17-2

目が覚めた空の視界に、見慣れた天井がぼんやりと映る。
自分の左手を誰かが握っていて、顔を動かせば、その手の持ち主がルルーシュだと気づいた。
椅子に身体を預け、座ったまま手を繋ぎ、かすかな寝息を立てて静かに眠っている。
寝返りを打てば、ルルーシュのまぶたがそっと開いた。

「……やっと目が覚めたな。具合はどうだ?」

聞かれてやっと、空は全快している事に気づいた。
身体を起こせば世界が反転したようにめまいがして、倒れそうになったところをルルーシュがすかさず支えてくれた。

「手伝ってやる。急に起きるな」

わずかに視線を上げ、至近距離に好きな人の顔があって、空は鼻血が出そうになる。
謝りたいのに言葉が詰まって喋れなくなり、ルルーシュが離れるまで息が出来なかった。

「喉は渇いているか? 買っておいたから飲め」

言いながら、ルルーシュはスポーツ飲料を開封してコップに注いだ。
渡されたそれを受け取って飲み干したが、空の喉はまだ潤わない。
おかわりをお願いしようと顔を上げれば視線がぶつかった。

「もう一杯飲むか?」

紫の瞳は驚くほど優しい色をしていて、今飲んだ分が涙として出そうになった。
ありがとうを言いたいのに言葉が出なくて、コップを渡して意思表示をする。
再び注いでもらって飲み干せば、ぼんやりしていた頭がやっと晴れた。
すっきりした頭に、どうして騎士団にいるはずのルルーシュがここに?という疑問が浮かぶ。
何日眠っていたんだと、空は驚愕した気持ちで時計をバッと見た。
時刻は11時過ぎ。

「ルルーシュ。今日って何曜日?」
「火曜日だ」
「え? 火曜日?
……火曜日!? そんなに寝てたの!?」
「ああ。ひどい熱だった。
精神的なストレスが原因だろうと、おまえを診てくれた医者が言っていた。
すまない、空。
あの戦場で必要だったとは言え、おまえを、敵を殺す為に利用した。
あの時のあれは、ひどく恐ろしかっただろう……」

確かにあれは、あの兵士の死に様は惨かった。
あの時の光景を夢に見れば、飛び起きて夜も眠れないだろう。
正直な気持ちをそのまま伝えたら、ルルーシュはもう自分という駒は使わない。
必要無いと言い捨てて、戦場には出さないようにするだろう。
空はそっちのほうが嫌だった。

「……あたしはルルーシュが撃たれるほうが、そっちのほうがずっと怖いよ。
障害を排除する為に、これからも変わらず利用して。
あたしはルルーシュと一緒に戦いたい」

心配するルルーシュに、空は強がりの笑みを満面に浮かべる。

「そうか……」

目を伏せ、ルルーシュは微笑んだ。
だけど無理に笑っているような、嬉しそうじゃない顔をした。

「……それなら、ナリタみたいな戦場をまた飛んでもらわないとな。
だけど依存はしない。
いきなり消えられても作戦に支障が出ないように組み込んでやる。
その為には、まずはあの姿について調べないとな……」

ルルーシュの声には元気が無い。
なのに、空を再び見て微笑む表情はいつも通りだった。

「それじゃあ次は、新しくできた友達について教えてくれ。
どんな子だ?」

空の頭に浮かんだのはすごい満面の笑みのマオ。
次々によぎっていくマオの様々な笑顔に、空は面白くなって笑ってしまった。

「マオっていう名前の男の人なんだけどね、多分年上なんだけど、弟みたいでかわいい人だよ。
背はルルーシュより高いんだけど、高いなぁって不思議と思わなくなっちゃう人なんだ」

空はあふれるほどの笑みを浮かべた。
何も知らないルルーシュですら、空がそのマオという男とどんな時間を過ごしたのか容易に想像できた。

「そうか。
それなら、紹介してもらう時が楽しみだな」

心からそう思っているような顔で言うルルーシュの瞳は少しも笑っていない。
次に会う約束をしていない事をハッと思い出した空は、ルルーシュの瞳から優しい色が消えていることに気づかなかった。

「……ごめんルルーシュ。
すぐに紹介できないかも」
「どうしてだ?」
「連絡先もらってなくて……。
公園の近くのホテルに泊まってるのは聞いてたんだけど……」

空は申し訳なさそうにシュンとする。

「相手が空に会いたいと思っているなら、その内また会えるだろう。
次の休みに俺と出かければいい」

晴れやかな笑みで励まされ、空は安堵した顔でホッと息をこぼした。
ルルーシュは頷いた後、立ち上がる。

「C.C.を呼んでくる。
あいつも空が起きるのをずっと待っていたからな。
すぐ戻るから」

言いながらルルーシュは部屋を出た。
廊下を進む歩調は速く、扉が閉まる音があっという間に遠ざかる。
表情に優しげな笑みは無く、忌々しそうに唇を噛む。
殺気を放つほど不機嫌で、どす黒い感情が心を蝕んでいくようだ。

「背はルルーシュより高いんだけど、高いなぁって不思議と思わなくなっちゃう人なんだ」

いつもは空の嬉しそうな笑顔に心が満たされるのに、今は嫌な気持ちにしかならない。
頭の中にいるもう一人の自分は『たかが友達だ。何を苛立っている』と落ち着いていて、だからこそ冷静になれた。

「キミの友達が会いたがっている、か……」

胸ポケットに手を突っ込んでいて、白い封筒を取り出した。

「(まさか、空に会うためにスザクを利用するとはな……!!)」

気づけば、グシャッと握りつぶしていた。
ハッとしたルルーシュは、慌てて元に戻そうとする。
だけど封筒はひどい具合にくしゃくしゃで、諦めの笑みをフッと浮かべ、胸ポケットに押し込んだ。

「……これの詳しい話をスザクに聞いておかないとな」

男がどうやって接触し、どう手紙を渡してきたのか、その時の一部始終は知っておかなければいけない。
もし危険な人間なら、どんな手を使っても遠ざけなければ。

部屋に戻れば、ピザ臭がふわんと匂ってくる。
テーブルには食べ終わった後のピザの箱が放置され、床には脱いだ服が無造作に置かれ、自分の部屋とは思えないほどゴチャッとしていた。
C.C.はベッドでごろごろしていて、ルルーシュは『ダメ人間め』と内心毒づいた。

「……おいC.C.」
「なんだルルーシュ?」
「ピザを食べた後はすぐに片付けろと言ったはずだ。
これで4回目だぞ」
「神経質な男は嫌われるぞ、ルルーシュ。
片付けたいと思う人間が片付ければいいだろう」

ルルーシュは天を仰ぎ、深く息を吐く。
言いたい事を全て伝えたら逆にこちらが疲れるだろうと判断し、言いそうになった文句を全部飲み込んだ。

「空が起きたぞ」
「そうか!」

C.C.はバッと起き上がり、ベッドを下りて早足で部屋を出る。
たったひと言でごろごろダメ人間が動くとは────と、ルルーシュは心底驚いていた。
それほど、C.C.にとって空は大切な人間なんだろう。
ルルーシュも急ぎ足でC.C.の後を追う。
どれだけ足が速いのか、姿はもう見えなくなっていた。

「……二人きりにしてやるか」

階段をゆっくりと下りていけば、嫌な胸騒ぎに襲われた。
足を一瞬止めたものの、自分の名を呼ぶ
空の声が聞こえた気がして、ルルーシュは血相を変えて階段を一気に駆け下りた。
空の部屋へ行こうと動いた足は、ドンとぶつかる鈍い音が遠く後ろで聞こえた瞬間、ぴたりと止まる。
ルルーシュは振り返り、その音の方へすかさず走った。
廊下には扉がいくつもあったが、ルルーシュは迷わずトイレを目指す。
不思議とそこに空がいる確信があった。
トイレの前まで行き、鍵がかかってない事を確認する。
大きくノックするが中から応答は無し。
タッチパネルを押し、扉がスライドしていく。
中で空が倒れていて、ルルーシュの息が止まった。

「空ッ!!」

なだれ込むように駆け寄り、抱き起こす。
空の顔は苦痛に歪み、食いしばる歯の隙間から荒い息が漏れていた。
固く閉じていたまぶたがわずかに開く。
ルルーシュを確かめるように見た後、辛そうだった表情が和らぎ、糸が切れたみたいに眠りに落ちた。
ガクンと重みを増す体を抱き直し、ルルーシュは安堵の息を吐く。
穏やかな呼吸がかすかに聞こえ、顔はすごく安らいでいて、ただ眠っているだけのようにしか見えない。
だけど違う。これは今までにない異常事態だ。
軽々抱き上げてトイレを出る。

「『ルルーシュを助けたい』って、あたしの心がそう思ったから」

今なら空の言葉がよく分かる。
自分もそうだ。空を助けたい。深く心から願っている。
なのに、彼女にとって最良だと思える事が自分にはできない。

「歯がゆいな……」

絶対遵守の力を持っているのに、ひどく情けない気分になる。
タイミング悪く鳴る携帯にルルーシュは眉を寄せた。
相手は多分扇だ。後で電話をかければいい。
電話だけで済めば良いが、用件によってはあちらに行かなければならない。
空が悪夢に苦しんでも手を握ってやれない────そう思うと、胸が潰れそうなほど痛んだ。
それでも進まなければいけない。
そばに居たい時に離れなければならなくなっても。
今、自分にできることをやるしかない。

「(空は数日食事を摂っていない。
胃に優しいものを作ってやらないとな)」

ルルーシュは気持ちを無理やり押し上げ、優しい笑みを浮かべた。
 

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