夜うさぎと仔ねこちゃん
しくじったと、神威は頭の中で思っていた。
目は捉えていたが、この幼さが残る美少女を前にあまりに油断していて反応がわずかに遅れたのだ。
加恋の袖口から伸びた白銀の刃が、神威の白い喉の一ミリ前でかたまっていた。
長い息を吐く。
「はーあ、やられちゃったよ。
ヤル気がないと思わせといてひどいなぁ…ズルじゃない?」
「ずるじゃない、私は最初からどこかで止めるつもりだったの」
腰にさすばかりが刀ではない。
隊服を着ている時は、仕込み刀を腕に忍ばせていることもある。
(たまたま仕込んでおいてよかった…)
緊張と安堵から、私は少し汗ばんでいた。
神威が降参といわんばかりにへらっと両手を挙げたので、私も張り詰めた糸をゆるめて刀を喉元からはなす。
これでやっと、戦いなしにまともに話すことができるのだ。
「久しぶり」
神威はそう言って、戦闘中あれほどにこにこと細めていた目を開いて、大きな瞳で私を捉えていた。
海みたいな目、神威くんって本当に目が大きい。
このどんぐりみたいな目の中に広がる爽やかな海を、私はどこかで見たことがあるような気もするのだけれど……。
「うん、久しぶり」
差し出された手を握った。
神威くんの手は、大きくて正しく男の人の手だった。
隊長とは違う。
なんとなくそう思って、手を握りながら相手をまじまじ観察してしまう。
隊長はああ見えて結構筋肉つきにくいというか、体が薄いからなんとなく手も女の人みたいに綺麗なところがある。
神威くんの手はかたくて繊細さとは程遠い、「戦いを知る男の手」だった。
うん、体も神威くんの方が若干ガタイいいかな?身長も歳も多分同じくらいのはずだけど…
こうしてみると、隊長と神威くんは歳も背丈もよく似た男の子だった。
沖田以外に、ここまで自分に触れられる歳の近い男の子はそういない。
少し高い位置にある神威の顔をみあげながら、加恋はぼんやり恋人のことを思い返していた。
「何考えてんだヨ」
ふいに。
ぱちんっとひたいを指で弾かれて、私は痛みに飛び退いた。
痛い。
…いたい!!
「うぅっ、ひどい…」
「おいおいこんなの冗談にも入らないだろう、大げさだなあ」
シュンとした私に、神威くんはごめんごめんと謝りながら頭を撫でるのだった。
痛いの、そこじゃないんだけどね…
屋根の上の二人を、月の淡い光がぼんやり照らしている。今は一体、何時なのだろう。
「加恋おうちに帰らなくていいの?」
「うん、いいの。加恋のうちは門限も何もないから行動自由」
「悪い子だね」
くすくす笑う神威くんの顔を盗み見て、私はなんとも言えない気持ちになっていた。
こうして月明かりを浴びながら地球の屋根の上で肩を並べる。
こんな日が来るなんてーーーー。
「こんな日が来るなんてね」
「え?」
神威の言葉に若干目を見開いた。
自分の言葉が、この男の口から漏れ出たのかと錯覚したからだ。
「お前が、ここにいるなんてね。よりにもよって…この侍の…」
神威は江戸の夜景の海を見つめながらそこで言葉を切る。
ふ、と視線だけをわずかにこちらによこして、神威は笑った。
「ずいぶん立派な職についたんだな」
「……」
静かな声色に、私はなにも答えられなかった。
握っていた革の手帳の質感を確かめるみたいに、人差しゆびで少しなぞってみる。
武装警察真選組 一番隊
そんな肩書きの下にきっちり自身の名前が刻まれた、唯一無二の警察手帳だ。
それは、加恋がここで生きてゆく全てだった。
すべての理由を、その手帳が持っていた。
「…立派な仕事かはわからないけど」
人を斬りながら江戸の平和を願うことが、任務などとのたまう。
それを心から信じ、純粋に誇っている近藤とは加恋は違う。
殊勝すぎる表向きの任務はむずがゆい。
自分は土方や沖田と同じ部類の人間だと、加恋は自覚していた。
江戸の平和、幕府の守護。
そんなのはただの肩書きで、建前だ。
本音はみんな、自分勝手なルールのもとで動いてる。
ただそばにいるため、ただ自分のルールを守るため。
真選組は、それを達成するために絶対不可欠な箱なのだ。
「けど、私はここが好き。ここにいるために戦う、自分の生きる意味を確認するために…」
「まだ、『生きてる意味が欲しい』の?」
神威くんの言葉が私の記憶を突きさして、はっとさせる。
顔をあげて神威くんの目をじっと見つめた。
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