夜うさぎと仔ねこちゃん



「…欲しいよ」


そんなの神威くんだって同じなはずだ。

彼の詳しい身の上を知らないけれど、越えなければならない相手がいると言っていた。

それは自分がかつて腕を奪った因縁の相手であり、自分と同じ血が流れている者であり、

自分に生を与えてくれた、そして相手がこころから愛したはずの女を殺した者でもあると。


『ここにしか理由がないんだ…』


神威くんの生き方は、私とは違うかもしれないけどその動機はまるで同じに思えた。



「私は見つけたよ。ここでね。

だからこれからもここで生きるし、ここを脅かす者がいるなら容赦するわけにはいかない」


警察手帳を、もう一度胸にあてた。

相手にみえるように。
月明かりを吸い込むように、輝かせながら。


「…殊勝なことだな」

ふっと笑みをこぼすその瞳には、私には救いきれない悲しみがひそんでいる。

私には救えない。
神威くんを、あの闇から救い出せる人はいるのだろうか?


「…俺はそろそろ行くとするよ。地球は好きだが、俺にとって目障りなやつが吸い込まれていく星でもあるみたいだ。

居心地が悪いな」

「あれ、それ私のこと?」

「そうさ、半端モンが…
てもおれは、お前みたいな中途半端な生き物をなぶり殺すのは嫌いじゃないな。

地球のリストにまた一人加わったよ。お前に似た目障りなやつが他にもいるんだ。

いや、お前とは比べ物にならないじゃじゃ馬っぷりカナ?」



まあいずれにせよ、つぎは殺してやるから、せいぜい体を肥やして待ってろよ?うさぎちゃん。


その顔は紛れもなく、獰猛な夜兎の笑みだった。

憎き血を持つ、夜の兎。


「あぁ、お前は子猫ちゃんだったね、これは失礼」


にこっと訂正を入れると、つぎの瞬間ばっと跳躍して街の夜闇に消えていった。

赤い髪をなびかせたその男は、ためらいも見せずに帰っていく。

まるで自分の進む道に、迷うものなど何もないとでもいうように。


「……」


一人きりになった屋根の上に、涼やかな風が吹き付けた。

忙しくなびく髪を抑えて、私は家の方角へ目を細める。


ーーー夜兎の相手は疲れるな。

日頃近くにも夜兎はいるが、それはそれは可愛らしいうさぎなもので…

普段その事実はほぼ忘れてるに等しかった。


「それにしても神威くん、いつの間に地球にも来てたんだな」


なんか他にも殺したいやついるなんて言ってたけど…


じゃじゃ馬?
誰のことなんだろうか。

でもあの執着を見る限り、これで最後とは到底思えない。

つぎに来たとき、つぎに会うとき。
私一人だという保証はどこにもない。

もしそこに、真選組のみんながいたら?

もし、もしも沖田隊長がいたら……



「イヤだな…」



夏真っ盛りなのに、すり抜けていく風はどこか冷たい空気をまとっている。

あたりはいつの間にか白んでいて、夜明けが刻々と近づいていることを示唆している。

体をさすった。



神威くんは、わたしを知っている。
ここに来る前のわたしを、隊長のモノになるより前の私を。

隊長でさえよく知らない私を、きっとよく知ってるのだ。

飼われ、手なづけられ、縛り付けられていた頃の私のことを。



ーーーパブロフの犬って知ってるか

ーーーお前もあの犬と同じだ、ほらもうこの炎が怖いだろう…?


無意識に口を押さえていた。

チリっと焦げ付いた胸の痛みを飲み込むように、私は息を止める。

また気分が良くない。もう少し休んで、屯所に戻ろう。


おまえは、動物だ。


そんな声が闇から聞こえた気がした。

飼われ遣われ、最後には処分される存在。


私は隊長に会うよりも前から、ペットとしてひとに飼われていた生き物だ。


怖いもの、私にはたくさんある。


それは人とは、同い年の女の子たちとはまるで比べ物にならないようなものかもしれないけど

それでも隊長と出会うより前の、その遣る瀬無い時代に経験したことはみな苦手になった。


隊長に、それを気づかれたくないけど気づいて欲しかったのだ。

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