君に近付く
「あ、千葉おはよー!」
「…菅原…おはよ…」
肌寒さを身に染みて感じるようになってきた朝、遥が昇降口で靴を履き替えていると爽やかな笑顔を携えた菅原が現れた。
隣のブロックの下駄箱の前に立ち、予想外に乱雑な手付きで同じように靴を変えた菅原はにっこりして遥を誘った。
「教室まで一緒に行こ?」
「うん…」
並んで歩きながら、他愛もないことを話す。
「今日も朝練…?」
「うん、7時から。いやーもー朝から汗かいたわ〜………」
菅原は言って笑っていたがふと黙り込むとそそくさと遥から距離を取った。
もちろんのこと、遥は怪訝そうに首を傾げて菅原を見やる。
「…何…?」
「いや、急に思い出したというか…俺、多分すげー汗臭いと思うんだよね今」
菅原は空笑いしながら頭をかきかき言った。
遥は目をぱちくりさせた後菅原の空いた側の手を見てゆっくりとその袖を引く。
「…運動でかいた汗は臭わないって…テレビで言ってた…」
「え、そうなん?」
「…ん…それに菅原だったらやじゃないよ…」
薄く笑んだ遥に菅原は赤くなった。
誤魔化すように咳払いすると、目をそらしながら元の位置に戻る。
「……じゃあ、隣お邪魔します」
「…ん…」
遥は満足そうに瞳を緩めた。
袖をつまんだ指は、教室に着くまでそのままだった。
○●○●○
「……」
「千葉、お待たせ!」
放課後は、遥の希望で菅原を待っていた。
黒ジャージの上下に身を包んだ菅原は軽く息を弾ませて体育館脇の渡り廊下でぼんやりしている遥に声をかける。
「退屈じゃなかった?」
「平気…動画見てた…。…部活お疲れさま…」
「ありがと。じゃ、帰ろっか?」
「うん…」
遥は立ち上がると菅原の隣に立った。
もう定位置のようなそこは居心地が良くて、今更ながらに頬が自然と緩む。
「んー、すっかり暗いなー」
「…ん…そだね…」
二人は歩きながらすっかり群青と濃紺のグラデーションに変わった空を見上げた。
ヒヤリと冷たい風が頬を打ち、遥はセーターの袖で鼻を擦る。
「千葉、無理して待ってたりはしないよね?」
「してない…菅原こそ送るの迷惑してない…?」
「してないしてない。じゃ、この話はここまでな」
それを見た菅原は少し心配そうに言った。
遥が否定し、むしろ聞き返せば軽く否定を返して朗らかな笑顔を見せる。
そこから二人は誰がどうした、こんなことがあったと互いの一日を話した。
その矢先、菅原が言葉を切ったかと思えばくぁ、と小さく欠伸をかます。
「…菅原…」
「ん?あ、ごめん。何? 」
「…眠い…?」
「あー、平気平気。昨日夜更かししただけー。心配ないって」
菅原は手をひらひらさせてそう言ったが遥はじっとその眼を見つめていた。
徐々に下がる眉に、菅原は焦ったような顔で言葉を探す。
「ほんとだって。それに、千葉と帰れんのすげー嬉しいから、変に遠慮っていうか…しないで欲しいかな」
「………」
遥はまだ納得してはいない顔だったが、かすかに頬を染めるとふいと目を伏せた。
その横顔に菅原はキョトンとし、そして瞳にふっと柔らかな色を滲ませる。
「千葉、いっこだけワガママ言ってもいい?」
「…ワガママ…?」
「うん。…手、繋ぎたい。駄目?」
菅原はちょっと眉尻を下げ、頼りないような笑みを浮かべながら自分を見上げる遥の反応を待った。
ほどなくして、遥の表情が緩やかに綻ぶ。
遥はほんの少しだけ腕を浮かし菅原の手を待つ。
「…うん…繋ご…?」
繋いだ手は二人の間でかすかに揺れた。
外灯に照らされ地面に落ちた影が細く繋がり、それを眺めながら時折繋ぎ直す。
「…目標ひとつ達成したなー」
「目標…?」
「ん?こっちの話」
ぼそりと漏らされたそれに遥は首を傾げたが、にっこり笑った菅原ははぐらかした。
空に浮かぶぼやけた月が、白く輝いていた。