君の幼馴染み





「ただいまー」

文化祭から数日。
菅原が帰宅すると、玄関にあまり見ないローファーがあるのに加えてぱたぱたと軽やかな足音が聞こえてきた。
そして廊下の壁からひょこっと顔を出す少女がひとり。

「こーちゃんっ!おかえり!」
「あれ、来てたんだ」

少女は菅原の幼馴染みで、ふたつ年下の中3だった。
まだまだ幼さの残る顔を不満げに膨らませる様は昔から変わらない。

「来てたんだとは何よぅ」

ぷーっと河豚のようにふくれてみせる幼馴染みに菅原はからかうように声をかける。

「遊んでないで勉強しろよー受験生」
「してるもん!今日はこーちゃんに質問に来たんですー!」
「ハイハイ」

菅原は適当に相槌を打ちながらキッチンに向かった。
母親は勝手口から外出中のようで、ダイニングテーブルの皿に山盛りとなった唐揚げをひとつ失敬して幼馴染みに向き直る。

「で、どこがわかんないの?」
「あっ、あのねここなんだけど」

菅原について回っていた少女は慌てたように持っていた問題集を開いて中を見せた。
菅原は示された箇所にさっと目を通し、口の中の唐揚げを咀嚼しながら頭の中で公式を巡らせる。

「…ん、多分いける」

やがて菅原は唐揚げを嚥下すると傍らのペン立てからシャーペンを一本取った。
慣れたもので、ちょこんとテーブルについた幼馴染みの前に屈んでわかりやすいように書き込みをいれてやる。

が、その手はすぐに止まった。
原因は、ポケットから鳴り響く携帯の呼び出し音だ。

「ちょいスマン」

菅原は短く断るとひょいとそれを取り出した。
途端に弾かれたように上体を起こし、慌ただしく部屋を後にする。

「え…な…何?」

残された少女はひとり、呆然と座り込んでいた。
投げ出されたペンが虚しく転がり、ノートの真ん中辺りで音もなく止まった。




○●○●○




ほとんど反射的に自室まで駆け戻った菅原は一度深呼吸してから通話ボタンに触れた。
どきどきと逸る心を抑えて明るい声で言葉を紡ぐ。

「もしもし千葉?お待たせ、どしたの?」
『あ…良かった菅原出た…。うん…あのね、明日のお昼なんだけど…』
「うん」

菅原は目を閉じて電話越しの遥の声に集中した。
ぼんやりとした口調ではありながら実は澄んだ声質の持ち主である彼女の声は聞いていて心地好かった。
もちろん、惚れた欲目があることは否めないけれど。

『…最近コロッケ練習してて…で、今日は上手く揚がったから…お弁当作ってってもいい…?』
「コロッケ?わー、楽しみ!んじゃ俺ジュースでも買ってくよ何がいい?」
『じゃあ…イチゴミルク…』
「ほい、イチゴミルクね。御注文承りました」
『、』

菅原の朗らかな声に遥が笑う気配がした。
今はどんな顔で笑っているのだろうかと思いながら知らず知らず笑みが漏れる。

『…うん…じゃあまた明日…』
「うん、明日ね。…あ、そうだ千葉…」
『?何…?』

別れの挨拶をしかけたところで菅原はふと手元の小さなカレンダーを見て話を続けようとした。
しかし遥も聞く体制になったらしいところでそれは起こった。

「こーちゃんっ!!」
「ぅおわっ!?」
『?』

半開きで放っておいたドアから幼馴染みが入ってきた。
大声で呼び掛けられて菅原は思わず飛び上がり、その際に出てしまった声で電話の向こうから不思議そうな空白が流れる。

菅原は慌てて通話口を手で押さえると小声で幼馴染みを叱りつけた。

「ちょ、今まだ電話中!」
「えー、だって遅いから…」
「あーもー、とにかくちょっと黙ってて!…あ、千葉?ゴメン騒がしくて」
『……ううん。話、明日でいい…?』
「え…あ、うん…急ぎの話ではないから…」
『そか…じゃあ明日ね…』
「うん…明日」

菅原は幼馴染みが膨れっ面で黙ったのを確認して電話に戻った。
しかし当の電話の相手がいつになく固い声で通話に気の乗らない返事を寄越して当惑する。

菅原は結局しどろもどろに別れの挨拶を告げて電話を切った。
遥の方は方ですまなそうな声音だったが、どこか急に元気をなくしたように思えて菅原は眉根を寄せる。
しかしまぁ今は、と菅原は幼馴染みに向き直った。
膨れっ面は相変わらずで、菅原はまったくと腰に手を当て説教モードに入る。

「…ったく。何?」
「何?って………せっかくこーちゃんに質問に来てるのに全然戻ってこないから様子見に来ただけじゃん。それにいつもなら相手が誰でも目の前で電話出るのにさ」

しかし幼馴染みの言い分を聞くうち菅原の眉間はシワを薄めた。
むしろあれ、と言わんばかりに困ったように眉が垂れ下がり、最終的には頬をかきかき聞き返す。

「……そー、だっけ?」
「そーだよ!」

少女は語気を強めて言った。
だからといって彼女の行為が誉められたものではない事実は覆しようがないのだが、自身の行動の変化に戸惑いのある菅原はそれに気付くことなく軽い調子で片手を上げる。

「なら、ゴメンゴメン。まぁ俺もお年頃ってことで大目に見といて」
「お年頃って…」

少女は叱られずには済んだものの不満そうに口を尖らせた。
そして菅原が手にしたままの携帯からぶら下がるものを見て表情を強張らせる。

「…何そのストラップ。そんなのつけてた?」
「ん、これ?ああ、カワイイっしょ」

菅原は指摘されてイルカと少しばかり古いストラップを揺らして見せた。
口角を上げ、さも嬉しそうなその表情に少女はますます目元を険しくさせる。

「…カワイイけど、こーちゃんらしくはないよ」
「そう?大地たちには違和感ねーなって言われたけど」

まぁそれはそれでどうかと思うけど気にしないことにした!と菅原はけらけら笑った。
しかし少女の顔は晴れない。

「…」
「っと。問題途中だったよな、ゴメンゴメン。すぐ続き…」
「…いらない」

少女は目的を思い出した菅原に苛立った声で言った。
目を丸くして間抜けた声を出す幼馴染みに唇を噛む。

「へ?」
「いい。今日は帰るっ」
「帰る、って…いや、勉強聞きに来たんじゃ」
「いいの!帰るの!」

少女は荒々しく告げると乱暴に問題集やノートをかき集めて胸に抱き込み、バタバタと短い廊下を突き進んだ。
唖然とする菅原を睨み、最後に思いっきり顔を背けて菅原家を後にする。

「…こーちゃんのばか」

少女はとぼとぼと自宅までの短い距離を歩きながらぼやいた。
そして自分のはるか昔から幼馴染みへ抱き続ける想いに表情を苦くする。

ぎゅっと瞼を閉じれば記憶の中でふたつのストラップが揺れ、菅原が嬉しそうに微笑む。

少女は思いっきり足元の石を蹴った。
胸の中でくすぶる黒いものはなかなか消えそうになかった。





○●○●○





そして同時刻。

「……………」

菅原との通話中に聞こえてきた少女の声に、遥もまた複雑そうに眉根を寄せていた。
膝に抱き込んだイルカのぬいぐるみが少しひしゃげてつぶれた餅のように変形していた。





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