君と勉強



西陽射す菅原邸のリビングで耳を柔らかく刺激する声が響く。

「じゃあ次の問題ね。傍線部を口語訳せよ、『いと心細しと《言へばおろかなり》』」
「……いう…言葉では…あらわしきれない…?」
「正解。古文はこれなら大丈夫そうだね」

菅原は眉間に寄せていたシワをなくしてホッと胸を撫で下ろした遥にニッコリすると古文の教材をよけた。
そして次なる科目の教科書を手にする。

「……数学…」
「だぁいじょぶだって、これも一部の暗記が出来たら解けるようになってるから」

遥は嫌そうな顔で教科書の山を睨んでからぐてっとテーブルに体を預けた。
そしていかにも哀れっぽい眼差しで菅原を見る。
そのことに苦笑するも、菅原はあやすような声で遥を励ましてやった。

「ほら、数学終わったら買ってきたシュークリームだべ?頑張ろ」
「…はーい…」

のろのろと体を起こしてシャーペンを手にする遥に、菅原もしゃんと背を伸ばし聞き取りやすい声を意識して説明を開始した。




○●○●○




千葉遥という少女は赤点常習犯であった。
日がな考えるという行為からかけ離れた性格をしている故か単なる脳味噌のつくりによる故かは定かではないが、まぁテストや試験といったものでは全体の下から数えた方が早いのは最早デフォルトで。
テスト前の期間ということで部活もなく、一緒に帰ろうと教室まで迎えに行った菅原が半泣きの担任にお前もうちょっと頑張れよとすがられる遥に自宅での勉強会を持ち掛けたのがことの起こり、現状の原点だ。

そして幸いというかなんというか、遥の脳味噌はまるでスポンジだった。
とりあえず吸収、という非常に暗記向けの頭に菅原はとにかく覚えるだけで大丈夫な知識を叩き込むことを繰り返した。

菅原少年が勉強会を始めるまでわずかながらに持っていた自宅への彼女訪問に対する緊張といったものは瞬く間に消え失せていたのだった。





○●○●○




「…うん、こんなもんかな。頑張ったね」
「…こんな脳味噌使ったの久しぶり…」
「日頃からもうちょい使おうね…」

菅原は息はついたものの、可笑しそうにクスリと笑うとこちらを見やる遥をよしよしと撫でた。

「残りの勉強も付き合うから頑張ろ?」
「…うん…」

優しく笑う菅原に遥もふやけるように表情を緩めて頷くと、のそっと体を起こした。
じゃあ俺シュークリームと飲み物取ってくんねと立ち上がった菅原を見送りテーブルの上を簡単に片付ける。
と、その時だった。

「こーちゃーん!あのね、今日…」

どこかで聞いたような声が飛び込んできた。
見れば、戸口のところでふたつに結った長い黒髪を元気に揺らす少女がにこにこしながら立っている。

「…誰?」

少女は遥を見るなり表情を強張らせて短く尋ねてきた。
明らかに不振がっているその態度に遥がただぼんやりしているとキッチンからシュークリームの箱とジュースのボトルを持った菅原が現れ、キョトンとして少女と遥とを見やった。
器用に指先に挟んでいたグラスをテーブルに置きながら首を傾げる。

「?何?どしたんこの空気」

菅原の言葉に少女は何か言おうとした。
が、その前に菅原は遥の方を向いてしまい少女は口を閉ざす。

「千葉、紅茶しかなかったんだけどこれでいい?ストレートなんだけど」
「…うん…。…それで菅原…後ろの誰…?」
「あ、幼馴染み。隣んちの子なんだ」

菅原は何でもないことのように答えて遥に紅茶を注いだグラスを渡した。
受け取りながら遥はじっと少女を見つめる。

「…こーちゃん、それ誰?友達?」

少女は菅原が自分の方を向く本当に一瞬前まで遥をきつく睨んでからそう聞いた。
問われた菅原はえ、と頬を染めそろりと遥をうかがい見つつ言う。

「…彼女だよ」
「……彼女…です…」

見られた遥も菅原と視線を合わせ緩やかに微笑みながら口添えた。
その頬も朱が差していたが、それも一瞬のことで少女の声に通常の状態に戻る。

「はぁ!?」
「え」
「?」

大声を出した少女は慌てたようにぱっと口を押さえると菅原ににじり寄ってその胸元を掴んだ。
ぐっと寄せられる顔に遥の片眉が面白くなさそうにつり上がる。

「こーちゃん、彼女って…嘘でしょ!?だってバレー、」
「嘘じゃないって。てか何なの、今までずっと彼女のひとりも作りなよとか何とか言ってバカにしてたじゃん」
「、」

しかし人の恋愛相談邪険にするしさぁ、と漏らした菅原に遥は目を丸くした。
己の失言に気付いた菅原はあっと声を上げて耳まで赤くする。

「本当だとは思わないじゃん!」
「本当だし本気だったって。結局ぶっつけ本番だったよ、OKもらえたから良かったけどさ」
「〜っ」

菅原は少女の手を胸元から外させるとシュークリームの箱を取って遥に押し付けた。
そして遥の肩を持つと向きを変えさせ廊下の方、階段へと軽く押す。

「ちょっとこーちゃんっ!」
「部屋で勉強するから邪魔しないこと!千葉、先行っててくれる?すぐわかると思う、名前のプレートかかってるし」
「…わかった…」
「ん。あ、勉強道具と紅茶は俺持ってくから」
「…ん…」

遥はちょっと目元を緩ませて菅原に頷いてみせた。
それを嬉しそうに見つめながら菅原がぽんと遥の頭を叩く。

「〜っ私も!私も一緒に勉強するっ!」

そんな和やかな空気に少女の一声が割り込んだ。
菅原はぎょっとし、遥も瞬きを繰り返して沈黙が流れる。

「…え…いや、俺らはテスト勉強でお前受験勉強でしょ?効率悪い…」
「平気だもん!」

平気じゃないのは遥の頭である。
もっともその本人はぼんやりしていてその考えに至っていないようだったのだが、とにかく。

「…シュークリーム溶ける…」

棒読みで挟まれたその声に幼馴染み二人の言い合いが一時停止したのは5分後のことだった。




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