は怪訝そうに首を傾げた。
岬はすでに、ぱたぱたと駆け寄ってきた少女たちの方にかまけている。
「やだぁっ岬くんほっぺどうしたの?」
「大丈夫〜?」
キャンキャンと甲高い声で心配の声を上げる少女たち、岬は瞳を細め、甘い言葉を声に乗せる。
「このくらいすぐ治るよ。心配ありがとうね、バンビーナ」
甘ったるくもどこか爽やかなそれに少女たちは「きゃーっ」とはしゃいだ声を上げた。
そしてめいめい持ってきていた見舞いの品を手渡すと「お大事にねーっ」と去っていく。
「…ん?陽菜、なんでドン引きしてんの?」
「…毎回毎回よくやると思ってるだけ…」
岬はそんな少女たちにひらひら手を振りながらふと友人を見て首を傾げた。
心底不思議そうな岬に、陽菜は胡散臭げな視線を投げ掛けながら呻くように答える。
「大丈夫大丈夫、陽菜も可愛いよ」
「はいはいありがと」
けらけらと笑って言う岬に陽菜はおざなりに相槌を打った。
それからじぃっと岬を見つめ、やや慎重な声音で質問する。
「……岬、あんた結局幼馴染みとどうなりたいわけ?」
「うーん、野暮なこと聞くなぁ」
岬ははてさてと宙を見上げた。
全く照れを見せない友人に陽菜は苛立った声で詰問する。
「はぐらかすんじゃないの。どうなの、キスしたいとか触りたいとかそういうの、あるのないの」
「……そうだなぁ」
岬はうーんと腕組みすると考え込んだ。
額を滑り、耳元をくすぐるように流れたひとすじの前髪が嫌に色めいて見える。
「私としては、別に今のままがずっと続くんならそれはそれでいいんだけどね」
岬は感慨深げに言うと、ウンウンと自分で納得したように頷いた。
陽菜はわかるようなわからないような答えに、また質問を重ねる。
「…関係が変化するのが嫌なの?怖い、とか…」
「そんなんじゃないよ。ただ…」
岬はふっと瞼を伏せた。
長い睫毛が頬に影をつくり、憂いた横顔に思わず陽菜の心臓が高鳴る。
「彼氏彼女になって衛輔にド突かれなくなるとしたらちょっと考えものかなぁって…」
「お前は普段どこから愛情感じてんだ」
が、やはり岬は岬だった。
はぐらかされたような本気なような答えに陽菜はがっくりと肩を落とす。
窓の外、地面を啄んでいた鳩が間抜けた鳴き声を上げていた。
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