新たな距離




「治った…」

数日後、遥が傷の消えた手を見せると菅原は心底ほっとしたような息をついた。
その手を取り、傷のあったあたりを柔らかく撫でながら口を開く。

「良かった〜。切り傷だったんだよね?」
「うん…包丁…」
「うわぁ…想像するだけで痛い」

菅原はやや青い顔でぶるりと震えた。
その様がなんとなく可笑しくて遥は目元を緩め、そしてふと思い出したように言う。

「…あ…今日もちょっと作ってきてみたから…良かったら味の感想とか…いい…?」
「マジで?うわー嬉しい!」

遥の言葉に菅原は顔を輝かせた。
ころころと表情の変わるそれは見ていて飽きなくて、遥は顔を綻ばせる。

「じゃあお昼…」

遥は昼食の約束をしようと口を開いた、その時だった。

「危ない!!」

こちらに向かって飛んでくるサッカーボールが見え、それとほぼ同時に声が聞こえたと思った次の瞬間だった。
少し離れたところにあったはずの灰色がぶれて視界を白が埋め尽くした。
足がふらつき、軽く後ろに倒れれば背中が壁にぶつかって止まる。

ボールはどうやらすぐそばの壁にぶつかって跳ね返り、地面を跳ねる独特な音を繰り返してやがて静かになった。
遥はボールが当たらなかったことにほっと肩の力を抜いた。

そこでようやく焦点の合った視界がやや陰っていることに気付き、そのまま顔を上げればその眼にはすっかり見慣れた「彼氏」の姿が映り込む。

「…あっぶね〜」

菅原は遥の上に被さるような体勢でそう呟いた。
遥はただ目を丸くしてすぐそばに見える鎖骨や喉仏、そしてこれまでで最も近くなった顔の距離に固まっている。

「千葉、大丈…」

菅原は反応のない遥を不思議に思ったのか肩越しに後ろに向けていた首を戻した。
そして現状に気付いて言葉を切る。

「ご、ごめん!」

一瞬にして真っ赤になった菅原は慌てて距離を取った。
こちらに背を向け、うわぁうわぁと呻いているのを遥はただ瞳に映す。

「……、」

遥は俯くと先程まで見ていたものを思い出して小さく唇を噛んだ。
手の甲まで覆ったセーターの袖で熱く感じる頬を擦る。
無意識に胸にやっていたもう片方の手の下で、心臓が激しく脈打っていた。

遠くから聞こえてくる、ボールを飛ばしてきた犯人の声はしばらくの間スルーされていた。




○●○●○




「…ありがと…」
「え?」

どちらも教室に帰るということで、並んで歩きながら遥はぽつりと漏らした。
きょとんとした菅原に、付け加えるように言う。

「庇ってくれたから…」
「え、いやでもあれ俺も当たってないし。それに多分庇わなくても当たらなかっただろうなっていうか」

俺、つい動いちゃっただけになったしさ、と菅原は弁解するように言って肩を竦めた。
遥はかぶりを振って話を続ける。

「庇ってもらってなかったら本当に当たってたかもしれないから…だからありがと…」

遥の言ったそれに菅原は目をぱちくりとさせていたがやがてにひ、と笑った。
悪戯っ子のような笑顔は初めて見るもので、遥はまた目を丸くする。

「んじゃ庇って良かったよ。どういたしまして」

こんな風にも笑うのかと遥は菅原の顔を見つめた。
そして自分もにこりと笑う。

「うん」

そこから二人は喋りながら教室に向かった。
歩幅は多少なれども差があるはずなのに、歩みは同じペースが保たれていたことには、どちらも気付いていなかった。





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