塔のお嬢さん(上)

眩しいくらいの日差しが窓から射し込む。
ベッドからゆっくり降りると、窓にとまっている小鳥に目を向けた。

「小鳥さん、おはよう。」

小鳥は言葉も話さずただひたすらに鳴き声を、朝焼けに包まれる森の中の塔の最上階を轟かせる。
髪の長い美しい少女、チシャはその可愛らしい姿に顔が自然と綻ぶ。

「羨ましいわ。あなたのように、あたしにも翼がはえたらいいのに。」

小鳥の背を指の腹で優しく撫でるとチシャは悲しげに微笑んだ。
そしてか細く美しい声で小鳥に歌を聞かせ始めた。小鳥も心地良さそうにチシャの指にすりよる。

「チシャや。」

すると部屋の下から老婆がチシャの名を呼ぶ。
その声を聞くと小鳥は慌てて飛び立った。
歌うのを止めたチシャは窓からゆっくり顔を出す。

「髪を垂らしておくれ。」

そこにいたのはチシャをこの塔に監禁する張本人の魔女であった。

「今何か話していたのかい?」

「何でもないわ。ただ小鳥さんに歌を歌っていただけ。」

「何を言ってもお前さんはここから逃げられないし逃げてはいけない。そのことをくれぐれも忘れないようにねぇ。」

「……。」

生まれた時からこの塔の中でこの魔女と暮らしている。
逃げようなんて思ったことが無い。逃げられると思ったこともないし、できるはずがなかった。

天気は午前と午後で大きく変わった。
よどむ空を見上げ、胸ポケットから煙草の箱を取り出し、おもむろに咥える。

「こいつは一雨きそうだな…。」

いつもの手つきで咥えたまま煙草に火を点け、煙を吐くとふと大きい影が現れた。

「?こんな建物あったっけか?」

そこには細長く古びた塔。
周りにはおびただしい数の蔦が張り巡らされていた。
まるで外からも中からも人を寄せ付けないかのように。

「…?」

その蔦の中からわずかに見える、小さな窓からは世界一美しい少女に成長したチシャの姿があった。
男はその儚げで美しい横顔に思わず言葉を失った。

「……。」


急変した空の色を眺めながら、チシャはため息をついた。
その時に聞こえたのはいつもの台詞。

「髪を垂らしておくれ。」

「……。」

何の感情も抱かず、チシャは長い髪をまとめ、窓から一気に下ろす。
魔女の重みで窓からおちないように、室内に固定された椅子に髪を一巻きし、そのまま腰掛けた。
ギシギシと床の軋む音が、窓からの訪問者を告げる。

「今日のご飯は昨日届けてもらったわ。何の用?」

チシャは顔も向けずに言う。
必要以上の関係は魔女と築いていない。
魔女も築こうと全く思っていないためだ。

「何の用ってことも無いんだけどな。」

だが返ってきた声は全く聞き覚えのないもの。
チシャは驚いて立ち上がり、振り返る。そこにいたのは魔女と似た羽織を着た、魔女よりも大きい人間。
目の前の人間がゆっくりフードを外すと、そこには魔女ではなく、見知らぬ男の顔があった。

「だ…誰…っ?」

長い髭と黒い肌を持ち合わせたその男は小さく微笑みを浮かべながら一歩歩み寄る。
初めての、魔女以外の人間。
チシャは恐怖と緊張で声が震える。

「まぁ隣町の王子って呼ばれてる男だよ。あんたに一目惚れしたんでここまでやってきたってわけだ。」

相手を驚かせていることは男にもわかっていた。
しかし今の状況では落ち着かせる方法は時間以外無いということも理解したため、変わらぬ口調で、しかし些か優しく、自己紹介をした。
チシャは現実を受け止め、震えながらも相手を見据え、ゆっくり話す。

「隣町…王子…?あたしにってわざわざ…っ?」

男は一度頷き、指を折りながら続ける。

「何でこんなとこにいんのか。その長い髪はどういうわけか。色々聞きたいんだがその前に1つ。」

開いた手を一度閉じ、その後中指で自身の胸を指した。

「あんた、俺が怖いか?」

その声は魔女からは聞いたことのない、優しい声だった。
チシャは困惑したような顔を見せ、目線を落とした。

「…怖いわ。外の人に会ったのは貴方が初めてだもの。」

男は俯くチシャをしばらく見つめた。

「そか。」

接し方がわからない。同じ人間なのに、人間が怖い。何をしてくるかわからない。そして何をされても逃げられない。
全てを悟るチシャは動こうとはせず、ただ俯いていた。
その沈黙を破ったのは、男の声だった。

「よし、また来るわ。」

「…え?」

男ははじめの一歩以外、チシャに近づこうとせず、くるりと背中を向けた。
チシャが状況を理解できない中、男は「あ。」と声を発し、一度振り返る。

「あんた名前は?」

この人は本当に何も知らない人だ。
チシャはこの時直感で自分に危害を加えない人だと知り、気付けば震えは治まっていた。

「…チシャ。」

聞き取るのが精一杯のような声量で言うと、男は頷いた。

「チシャ、またな。次は外の世界のもん持ってくるからよ。」

帽子の下から見えた目は優しいものだった。
そのまま男は窓から飛び降り、驚いたチシャは窓に駆け寄ったが男は何の怪我もなくスタスタと森の奥へ入っていってしまった。

「…王子…。」

突然訪れる鼓動の激しさにチシャは苦しみながらも困惑した。
初めての外の世界の人間と話し、「また来る」と言われてしまった。
また来るかもしれない。そう考えると、雨音が騒がしい夜に呼応するように鼓動の高鳴りはおさまらなかった。

この日以来、王子は午後の2時にチシャのいる塔へ顔を出すのが日課になっていた。
チシャも王子が来て外のものを見せてもらうことを毎日楽しみにしていた。だがいつの日からかチシャは王子の持ち込むものではなく、王子自身を待つようになっていた。

「チシャ。」

窓から聞こえるのはいつもの優しく低い声。

「待ってたわ。」

「今日はこれだ。」

男のポケットから取り出されたものは小さな箱。

「……?なぁに、これ。」

その箱を開けると、中には光り輝く、小さく細い銀色の輪が入っていた。
初めて見るものに、チシャは目をきらきらと輝かせながら見入った。
その様子が子どものようで可愛らしく、男は小さく笑みをこぼす。

「外の世界で指輪と呼ばれる装飾品さ。これをあんたにやるよ。」

「いいの?」

「あぁ。だが、理由はまだ聞かないでほしい。あと3日間ほどここに来れなくなる。」

その途端チシャは悲哀の表情を見せた。
毎日来てくれている人にしばらく会えなくなる。

「…どうして…?」

その声に男は慌てつつも笑ってみせた。
初めて会った時に比べてこのように表情が豊かになっているチシャに対し、喜びを感じていた。

「泣きそうになるなよ。ただのパーティーさ。準備や挨拶回りの為に顔が出せなくなるだけだよ。」

「……。」

男がなだめつつも、チシャの表情は明るくならない。
笑いながら小さくため息をつき、男は指輪の入った箱をトントンと指で叩いた。

「大丈夫だって。1週間後の午後2時、またいつものようにここへ来る。その時に、指輪の理由を話させてくれ。」

チシャは次に会える約束をすると顔を上げ、小さく頷いた。

「…わかったわ。待ってるからね。」

「いい子だ。」

男はチシャの頭を撫でながら微笑み、窓から飛び降りて森の方へ帰っていった。
チシャは男を見送ると、指輪の箱をポケットに入れた。

「チシャ……。」

塔の下でその姿を見ていた魔女の表情は、激しい憎悪に満ちていた。

-(下)に続く-


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