イルカの見たもの
遥の部屋は薄桃色と淡い色の家具で整えられていた。
「おー…なんか、イメージ通りかも」
菅原がそう漏らすと遥はちょっと改めて自室を見渡した。
その間に、いつかのイルカのぬいぐるみを見つけた菅原はそれを取り上げてそのさわり心地を堪能する。
「お気に入り…」
菅原の傍らに立った遥はその毛並みをそっと撫でながら言った。
菅原はその言葉におもむろにぬいぐるみを持ち上げ、その口を遥の頬にちょいと押し当てる。
「それは光栄」
菅原の瞳は優しかった。
むしろ慈しむ色はとても甘く、遥は眩しそうに目を細める。
「…あ…お茶…持ってくるね…?」
「手伝おっか?」
「んーん…平気…待ってて…」
赤くなった頬を隠すように俯いた遥はやがて菅原に告げると部屋を一度出た。
パタンと静かに閉じた扉にもたれかかると、ひとつ大きく息を吐く。
頬の火照りはどこか甘美で、嫌じゃないのがまた難点だなと遥はぼんやりそう思った。
○●○●○
遥は紅茶の載った盆を(淹れたのは沙生だが)手に、部屋の扉を開いた。
そして部屋に据えられた小さな本棚の前、胡座をかいている菅原の背に声をかける。
「お待たせ…」
「わぁ!?」
と、菅原は弾かれたように丸めていた背中を伸ばした。
肩を大袈裟なくらいに跳ねさせ、振り返った少年はしどろもどろに口を開く。
「あ、お、おかえり」
「?…どうかした…?」
「あー……えーっと…」
遥は不思議そうに首を傾げていたが、ふと菅原の影になったそこに見えたものに目を瞬かせる。
「…アルバム…」
「……ごめん、勝手に」
菅原は眉尻を下げると申し訳なさそうに言った。
遥はテーブルに紅茶を置くと、菅原の隣まで行ってすとんと座った。
すり寄るようにしてその手元を覗き込み、久しく見ていなかった写真の数々を眺めながらまた首を傾ける。
「別にいい…面白い…?」
「…面白いっていうか…」
遥の問い掛けに視線を宙にやった菅原はうーんと唸った。
それから思案しながらもニコリ、笑みを浮かべて答えを告げる。
「中学の頃とかはこんなだったのかーみたいな?でもうん、楽しいかな」
「……」
遥は菅原の顔からすっと目線をずらすとその手元をまた見つめた。
遥のものよりいたく骨ばった手がページをめくるのを眺めていると、不意に「あ」と声が上がる。
「?」
どうしたのかと遥が菅原の視線を追うと、そこには中学時代の文化祭か何かの写真があった。
写真の中央、振り返ってカメラを見つめているのは当時の遥で、その格好は演劇か何かの衣装だった羽織袴だ。
紫がかった赤と薄紅色のそれは、周囲に写っている同級生たちが紺色の制服姿ばかりなこともあってえらく目立つ。
「おー、可愛い」
「…………」
菅原は楽しげに言って別のページをめくろうとした、がそれは叶わなかった。
隣から伸びてきた白い指先が、アルバム自体をパタリと閉じてしまう。
「へ?」
菅原が思わず間抜けな声を上げるのとほぼ同時、遥ははたと我に返るとその頬をさっと染めた。
それからしばらく視線を泳がせていたが、じっと見つめる菅原のそれにやがて観念したように拗ねた口調でぽつりと漏らす。
「……菅原アルバムばっか見てるの、やだ…」
「…え……」
菅原はしばらくの間、惚けたようにその横顔を見つめていた。
遥はそろりと顔を背けると瞼を伏せがちに、視線を逃がす。
「………」
「…………」
沈黙が流れた。
やがて、動いたのは菅原だった。
「……遥、」
音に乗せられた名前は、合図だった。
遥はぎこちなく顔の向きを戻すと、上目遣いに菅原を見上げる。
絡んだ視線は第二の合図だった。
双方ともにゆっくりと瞼を伏せながらその顔を近付けていき、やがて触れるだけながらもその唇が重なり合った。
たどたどしく、ただ本当に「触れているだけ」のそれだった。
それでもまたゆっくりと唇を離し、見つめ合う二人はひどく満たされた気分だった。
「…遥、」
「……」
菅原はそっと遥の頬に手をやり、また囁くように呼んだ。
遥は俯き口元を袖で覆いながらも破顔する。
額を合わせた二人は、ただ互いに目で笑い合った。
イルカのぬいぐるみが、ベッドの上でそんな二人を柔らかに見守っていた。