16-5

ルルーシュが空の部屋に帰ったのは夜が更けてからだった。
咲世子は空のひたいに冷たいタオルを乗せた後、柔らかく微笑んで迎えた。

「お帰りなさいませ、ルルーシュ様」
「遅くなってすみません、咲世子さん。
あとは俺が看ます」

全力で走ってきたのか、苦しそうな顔で小さく咳き込んだ。
そんなルルーシュを咲世子は嬉しそうな顔で見て、緩んだ表情をキリッとしてから口を開き、アッシュフォード家お抱えの医者が訪問してから帰るまでの一部始終を話した。
それを聞きながら、ルルーシュはチラッと空を見る。
穏やかな顔で眠っていて、泣いていない事にホッと表情を柔らかくした。
咲世子の報告を全て聞き終わったルルーシュは、明日はゆっくり休んでくれと伝えてから咲世子を帰した。
ベッドそばの椅子に音を立てずに座り、布団からわずかに出ている手を握る。
思っていたよりもひどく熱い。

「……あの時と立場が逆だな」

握ってくれた手はひんやりしていたな、とあの時を思い出してルルーシュは小さく笑う。
今日は激動の一日だった。
コーネリアを追い詰め、白兜に追い詰められ、忘れていた事を思い出したように、疲れがドッと押し寄せる。
全体重を預けるように椅子にもたれれば、まぶたがゆっくりと重くなった。
伝わる手の熱さに、あっという間に眠りに落ちた。

───────────夢を見た。

空と初めて会ったあの日の夢だ。
あの時の自分は、厄介で最悪な『それ』をどうやって殺そうかと本気で悩んだ。
C.C.があの場にいなかったら、自分の手を汚していたかもしれない。
あの時の自分と今の自分で、どうしてこんなにも空に向ける感情が違うのか。
いつからこうなったのか。
いつ、失いたくないと、大切だと思えるようになったのか。

あいつと初めて会ったとき、あの時の自分は、空を理解できない厄介な女だと思った。
静かな湖にひたすら岩を投げ込んでくるような、そんな迷惑な人間だと思った。
心を乱され、苛立ってばかりで、名前を呼ぶことすらしなかった。
今思えば子供だったと自分でも思う。
だからこそ、あの日のC.C.の言葉は、自分の心に深く刺さった。

「軍には関わらせないという、空を思いやる姿勢は褒めてやろう。
だがルルーシュ、お前にはまだ足りない。
人としての思いやりと、男としての振る舞いが」

「お前は空に対して何か根に持っている。あいつの存在を認めたくないほどに。
邪険な態度で接して、名前すら呼ばない。ガキかお前」


見透かされていた事にギクリとしたのを覚えている。
燃えたぎるような怒りを瞳に宿したC.C.の眼差しに、あの時の俺は何も言えなかった。

「違う世界に来た事がどれほど絶望か、お前は全然分かっていない。理解しようともしない。
家族や友人を奪われ、日常を奪われ、未知の世界に突然落とされる。
それがどれだけ孤独かお前には分かるか?
想像しろ。もしこれが自分の身に起きたらと。
考えるのは得意だろう?」


もしも、ナナリーがいない世界に自分だけが行ってしまったら。
そうなったら、ナナリーは脆く狭い世界でひとりきりだ。
考えた瞬間、あまりの恐ろしさに身震いがした。
考えるだけでこうだ。なら、あいつは?

「お前の態度はそのままでいいとアイツは言った。
嘘の優しさよりも、邪険だけど素で接してくれたほうがいいと。
お前のことが好きだからだと、嘘のない笑顔で空は言った」


その時にどんなふうに笑っていたか簡単に浮かぶほど、あいつはいつも笑っていた。
他にも様々な表情を見せていたが、絶望の色はカケラもない。
元いた世界に帰りたいとは思わないのか?
元いた世界に未練が無いのか?
大事な人間がひとりも居ないから、こっちが呆れるほど馬鹿みたいに笑っていられるんだろう。
自分とは全然違う。
やっぱり理解できない女だ、とあの時の俺は思った。
あの日────初めてあいつと外に出かけるまで、そんなことを思っていた。
だけど違う。
本当はそうじゃなかった。

「人混みの中に、親友だと思ってる子がいてね、気づいたら追いかけてた。
少し冷静になれば人違いだってすぐ分かるのに」


もし、自分もナナリーだと思える少女を人混みの中で見かけたら、きっと我を忘れて追いかけているだろう。

「この世界のどこ探してもあたしの知ってる人なんていないのに……」

自虐の笑みを浮かべながらの言葉に、笑うなと思った。
思った事をそのまま伝えたら泣き出して、どれだけ押し殺していたんだと、こちらが気まずくなるほどぼろぼろに泣き、その後で笑ったんだ。
心の底から嬉しそうな顔で。

「ありがとう、そばにいてくれて」
「もう怖くない。
この世界にはあたしを知っている人は誰もいないけど、でも、あたしが知っている人はたくさんいる。
だから大丈夫だよ」


空の言う“知っている人”が、自分が思う以上に多くいる事を知ったのはそれよりも後の話だ。
その笑顔に目を奪われたのを今でも鮮明に覚えている。
心をそのまま表に出すような表情に、自分にはそんな顔はできないと思ってしまった。
自分とは全然違う、と。

それからだ。
空に対する心境の変化を実感したのは。
最初の時よりも全然苛立たなくなったし、静かな湖にひたすら岩を投げ込まれるようには感じなくなった。
もちろん、呆れたり顔が引きつったりすることは度々あったが、それでも風邪を引いて弱っている姿を見せてしまうほどには、空の存在を許すようになっていた。
視界に入れるのも嫌だったのに、よく見るようになっていた。
だからなのか、空が会長達と出かける日、あいつの様子が朝からおかしい事に気づいた。
旅行についてシャーリーと楽しそうに話していたくせに、当日には不安が色濃く浮かんでいる。
何かあるなと思った。

「ねぇルルーシュ。
レジスタンスを一ヶ所に集めたら、何時間で全員がそろう?」
「もし、何かあったらシャーリー達を助けてほしい」


すがりつくように頼んできたその言葉に、助けが必要になる何かが確実に起こるな、と思った。
不安そうにしているのに、部屋を出た後は一度も振り返らない。
自分はもっと深く考えるべきだった。気づけたはずだった。
『シャーリー達を助けてほしい』という言葉の中に、空自身が入っていないことに。
じわじわと蝕むような胸騒ぎがした。
行かせるべきじゃなかったんだ。

「ゼロ!!
空が!! 私の友達が!!」


人質が集められた部屋に空が居ない事を確認し、捜す為に飛び出していったカレンと合流した時の事を思いだす。
泣きながら空を背負って現れたカレンに全員が息を呑んだ。
撃たれたあいつの体も四肢も全てが血で汚れ、顔色は死んだ母と同じ色で、幼かったあの日がフラッシュバックした。
ゼロの仮面をかぶっていなければ、きっと自分はその場で崩れ落ちていただろう。
よくあの精神状態で黒の騎士団を世に知らしめる宣言ができたものだ。
扇が、誰よりも頼りないと思っていたあの男が、あの場にいた誰よりも冷静だった。

「ゼロ。
この子はまだ生きてる。 大丈夫だ。
正面からここを出て、この子を医者の元へ連れて行こう」


カレンの兄が、扇にリーダーの役目を託した理由がやっと分かった。
扇には改めて感謝するとしよう。

夢が唐突に終わり、目が覚める。
空の夢を見ていたのにどうして最後は扇なんだ?
もやもやした気持ちのまま、ベッドに視線をやる。
空は変わらず眠ったままだ。
あの時の、血で汚れた手の冷たさを思い出すと、握る手から伝わる熱い温度にホッとする。
トレーラーで目覚めた空のキョトンとした表情は、いつもと変わらなくて安心したのを覚えている。
どうしてあの時、抱き締めたのか。
今でも自分自身分からない。体が勝手に動いていた。
その日から、言葉や言動や感情が、“俺らしくない”と思う事が増え始めた。
戸惑いはあった。だけど不思議と嫌じゃなかった。
分からなくて苦しいこともあった。
どんな言葉をかけてやればいいか、あいつの為にどう動けばいいのか。
どれだけ考えても正解だと思える自信がなかった。
これがもっと他の事ならここまで悩みはしなかっただろう。
少しでも笑顔になるように────そんな気持ちで、空が喜ぶ料理をたくさん作れば、あいつは驚くほどよく食べた。

「ねぇルルーシュ。
大きく変わったところはあるけど、あたしはあたしのままだから」
「だから、あたしはもう大丈夫だよ」


心の底から見たいと思っていた笑顔だったのに、気持ちはあまり晴れなかった。
俺はまだ謝っていないのに。
言いたいことも伝えられていないのに。
なんだか少し腹が立って、空を別室に連れて行った。
改めて後ろ姿を見て、その小さな背中に罪悪感を覚えた。
何度もひとりにさせてしまった。どれほど孤独だっただろう。
あの時の自分の行動は思い出すだけで恥ずかしくなる。
あれは、あの時のあれは体が勝手に動いたんじゃない。
抱きしめたい、と思ってしまったんだ。

「ルルーシュ……」

聞こえた小さい声にドキリとする。
起きたのかと思ったが、空のまぶたは閉じたままだ。
悲しい夢でも見ているのか、涙が一筋静かに流れた。
ふにゃ、と笑う。幸せそうな顔で。

「ルルーシュ……ありがと……」

俺の夢を見ているのか。
そう思った途端、顔が自然と緩んでしまう。

「後悔してないよ。
だって『ルルーシュを助けたい』って、あたしの心がそう思ったから」


頭で考えるよりも、先に心か。
空らしいな、と笑ってしまう。

「ルルーシュは死んでない!
死んでいたら、ナナリーは笑えてない!!」
「……無力な屍のくせに、なんて……自分のことをそんなふうに思わないで……」


自分の事じゃないのに、どうしてああも本気で怒れるのか。
あの時は邪魔された事に対する憤りはあったが、嬉しいと思える自分もいたんだ。

前に紙で作った小箱をもらった。
ナナリーが教えてくれた鳥と、桜の花びらと、『ありがとう』とだけ書かれたカードが中に入っていた。
空のありがとうより、俺のほうが強いだろう。
おまえとの日々を思い出す度、感謝の気持ちが強く湧き上がるんだ。

「ありがとう、空」

そしてまた眠くなって、まぶたを閉じれば、すぐに夢の続きを見た。

「珍しいな。おまえから屋上に呼び出すなんて……」
「だって様子がいつもと違うから。
何か心配事? 全然余裕がないよ。
キミは何でもないフリするのは上手だけど、今日は隠しきれてない」
「……そうか。やっぱりスザクはすごい。
おまえに隠し事はできないな」


この時のやり取りはあの日だ。
咲世子さんの代わりに空が買い物に出かけた日。
メモを渡したあの時の俺は、なんだか口うるさい姑みたいだった。

「実は、やむを得ない事情があって空に買い物を頼んだんだ。
今あいつがひとりで外にいると思うと全然落ち着かない……。
……なぁスザク。最近、すごく変なんだ……」
「変?
誰が? 空が?」
「空じゃない俺だ。
その、とにかく変なんだ。
詳しいことは言えないが、あいつの事になると、俺らしくないと思えるのが何度もあって……」


俺の疑問に答えようとしたスザクは口を閉じ、ぷるぷると震えだした。

「……どうした?」
「い、いや、ふふふ、何でもないよ。
ただ、ちょっと、ふふ、はははっ」


笑われて良い気分にはならなかった。
だけど、スザクが本当に嬉しそうな顔で笑うものだから、どんなに気まずくても俺はその場にいることができた。

「……ルルーシュは本当に、空を大切に思っているんだね。
キミは変だって言ってるけど変じゃないよ。
その人が自分にとってすごく大切で特別な人だから、いつもと違う自分になってしまったり、らしくないと思える事をしちゃうんだ。
僕だって多分そうなる」
「スザクもか?」
「うん。僕はルルーシュみたいに思える相手はまだいないな。
空はすごく大事で、幸せになってほしいと思えるけど……。
キミのそれは全然変じゃないし、素晴らしくて幸せな事だよ。
嬉しいなぁ。すごく嬉しいよ、ルルーシュ。
キミの中で空が、そんなに大きな存在になったんだね」
「泣くほど嬉しいのか?」
「わっ! ご、ごめんルルーシュ!
キミと会ってから、涙もろくなっちゃって……」


俺にとっての空みたいな存在がスザクにはまだいないのか。
目を潤ませて笑うスザクを見て、現れてほしいと強く思った。


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