あた婚! | ナノ

最近モテてないの?

会社の食堂で元親に相談したその日の夜、政宗は自室のベッドに腰かけ意味もなく窓の外に広がる夜景を眺めるも、その景色は頭に入ってこない。何故なら彼の頭の中は、華那の下着を拾ったときのことを鮮明に思いだしていたのだ。

政宗が手にしていた女物の下着を見た途端、華那の顔が一気に青ざめた。何事かと不審に思うが、次の瞬間妻の顔は真っ赤になった。青から赤へ、随分と忙しない奴だと政宗は思う。目は大きく見開かれ、口をあんぐりと開けたまま、すっかり呆けてしまっている。二の句を続けることができないらしい。やっとのことで口を動かすまでにはなったが、魚がえさを貰うときみたいに意味もなくパクパクと動かすに留まっている。

アホ面が更にアホ面だな。政宗が込み上げる笑いを抑えていると、華那は乱暴な手つきで彼が持っていた下着をひったくった。

「おい、いきなり何だよ…!?」

持っていた物をひったくるように奪われて良い気はしない。さすがにイラッとした政宗は非難の声をあげた。

オレはただ落ちていた下着を拾っただけだぞ。もしかして、オレがあいつの部屋から盗み出したとでも思っていやがるのか……ってそれはねえよな。

さっきまでここで下着を広げていたのは華那だし、ここに下着が落ちてなかったかどうか、政宗に訊いたくらいだ。ただ下着を見られて恥ずかしいだけなのか。別に女物の下着は見慣れているので、政宗としては今更というか、子供みたいに興奮もしないし恥ずかしくもない。が、この歳までろくな経験をしていなかった彼女はそうでもないらしい。

そんなふうに恥ずかしそうな態度をとられると、からかいたくなるんだよなァ。

自分でも悪趣味だと自覚はしているが、こればっかりはやめられそうにない。惚れた女の困った顔なんて可愛いに決まっている。だが一緒に生活するうちに、華那の勘もなかなか鋭くなった。政宗が口を開くよりも早く、彼女は自分の部屋へ閉じこもってしまったのだ。政宗が数回ドアをノックしても反応なし。今頃恥ずかしさのあまりベッドの中で丸まっているのかもしれない。柄にもなく政宗がそんなことを考えたら、また笑いが込み上げてきた。相手を馬鹿にするような笑いじゃない。どうしようもないくらい可愛いから、こっちまで困ってしまう、そんな笑みだった。

……可愛いから余計にちょっかいをかけたくなるなんて、オレも重傷だな、ったく……って自分で言っといて恥ずかしくなってきたじゃねえか! 

いま考えたことを頭から追いやるように、政宗は無造作に髪の毛を掻き毟った。いつまでもここでこうしているわけにもいかず、政宗もいい加減ラクな格好になりたかったので、自室に戻って着替えることにした。

スーツから部屋着へと着替えながら、政宗は先ほど手に取った華那の下着を思いだしていた。彼女が普段どんな下着を身につけているのかぐらい、政宗だって知っている。決して疚しい理由ではなく、一緒に生活していて自然と知ってしまったという理由からだが、その一番の原因はベランダ越しに見える洗濯物である。

以前だと洗濯は完全に別々だったが(主に妻が夫の分の洗濯を嫌がったせいだ)、少し前から彼女は、政宗の分も自分の分と一緒に洗濯するようになっていた。二人分の洗濯物を干していた華那に、一緒に洗濯しているのか? そう訊ねたら彼女は、

「私は自分で洗濯しているけど、政宗は毎回クリーニングに出してるんでしょ? そんなの経済的によくないじゃない。……そ、それに、ほら。夫婦……なんだし」

最後らへんなんか顔を真っ赤にさせながら言っていた。声も段々小さくなって、最後のあたりはちゃんと聞き取れなかったほどだ。自分から夫婦と言ったくせに、その響きにまだ慣れないらしい。言ったほうが恥ずかしがっていると、言われたほうまで少しむず痒い。思わず自分のほうへ引き寄せようと手を伸ばすが、脳裏に怯えた表情で政宗を見上げる華那の顔がうかんで――政宗の手は彼女の身体に触れることなく、何かを堪えるようにぐっと握りしめることしかできなかった。

後悔しない日はない。華那と顔を突き合わすたびに後悔する。こんなふうに彼女に触れたいと思うたびに、どうしようにもない後悔の波が政宗を苛んでいた。

どうしてあんな馬鹿な真似をしてしまったのか。オレらしくない、あんな……。

「本当に、何やってんだ……オレは」

苛立ちから乱暴に壁を叩いた。大きな音が部屋中に反響する。へたすると隣室の華那にまで聞こえているかもしれない。どうも華那のことになると、冷静になれないらしい。冷静に努めようとはするものの、自分でも気がつかないうちに熱くなってしまっている。

「大体あいつもあいつだ! なんでよりによって勝負下着なんか……」

八つ当たりとわかっていても、この苛立ちは抑えようがない。だがそこで政宗はようやく気づいた。というより、忘れていた。政宗がうっかり手に取ってしまったあの下着は、どう見ても勝負下着だった。そう、華那は勝負下着をわざわざ買ってきたのだ。勝負下着を買う理由は一つであり、男も女も関係ない。相手に見せるために勝負下着を買うのであり、それには必ずエロい理由が付きまとう。

……男として、これは期待していいのか? あいつが勝負下着を見せるような相手はオレだけだろ。いや万が一の可能性として猿なんてことは……さすがにねえか。オレはあいつを信じるって決めたんだ。あのときみたいに勝手に勘違いしてボロボロになるまで傷つけて……あんな真似を、この先もう二度としないように。

華那は政宗を好きだと言った。それ以上の根拠は必要ない。その日の夜はそう思うことで、なんとか気持ちを落ちつけた。

「……たかが女一人のことで振り回されるたァ、オレもまだまだガキってことかよ、情けねえ……と、こんな時間に電話か?」

政宗の表情が自嘲的なものへと曇る。するとベッドの上に投げ出していた仕事用のスマートフォンが短いリズムで着信を告げた。こんな時間に電話がかかってくるときは大抵面倒事が多いと、経験則からそう予測している政宗は電話に出ることを躊躇した。会社からだと何かトラブルがあったということであり、小十郎からだと会社か実家のことで何か起きたと考えられる。

念のため着信相手を確認しようとスマートフォンを手に取り、政宗は自分の予感が激しく的中していたことを知った。誰からの電話かわかった以上、この電話は取り次がなくていいと判断する。こんな時間にこいつから電話なんて、面倒どころの話ではない。

無視し続ければ諦めるだろうと思っていたのだが、着信を告げるメロディは一向に鳴りやまない。これは政宗と相手の根気比べだ。先にギブアップしたほうが負ける。あまりに煩かったので、政宗は着信を強制的に切った。政宗がほっとしたのも束の間、再び同じ相手からの着信だ。このやりとりを何度も繰り返すうちに、政宗のストレスは臨界点突破間近まであと僅かという地点にまで到達していた。

政宗とて自分の性格が人より短気だと理解している。が、電話の相手は政宗以上に彼の性格を熟知していた。電話の相手はこうして電話をかけ続ければ、先に政宗が折れると踏んでいるのだ。そして悲しかな、相手の思惑は見事に的中してしまう。

「うっせぇ! こんな時間に電話をかけてくんじゃねえぞ! おまけに仕事用じゃねえか! お前ならオレのprivateの番号知ってるだろうが!」

開口一番、政宗のドスの聞いた怒鳴り声が電話越しに響き渡る。

「知ってるけどそっちにかけたらお前確実に出ないだろうが。最悪電源切るだろ? 仕事用なら電源だけは切らないようにしてるって知ってるから、こっちにかけたほうが確実だってわけだ」

何もかもお見通しと言わんばかりの相手の口調に、政宗は悔しそうに唇を噛み締める。否定できる要素が一つもないからだ。仕事用のスマートフォンは、いつどこで、何が起きてもいいように、必ず電源だけは切らさないよう心がけている。何かあったときのため予備だって持ち歩いているほどだ。

逆にプライベート用はそこまで重要ではないので、電源が切れてもそのまま放置だってすることさえある。もし相手がプライベート用にかけてきたら、本体の電源を切って終われただろうに。普段はバカなのにこういうところにだけ頭がまわるなんて、どこぞの誰かさんとそっくりで可愛げがない。

「……で、一体何の用だ? くだらねえ用事だったら切るからな」
「政宗、また見合い断ったんだってな?」
「誰から聞いた?」
「親父さんから。親父さんも困ってたぜ? って言っても、相変わらずのほほーんとした感じだったけどな。ほんと、あの能天気な親父さんの息子ならもうちょっと穏やかに育ってもいいと思うんだけどなー。なんでこうなっちまったんだろ」

華那と結婚した事実を知っているのは、伊達の人間では小十郎だけ。自分の実の父親にさえ、結婚したと報告はしていない。きっかけがきっかけだったので自分から率先して言う気にもなれなかったし、どうせいつか離婚するのだから別に自分から言わなくてもいいだろうというのが、政宗の下した結論だった。

当初は面倒な見合い話を断る口実に使えると思っていたが、華那の純粋な性格を知るうちに、伊達家の問題に彼女を巻き込む気が失せてしまったという理由もある。尤も、これは小十郎でさえ知らないことなのだが。

そのため政宗が既婚者だという事実を知らない連中は、未だにこうして見合い話を政宗の下に持ち込んでくる。大体は政宗の下に届く前に小十郎がカットしているので、政宗が見合い話を持ち込まれていることを知るのはいつも全てが片付いた後である。今回はまだ小十郎から報告を受けていなかったのでこれが初耳となったわけだが、連中もなかなかしぶとい性格をしているらしい。これほど断っているのに、次から次へと持ってくるのだから、そう思っても無理はない。

「オレの見合い話で、なんでお前がしゃしゃり出てくるんだ?」
「ん? 親父さんに頼まれたんだよ。僕が電話しても政宗は電話に出ないかはぐらかすかだから、代わりに訊いてくれってな。たしかに最近浮いた話も聞かなくなったし、ちょっと気になったからさ」

最近モテてないの? なんて、失礼なことを言われ、政宗はこめかみに青筋を一本うかべた。政宗が今までの人生の中で言われたことのない屈辱的な言葉を、よりにもよってそいつに言われたのだから無理もない。第一自分よりモテないやつに言われたくない。

「とにかくだ、親父さんも政宗の態度がわかんねえから苦労してんだよ。見合いが嫌ならそれなりの理由を言えって。あ、付き合ってる女がいるっていうのはなしだぜ」

お前昔女と付き合ってはすぐにとっかえひっかえしてたから、信用がないんだよな。そう言われたら、政宗には返す言葉がない。一人の女と付き合うも、しばらくしないうちにどこからともなく違う女が現れた。そのときは暇つぶし程度の気持ちで全ての女と付き合っていたような気さえする。一人の女に飽きたら次の女へと、執着心は皆無だった。

電話の相手はそんな政宗の悪い癖を熟知しているせいで、見合いを断る理由に女性関係を除外している。いま付き合っている女がいると言ったところで、どうせすぐ別れるんでしょ? と返されるだけだ。

「小十郎も何も言わねえし。親父さんに頼まれちまったから、近いうちに様子を見に行くからな!」

一方的にそう告げて、電話は切れた。近いうちにあいつが来る。考えただけでぞっとした。面倒、とにかく面倒なのだ。こっちに来れば嫌でも華那の存在が露見する。そうなるとおしゃべりなあいつはすぐにでも父親に話すだろう。政宗が勝手に結婚していた、と。こうなったらもう逃げられない。実家に呼ばれ、これまでの経緯を話せと詰め寄られる。父親に会わすだけなら多少の問題はあっても、何かと政宗の意思を尊重する父親なので心配はない。心配なのはむしろ……。

「……あの二人の耳にもこの話が入るってことが面倒なんだよなァ」

面倒事は嫌いだ。何をしても楽しくない。こうなるならあいつがいつ来るかちゃんと聞いておけばよかったぜ。と、後悔したところでもう遅い。もう一度かけなおすことも考えたが、それこそ面倒だ。政宗は背中からベッドへと深く倒れ込む。さて、どうするか。この後どう乗り切るか考え始めたところで、彼の思考は完全に落ちた。

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