ありがとう
「でもやっぱりお姉ちゃんはぼけっとしてるから私が守ってあげなきゃなの!私がいればそれでいいのっ!!」
あまりに意外な姉の反応に気を動転させた沙生はパニックに陷りながら結局そんな風に締め括った。
腰を伸ばした菅原は頬をかきながら困り笑いのような表情になる。
「うーん…それ、彼氏がやるのは駄目なの?」
「お姉ちゃん歴11年なめんなぽっと出…!」
ガルルルル、と獣よろしく唸り声を上げる沙生、遥は静かに瞬きを繰り返しながら菅原と妹とを交互に見つめる。
「…大体っ、お姉ちゃんほんとにそいつ…じゃなくて、かっかれっ…彼、氏のことす…好きなの!?」
沙生はそんな視線は無視して姉に食ってかかった。
彼氏の単語でえらくどもったのは、認めたくないがゆえの葛藤だろう。
「…え…」
遥は珍しいことにわかりやすい動揺顔でカァ、と赤くなった。
その面持ちに菅原が「え、」と小さく呟き、ぱっとそちらを見た遥は恥ずかしそうに眉を下げて目をそらす。
への字に曲げた口元が見えないようにストールに首を埋めるが、その表情までは隠しきれない。
菅原の喉仏が、ごくりと音を鳴らしてゆっくりと上下した。
「??お姉ちゃん…?」
沙生は戸惑い顔で姉を見上げた。
その場に沈黙が流れる。
そこで動いたのは菅原だった。
「ごめん沙生ちゃん、ちょっと千葉…お姉さん借りんね」
「は!?え、ちょっと!?」
遥の手を取った菅原はくるりと向きを変えると足早に歩き出した。
引っ張られた遥は最初の2、3歩ほどはよろけたものの手を引かれるままにその後ろに続く。
「こ、こーちゃんっ!」
「お前もそこで待ってること!来たら怒る!!」
菅原は追いかけてこようとした幼馴染みも一喝してその足を止めさせると進んだ。
路地に入り2回ほど角を曲がってやがて近所の公園、人気の少ない植え込みの裏に足を踏み入れる。
そこで菅原はゆっくりとした動作で遥を振り返った。
「…千葉、」
「…菅わ………」
遥は言いかけて黙った。
俯くときゅっと唇を引き結び、改めて口を開く。
「…孝支…くん…」
「…!!」
遥はうかがうように上目遣いで菅原を見つめていた。
小さく開閉を繰り返す唇は赤らんだ頬と相俟ってとても扇情的だ。
「…あの……」
菅原は真剣な顔で言葉を待った。
眼下に見える遥の瞳が潤んでいるのに心音が高鳴る。
遥はふぅっと息を吐くと、胸元で重ねた手を握り締めた。
そして綻ぶように笑顔を見せる。
「…孝支くん、すき」
風に紛れて確かに紡がれたそれに菅原の目が見開かれた。
遥ははにかみ、さらに言葉をのせる。
「…だいすき…」
菅原は頬をみるみるうちに紅潮させ、固まっていたがやがてぱっと片方の手の甲で口元を隠した。
が、それでは隠しきれないほどの満面の笑顔が溢れ出る。
「…やーばい、嬉しい…」
「…!」
遥は喜色を露にくすぐったそうに肩を縮めた。
菅原の目がそれを微笑ましそうに見やる。
菅原は腕を伸ばすと、遥を軽く引き寄せた。
ぽすりとその胸元に収まった遥は己の首元にのった柔らかな灰色に小さく頭をすり寄せる。
二人はしばらくそのままだったが、やがてゆっくりと離れた。
互いの顔を見つめ合い、照れたように笑ってそしてそっと手を繋ぐ。
「…菅わ…孝支くん、」
「ん?何、…遥」
二人はそうしてもと来た道をゆっくりゆっくりと歩き出した。
その最中、遥が小さな声で菅原を呼び、呼ばれた方も優しく呼び返す。
遥は少しばかり背伸びをした。
菅原の方は少しばかり腰を折る。
「 」
「…!」
菅原の耳元で、遥は小さく言葉を紡いだ。
聞いた菅原がまた破顔する。
注ぐ太陽の陽射しは幾分柔らかくて、色をだいぶん変えた街路樹をより秋めいて見せていた。
まだ瑞々しさを失っていない落ち葉が、足の下でやわらかな音を立てた。
(すきになってくれて、ありがとう)
囁いた言葉は、秋空に呑まれ二人に笑顔をもたらしていた。