あた婚! | ナノ

女が勝負下着を買うときってどういうときだ?

自身が料理好きのせいもあってか、政宗は社員食堂の味には人一倍拘るタイプだ。食事が美味しければ仕事もやる気になる、というのは能天気な父の受け売りだが、そのとおりだと思う節もあるため、強ち間違っていないのではと思うことが多い。いつの時代でも安くて美味い物は喜ばれる。

そんなわけでも政宗もよく社員食堂を利用する。社長がこんなところでと最初は驚かれることが多いが、それも慣れてしまえばどうってことはない。女性社員は社長を見ることができる絶好の機会といって喜んでいるくらいだ。

だが女達は意外と頭がいい。遠くから見ているだけで、決して政宗と同じ席に座ろうとはしない。近くに座って危ない橋(仲間内での嫉妬や僻み、伊達グループの人間と関わるリスクなど)を渡るより、遠くで騒ぎながら見ているだけのほうが平和と判断したのだ。こういうことを直感で判断してしまうから、女という生き物は時折恐ろしい何かが垣間見える。

「よっ、政宗! また一人で寂しくメシ食ってんのか?」
「一人で寂しくは余計だ、長曾我部!」

政宗が一人で昼食を食べていると、たまにこうして元親と一緒になる。元親は政宗の周りの席が空いていることをいいことに、テーブルを挟んだ向かい側の席に座って、なんだかんだ言いつつも一緒にご飯を食べていた。政宗も特に気にしていないので、元親の好きにさせている。

元親は熱々のカレーうどんをズルズルと啜った。お昼にカレーうどんとは、なかなか勇気があるチョイスである。カレーの汁が跳ねて服の染みとなりやがれと、政宗は心の中で祈った。そのほうが面白いに決まっている。だがこの場に元親が現れてくれたことは僥倖だった。不覚にも自分の弱みの一部分を知られてしまっている相手だからこそ、普段できない相談とやらができる。

「Hey 長曾我部……」
「あ? なんだよ?」
「女が勝負下着を買うときってどういうときだ?」

カレーうどんを啜っていた元親の箸の動きがピタッと止まる。これは一体何の冗談かと思った元親だったが、女のことなら自分以上に知っていそうな目の前の男の顔は至って真剣だった。

「どんなときってそりゃあ、ヤるときだろ?」

真面目に訊かれるとどんなに馬鹿らしいことでも真面目に返してしまうあたり、元親も相当義理堅いというか、損な性格をしていると痛感する。政宗も最初から答えがわかっていて元親に訊いたのだろう。彼の返事に「……だよなァ」としみじみと呟くだけだ。

「もしかして前に話していた女の話か? 結局そいつとはどうなったんだよ?」
「万事上手くやってる……と言いたいところだが、どうなんだろうな」

表面上は上手くやっていると思う。仲直りはしたし、お互いの気持ちも伝えた。(仮)の夫婦からようやく本当に夫婦になれたのだ。だが奇妙な同居生活を始めた頃から、何も変わっていないような気がしてならない。だが些細な変化は確かに存在していて、結局のところ変わっているのか変わっていないのか、政宗にはわからずにいた。おそらく華那もわかっていないのだろう。

お互いいまはようやく落ち着いたといったところで、この先どうなりたいのかという明確なビジョンが見えていないのだ。だからといっていまのような状態は、あまり長続きしないほうがいいというのは十分わかっている。このままずるずるいったところで、待っているのはろくな結果じゃない。全ての問題はまだ解決していない。それどころか一番大事な問題は棚上げにしたままである。

「……オメー、いつも以上に変だぞ? まじで何があったんだよ?」
「この間、あいつがオレに内緒で勝負下着を買ってたんだよ。リビングで広げていたのか、あいつが見落としたそれをオレが偶然見つけちまってな。丁度そこにあいつが現れて……」

結果として、その後は何もなかった。珍しく政宗が反応に困っていたら、華那が下着をひったくって自室にこもってしまったためである。なんでこんなものを? と訊いてしまいたいが、華那だって二十五歳の立派な大人だ。勝負下着ぐらい普通に持っているだろうし、買うことだっておかしなことではない。

「たかが勝負下着くらいで騒ぐオメーのほうがおかしいんじゃねえのか、政宗? いいじゃねえの勝負下着、どうせその日の夜世話になったんだろ?」
「Noだ。何もなかったんだよ」
「何もなかっただと!? ちょっと待て、どういうことだよそりゃ!」

据え膳食わぬはなんとやら。ここまでお膳立てされた状況で何もなかったことが信じられない。学生のおままごとのような恋愛をしているわけではないので、こういう場合流れに乗ってしまうのが普通だろう。勝負下着を用意するということは、そういうことになってもOK、いやむしろそういうことを女が期待していると元親は勝手に思っている。男して、美味しく頂くのが礼儀だろうに。それをこの男は、言うに事欠いて何もなかっただと?

「いかにも手が早そうな政宗が何もしないなんて……意外と奥手なのか?」
「そうじゃねえ! ……そいつとは一度だけヤってる。だが……」

手が早いことは本人も認めているらしい。冗談のつもり言ったのに大真面目に否定されるとこっちが困る。椅子からずり落ちそうになるのを元親はなんとか踏ん張った。

政宗が思うにあれは、そんな素敵なものではない。相手の気持ちなど考えず、一方的に自分のみっともない欲を吐き出すだけの行為だった。華那はずっと悲鳴を上げ続けていたが、あるときを境に何一つ反応を示さなくなった。もっとも、このあたりのことを華那は覚えていないだろう。おそらく彼女が気絶したところから、記憶が曖昧になっている。そうじゃないとあの後政宗に普通に接することなどできるはずがない。

気絶した彼女を無理やり起こし、何度も身体を突き上げた。声を上げることも、身体を動かして抵抗することも、逃げ出すこともせず、ただこの時が過ぎるのを、政宗にガクガクと身体を揺さぶられながら待つだけだった。我に返った政宗の目に最初に飛び込んできたのは、あれほど表情がコロコロと変わる華那が、一切の感情がない虚ろな目で、政宗ではなくじっと天井を見上げている姿だった。瞬間、今でも身を焼かれるほど激しい後悔が襲ってきた。彼女のあんな顔は二度と見たくない。

お互いの気持ちを伝え、もう一度やり直そうとはしたが、彼女は政宗の目を見るなり―――怯えた。本人も気づいていなかったらしく、呆然と政宗を見上げていた。政宗は思い知った。華那にとっての初めてはただただ恐怖しかなかった。どれだけ心は許しても、身体が無意識に政宗を拒絶している。だからこそ、余計に堪えた。

怯えられることがこれほど怖いものだということを、政宗は知らなかったのだ。本当に好きだから、大切にしたいと思っている相手から怯えられるのは辛すぎる。自分が原因だ、虫の良い話だとわかっている。それでも彼女にあんな目を向けられるくらいならと、政宗は自ら距離を置くことにした。それが正しかったのかどうか、いまとなってはわからない。距離を置くというのは所詮建前、適当な理由を並べて彼女から逃げただけなのだから。彼女のためと謳いながら、自分が傷つくことを恐れただけだ。自分はまた、彼女を独り置き去りにしただけだったのか?

「その一度で失敗しちまったんだよ。次のとき……怯えられた」
「恥ずかしいだけじゃねえか?」

恥ずかしがっているだけなら問題はない。初な反応をされると元親としても嬉しい何かがあるし興奮する。あとは男らしく、こちらがリードしてやるだけでいいのだ。

「いや、あれは本当に怯えてた。あいつに怯えられた途端、何もできなくなっちまった」

政宗は前髪を掻きあげ、ばつが悪そうに視線を逸らす。女が怯えるようなことを政宗はしたと言っている。一体どんなことをしたのか訊いてみたいところだが、それは訊かないほうがいいのだろう。政宗は本気で後悔しているのだ。元親は自身の中で芽生えた好奇心を無理やり抑え込む。これ以上踏み込むことは政宗の傷を一方的に抉るだけ、とどめを刺しにいくだけだ。

「でもそのカノジョは勝負下着を買ってた……んだよな? 矛盾してねえか?」

一度の体験で怯えるほど怖かったのなら、男を誘惑するための勝負下着など買う必要がないだろう。訝しげに眉を顰める元親に、政宗は一つ溜息をついた。

「だからわからねえんだよな……」

政宗は華那を抱きたくないわけではない。むしろ今度こそ自分のモノだと、可能な限り所有印を刻みこみたいくらいだ。それ以上に怯える彼女が見たくないから、何もしないようにしているだけ。決して彼女に魅力がないわけではないし、愛情がないというわけではないのだ。彼女が大事すぎるから何もできないだけなのに、勝負下着なんてものを見てしまうと、政宗としても自分に都合の良い期待をしてしまう。華那が何を思ってあんなものを買っていたのか、政宗には皆目見当もつかないまま昼休みは終わりを告げたのだった。

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