保健室





朝、遥が鞄から出した数少ない教科書とペンケースを机の上に出していると、ぬっと影が出来た。
振り返ればつい最近の席替えで近くの席になった東峰が背を丸めて立っている。

「あ、おはよう千葉さん」
「…おはよう…」
「み、三浦もおはよう…」
「おはよ」

東峰はその巨体にも関わらずそそくさと挨拶を済ませると自分の席についた。
遥の隣、東峰の前の席である夏帆が胡散臭げにその姿を眺める。

「あ、東峰ー」

と、不意に教室の戸口から声がかかった。
呼ばれた東峰が振り返れば、声の主である男子生徒は言葉を続ける。

「菅原大丈夫だった?」
「大したことはないみたいだよ。どっちかってーと大地が過保護にしてる感じみたいだし」
「そっか、よかった〜…」

男子生徒は東峰の答えにほっと息をつくと、じゃあまたなと軽く手を振って去っていった。
足音が聞こえなくなった頃、ぼんやりとそれを見送っていた遥は斜め後ろの東峰をじっと見上げる。

「……東峰…菅原どうしたの…?」
「え…あ、ああ。いやね、部活終わりにテニス部の奴とぶつかってさ、そんなデカイ接触じゃなかったんだけど偶然ラケットが変な風にスガの手に当たっちゃったみたいで」

遥の無表情がすっと崩れた。
瞳に恐怖の色が浮かび、体を強ばらせる。

「千葉さん…?」

その僅かな変化に違和感を抱いた東峰はおどおどと声をかけた。
が、遥はそれには答えず、静かな声で短く問う。

「菅原どこ…?」
「エッ、多分まだ保健室だけど…」

東峰の答えを聞くや否や、遥はガタリと音を立てて立ち上がった。
ふわふわとした髪をゆるやかになびかせ、足早にドアに向かう。

「…ちょっと…行ってくる…」
「エッ、授業始まるよ!?」
「1限なら自習よ、東峰」
「あ…そ、そうなの?」

後ろで始まった会話をよそに、遥はそのままスタスタと歩き出した。
いつになく緊張した面持ちは、普段をよく知るクラスメートたちの首を傾げさせた。




○●○●○





「だーから平気だってば」
「んなこと言って、もしもがあったらどーすんだ」

保健室、ベッドに腰かけた菅原は大袈裟に包帯を巻かれた手をぷらぷらさせながら澤村に意見した。
が、それが聞き入れられることはなく腕組みした友人は厳しい目でこの後の体育・放課後の部活参加を却下する。

「わかったってば、体育は出ないって。だから部活は…」
「駄目だ」

澤村は菅原の提案を頑として受け付けなかった。
ぷーっと子供のように膨れた菅原は足をぱたぱたと揺らしながら短く罵る。

「けち。頑固」
「何とでも言え」

澤村は言うとまったくと溜め息をついた。
と、そこで突然保健室の扉が勢いよく開く。

「…っ菅原、…」

息急ききって中に顔を出したのは遥だった。
千葉さん、と澤村が声を出す前にそれに気付いた菅原が条件反射のように名前を呼ぶ。

「へ…千葉っ?」
「……っ怪我、したって……その…心配、で…」

遥は肩で息をし、胸元を押さえながらもゆっくりと保健室に入ってきた。
少しぼさついた髪を撫でながら菅原の前に立つと、心配そうに包帯の巻かれた腕を見る。

「……走って来てくれたんだ?」

その視線を受けた菅原はゆっくりと言って、表情を緩ませた。
息の落ち着いてきた遥ににっこりと笑いかけ、ひらりと手を揺らして見せる。

「ありがと。でもヘーキだよ」
「……痛くない…?」

が、安心させるつもりでやったその仕草はあまり効果を発揮しなかった。
強がりに見えたのか、心配の色を深めた遥の顔は不安そうで、菅原はかける言葉を見つけられずたじろぐ。

「それがな、千葉。実はすごく痛いらしいんだ」

それをいいことに真顔でそんなことを言うのは澤村だった。
遥に余計な心配をさせようというわけではないが、だからといって大切なチームメイトに無理をさせるわけにはいかぬというのはどうしても譲れない。

もちろんのこと、それに対し菅原は慌てたように抗議の声を上げる。

「おい大地!?」
「……痛いの…?」
「いやいやいや!大丈夫なんだってほんと、にっ!?」

菅原は突如走った痛みに顔をひきつらせた。
それを見て、澤村が淡々と呟くように口を開く。

「痛いだろ、スガ」
「そりゃ痛いよ!患部じゃなくても思いっきり握り締められたら!」
「なのに体育だの部活だの出るって聞かないんだ。なんとか言ってやってくれ」
「大地!」

菅原は声を荒げた。
文句を続けようとしたが、それは患部を労るように触れてきた指先に止められる。

「…ちょっとでも痛いなら…今日は休んで…ね…」

今にも泣き出しそうな遥に迫られて、菅原は詰まった。
黙りこくり、散々目線を泳がせたあとでようやく観念したように喉の奥から声を絞り出す。

「………………………ハイ」

その結果に満足げなのは澤村一人だった。
言質をとった澤村は意気揚々とバッグを肩に担ぎ、しゅたりと手を掲げて戸口に向かう。

「はい決まり。じゃあスガ、俺は体育行くわ。先生には言っとくからゆっくり来るなりサボるなり」
「ほーい。頼むわ」

もう諦めたらしい菅原は、まだ声にこそ拗ねた色は残しながらも愛想よく言って友人を送り出した。
ドアが閉められ、そして静寂が戻ると改まった面持ちで遥が再度聞き直す。

「……大丈夫…?」
「ほんとに痛みなんてほとんど無いんだよ。まぁでも、違和感はやっぱあるから今日はやめとく」

菅原は吹っ切れたようにそう答えると少し間を置いてから、ぽんと自分の隣を叩いた。
ベッドの上、充分に空いたスペースはソファーがわりにちょうどいい。

「……座る?」
「……ん…」

遥は菅原の隣に腰を下ろすと、そのまま上体を後ろに倒した。
とさりと軽い音を立てて淡い色がシーツに広がり、柔らかに波打つ。

「千葉?」
「……ほっとしたら眠くなった…」
「……………」

無防備に全身を投げ出した姿に、菅原の喉がかすかに上下した。
瞳の色を隠すように目が細まり、抑えた声音でやんわりと言う。

「……遥。男の前で、そんな格好しちゃダメだよ」
「………孝支くんの前も…?」

注意に返された囁くような声に菅原の体がぴくりと跳ねた。
少しの無言のあと、いいよ、とその唇が動いて弧を描く。

「何されてもいいなら、だけど」
「………」

遥は寝転がったまま菅原をじっと見上げていたが、やがてゆらりと腕を上げると菅原の袖、肘のあたりを少し握る。
遥は改めて菅原を見つめるとゆっくりと笑んだ。

はにかむような幸せそうなそれに、菅原の目が少し見開かれ、そして困ったように破顔する。

「……これじゃ何も出来ねーべ」
「?」
「なーんでもない」

菅原は空いた片手でくしゃりと遥の額を撫でた。
僅かに覆い被さるようになった体勢に遥は頬の朱を色濃くするも、その笑顔は変わらない。

鳴り響くチャイムを聞きながら、二人はそうしてゆるやかな時間を過ごしていた。
窓の外、青く澄んだ空にわざと絵の具をこぼしたような白い雲が浮かんでいた。





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