17-3

広いトイレは明るくて、いい匂いがして、ぴかぴかに掃除されて、落ち着くなぁといつも思ってしまう。
洗った手をふわふわのタオルで拭きながら顔を上げれば、鏡に映る自分が見えた。
すごく不安そうで、こんな顔じゃC.C.を心配させてしまうだろう。

「あれから2日か……」

まさかそんなに眠っていたとは。
すごく長い夢を見ていたような気がするけど、どんな内容の夢かは少しも思い出せない。
忘れちゃいけない事を忘れてしまったような気がする。
思い出そうとすればするほど不安が増大していくようで、頭を振ってその場を離れた。
トイレのロックを解除して出ようとしたら、ゾワッと背筋が寒くなった。
何かに強く引っ張られる────いつものやつだ。
行きたくない!! これ以上心配させたくない!!
唇を噛んで抵抗していたら、足の感覚がフッと消えた。
力が抜けて大きく転んで身体を床に打ち付ける。
足だけじゃなく、太ももから腰へ、腰から背中へ、何も感じなくなっていく。
ぶちぶちと引きちぎられていくように、食べられていると思ってしまった。
いつもと違う。これはヤバいやつだ。
内臓が冷えるほどゾッとした。
引っ張られるままに意識を手放せば二度と戻ってこられなくなる、そんな予感がした。

「(ルルーシュ!!)」

がくがくと震えながら床を這い、何とか扉まで行けた。
だけど手がタッチパネルに届かない。
床をドンと叩けば、左腕と右腕の感覚も無くなった。
両腕は確かにそこにあるのに、まるで自分のものじゃないみたいだ。
食われるスピードがゆるやかになり、首の辺りでぴたりと止まる。
まぶたがとても重い。
目を開こうとしても、徐々に視界が狭くなっていく。

「(ルルーシュ!! ルルーシュ……!!)」

声が出ない。
まぶたはだんだんと重みが増し、視界が閉じる。
歯を食いしばってギリギリのところで踏みとどまっていたら、扉が開く音が聞こえた。
ルルーシュが来てくれたと思った。

「空ッ!!」

やっぱりルルーシュだ。
閉じていたまぶたをわずかに開くことができた。
抱き起こしてくれて視界が動く。映像を見てるような気分だ。
ルルーシュはすごい。
顔を見ただけで、絶対大丈夫だと思えてしまう。
安心したら濁流に飲み込まれるように意識を失った。


 ***


「あーあ。やっぱりこんな短期間しか動けないかぁ。
レベルが足りないなぁ。あと1、2回なってもらったらいけるかなぁ……」

そばであの子の声が聞こえてから、ぼんやりと意識が浮上する。
あれからどれだけ時間が経ったのか、初めて見るキッチンに立っていた。
体はもちろん透けていて、ふわふわと辺りをうろついてみる。
ここはどこだろう? 電気がついてないから薄暗い。
壁をすり抜けて廊下に出て気づく。
ここ、騎士団のアジトのトレーラーだ。
ラウンジのほうからにぎやかな声が聞こえてくる。

「キョウトから紅蓮弐式を上手く使ったって誉められたよ。感動だったなぁ。
すごいぞカレン」
「でも私は、あの白兜に……」
「気にすんなって! 引き分けだろ引き分け! あっははは!」

玉城の豪快な笑い声も聞こえて、ラウンジの全体を見れるところまで進む。
みんなのところに行きたいけどあと一歩が踏み出せない。行きづらいなぁ。
足を組んで下を向くゼロは考える事に集中していて、談笑の輪に入っていない。
扇さんは立ち上がり、ゼロに手紙らしきものを差し出した。

「ゼロ、これ」
「ん? 何だこれは?」
「ラブレターだ」

微笑みながら言う扇さんに、受け取ろうと手を出したゼロは困惑に固まった。

「は? お前……」
「ぎゃはははっ! こいつに冗談は通じねぇって!」

爆笑する玉城にカレンはムッと眉を寄せる。

「玉城笑いすぎ!」

ゼロは改めて扇さんから手紙を受け取った。

「キョウトからの勅書だよ。
ぜひ直接俺たちに会いたいって」
「キョウトが!?」
「マジかよ……」

いつも余裕そうに笑う杉山さんも、クールな南さんも、井上さんも、みんなが大きく驚いた。
ゼロだけ平然としている。

「それほど驚くことなのか?」
「そ、それほどってゼロ、キョウトですよ!?」
「認められれば資金援助もしてもらえる。俺たちの苦しい財政も……」
「財政?」

あっ、と声を上げて扇さんは顔を曇らせた。

「……私の組んだ予算通りなら問題なかったはずだが?」

低い声だ。これは怒ってるなぁ。
扇さんはおろおろと落ち着きが無くなる。

「それが……」
「あっ、俺のせいじゃねえぞ!
もう俺たちは大組織なんだ。人間が増えりゃ予定外の────」
「大物ぶって新入りにオゴりまくるのが予定外?」

ジト目で軽蔑の視線を送るカレンを、玉城はキッと睨み返す。

「お前なァ!」
「私知ってんだからね。
どんなとこ行ってんのか!!」
「えっ……それは……」

真っ赤になって怒っていた玉城の顔色が、動揺してサァッと青ざめる。
ゼロは呆れたようにため息を吐いた。

「……とりあえず、会計は扇が仕切ってくれ」

青ざめていた玉城はさらに顔色を変え、怒りの表情で腰を上げた。

「待てよ!
昔っからなァ、金は俺が預かってきたんだ。それを……!」
「信用されたければ相応の成果を示せ」
「……っておまえが言うか!?
仲間とか言って顔も見せねえ奴が!」

場がシンと静まりかえる。
玉城のそれにみんなの表情が厳しいものになった。
みんな玉城と同じ事を考えていたようだ。
ナリタの戦いを思い出すと仕方ない。
でも、顔を見せないと信じてもらえないんだ、と思うと気持ちが沈んだ。

「どうなんだよゼロ! あ?」
「待てよ、それは……」

扇さんが反論しようとした時、カレンが勢いよく立ち上がった。

「ゼロの正体がどうかなんて、問題じゃないでしょう!
ゼロはあのコーネリアを出し抜く実力を持った私たち黒の騎士団のリーダーよ。
他に何が必要だって言うの?」

自分自身に言い聞かせているような声だ。いつもと違って弱々しい。
カレンに鋭く睨まれ、玉城は反論できずに小さく舌打ちする。
ピリピリした空気はすごい気まずくて、離れて見ているあたしでもハラハラしてしまう。
ゼロ仲裁に入らないかなぁ……と思っていたら、視線を泳がせている扇さんと目があった。

「空ッ!?
いつからそこにいたんだ!?」

全員が一斉にこっちを見る。
突き刺さる全員分の視線に、気まずい気持ちが倍増した。

「……ごめんなさい。
聞くつもりなかったんだけど……」
「こっち来なさいよ空!
あなたも仲間なんだから!!」

嬉しそうな顔で手招きするカレンと、おいでおいでと声にかけてくれるお兄さんお姉さん達に、気まずい気持ちがやっと消えた。
ラウンジめがけてふわっと飛び降り、ゆっくりと着地する。

「あれからもう一週間ね。
ゼロから聞いたわよ。この前の戦い、頑張ったわね」

いっしゅ、一週間!?
右から左からみんな話しかけてくれてるけど、井上さんの言葉に思考が止まる。
起きたのが火曜日で……あれからまた数日経ってるのか!!
助けを求めるようにゼロをバッと見れば、すぐに席を立ってくれた。

「私は部屋に戻る。
各自、私の与えた仕事を済ませておくように。
空、ナリタのことで話がある。来てくれ」
「はいっ!!」

階段をのぼるゼロの背中が頼もしく見えた。
嬉しいなぁと思う反面、ラウンジの重たい空気にため息が出そうになる。
今は無理でも、いつかみんながゼロを心から信頼できればいいのにな、と思った。

部屋に入れば、ゼロは扉のタッチパネルを操作してロックをかけてすぐに仮面を外した。
顔の下半分が布で隠れていて、どんな表情をしているかは瞳だけでしか伺えない。
すごい切迫していて、今にも泣きそうだ。
また心配させてしまった。

「トイレで倒れた時、一体何があったんだ?」

何があったと聞かれても、すんなり答えられずに一瞬言葉に詰まる。

「……分からない。でもいつもと全然違ってた……。
何かに食べられるようにだんだん感覚が無くなって、動けなくなって、声も出なくなって……」

その時の恐怖を溢れるほど思い出す。
霊体だから涙なんて出ないはずなのに、何かが強くこみ上げる。
ルルーシュがいきなり手を伸ばしてきてドキリとした。
なにをするつもりなのか、ピタリと動きを止め、伸ばした手を引っ込めた。
すごい気まずそうな顔で目をそらす。
ルルーシュは何がしたかったんだろう? じぃっと見つめたけど、視線は少しもぶつからない。
こんこん、と誰かが扉がノックする。ルルーシュは反射的に仮面をかぶった。

「すみません、ゼロ。私です。
今、いいですか?」
「……ああ」

ロックを解除したけど、カレンは中に入って来なかった。

「あの……さっきは出過ぎたことを言って申し訳ありませんでした……」
「カレン。
キミも私の素顔が知りたいか?」

カレンは何も言わずに沈黙する。
彼女も素顔を知りたいのだろうか?

「……いいえ。
失礼します……」

カレンの気配が遠ざかっていく。
ゼロはロックをかけ直し、仮面を外し、奥へと行った。

「素顔を見せれば信用すると言うのか?
……たったそれだけで信用するなんておめでたい連中だな」

笑みを含んだ声は冷たい。
嘲笑うように唇の端を持ち上げる表情は、美しいのに怖いと思ってしまった。
これは無理だ。どれだけ時間をかけても、みんなはゼロを信頼しないだろう。
ルルーシュがあたしを見て、フッと笑う。

「おまえも素顔を見せるべきだと、そう思っているのか?」
「あたしは……」

扉のそばでは言えない。
ルルーシュの元へ、風のようにビュンと行く。
勢いがありすぎたようだ。ビクッとさせてしまった。

「……できればゆっくり来てくれ」
「ごめん……」

話す相手がゼロじゃなくて安心した。ルルーシュならすんなり話せる気がする。

「『素顔を見せるべき』じゃなくて『素顔を見せてほしい』かな。
ルルーシュが本当に信じられる相手にだけ。
あたしは、ルルーシュと共に戦いたいって言ってくれる人が、黒の騎士団にいてほしいな。
ゼロじゃなくてルルーシュと一緒に戦いたいって人が、あなたのそばに一人でもいてほしい。
この先なにがあっても、やばいピンチに襲われても、その人がいればルルーシュは絶対大丈夫だよ」
「……そんなヤツが現れればいいな」

『いるわけない』そう言いたそうな顔でルルーシュは腹黒く笑う。
くらりと急に眠くなる。この姿もこれで終わりのようだ。
引っ張られるこの感覚は知っている。気を抜けば自分の体に戻れるだろう。
でも、まだルルーシュとの話が途中なのに。

「おまえ、体が!」
「戻るだけだから、大丈夫だよ……」

すごく眠い。でも、まだダメだ。
ルルーシュにちゃんと伝えないと。

「ルルーシュを助けたいって人、きっと、いるよ……。
でも、それはゼロが、自分の素顔を見せなきゃダメ……。
知ってもらえたら、絶対……力になってくれるから……」

眠くて仕方ない。
今にも引きずり落とされそうだ。

「だってあたしは……ルルーシュの事をたくさん知って……ルルーシュを助けたいって思えたから……」

腹黒い笑みが、いつの間にか目の前から消えていた。
子どもみたいな情けない顔をしている。

「……どうしておまえは、そこまで俺を助けたいと思えるんだ?」

なんとか踏みとどまっていたけど一気に引きずり落とされる。
言いたいのに最後まで言えなくて、電源を切ったように意識が途絶えた。


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