15-6
夕焼けの空が、夜の色でほんの少し染まっている。
租界の街はすでにライトアップされていて、店が向かい合わせで並ぶ大通りはすごく賑やかだった。
油断してたら流されてしまうほど人が多い。
そう言えば、一人でこうやって街に出るのは初めてだ。
最初はルルーシュ。その次はC.C.だったよね。
人の多さに少し息苦しく、胸がざわざわして不安になる。
買ったキャットフードを落とさないよう抱えながら、早歩きで帰路につく。
人の流れに内心悲鳴を上げながら進んでいたら、人混みの中で誰かがしゃがみ込んでいるのに気づいた。
気分でも悪くなったのだろうか?
頭を抱えてうつむいている
道行く人はみんなが知らんぷりで、あからさまに避ける人もいた。
あたしの足は自然とその人に向かう。
「大丈夫ですか?」
声をかけると、銀髪の男の人はバッと顔を上げた。
泣いていて息を呑む。
ヘッドフォンとゴーグルをつけたその人は、こちらを見たまま一言も喋らない。
「だ……大丈夫ですか?」
もう一度言ったものの、ジーッと見つめるだけで返事がない。どうしよう……。
困ったけど、そのまま放置して帰る気持ちにはならなかった。
「何かあったんですか?
具合、悪いんですか?」
またしても沈黙。
こんなやり取りが何回も続いたら絶対声かけた人みんな帰っちゃうだろうな。
なんて考えたけど、あたしはそんな気にはならなかった。
似ていると思ってしまった。
初めて租界の街に出た日、ルルーシュと離れてひとりぼっちになって、動きたいのに動けなかったあの時のあたしと。
この人を見ていると、自分の事のように胸が苦しくなる。
助けたいと無性に思ってしまった。
「ここにいたくなかったら手、かしてください。
他のところに行きましょう」
左腕でキャットフードを抱える。
右手を差し出せば、男の人はおずおずと手を伸ばしてくれた。
初めて反応を返してくれてホッとする。
あたしの手をしっかり握り、男の人は立ち上がった。
身長がルルーシュよりも高くて驚いたが、それは顔には出さなかった。
「行きましょう。絶対離しませんから」
繋いだ手を離さないように握り、ゆっくりと歩き出した。
***
公園に到着した。
空の色がさっきと逆転し、紺色とほんの少しのオレンジ色。
夕方の時間帯のせいか公園に人の姿は無く、静かで落ち着いた雰囲気だ。
どこか座るところ……とキョロキョロすれば、すぐ近くにベンチがあって安心した。
「座りますか?」
こくりと頷き、2人で歩く。
ベンチに腰を下ろすなり、男の人は「ちょっとごめんね」と言って背を向けた。
ゴーグルを外して目をゴシゴシしている。
初めて会ったのに、初めての気がしない。
ずっと一緒にいたような、不思議で奇妙な感覚が胸いっぱいに満ちている。
なんだろうこれ……。
ゴーグルを戻し、男の人はあたしに向き直った。
「助けてくれてありがとう」
「もう平気ですか?」
「うん。すごく楽になった。
人があんなにいる場所に行ったのは初めてだったから……」
先程まで青ざめていた顔は、ほんのり血色が良くなっていた。
「人混みがダメなんですね」
「うん。すごくうるさいんだ。
人を探してなかったら絶対あんなとこ行かない」
「誰かとはぐれちゃったんですか?」
「うん。ずっと探してるんだ。
もう少しで見つけられそうなんだ」
「ずっと……ですか?
大切な人なんですね」
「うん、キミに似てる人だよ。
優しくてすごく静かなんだァ」
あたしに似てる? 静か?
そんな風に思われたのは初めてかもしれない。
「キミの名前は? ボクはマオ。
呼びすてでいいからね。敬語もいやだよ」
顔つきや身長の割に、口調はどこか子どもっぽい。
人懐っこい笑顔だ。きっと無邪気な人なんだろう。
やっぱり初めて会った気がしない。
「あたしは空だよ。
こっちも呼びすてでいいから」
「ソラ」
「なぁに?」
「呼んでみただけー」
にぱー、とマオは笑う。
一気に幼く見えて、弟みたいに思えてしまった。
少し肌寒さを感じて時計を見れば────もう19時を過ぎていた。
「ヤバッ!!」
慌てて立ち上がる。
「ごめんマオ、あたし帰らないといけないの!!」
「もう?
ボク、もっとソラと話したい」
目は分厚いゴーグルで隠れているものの、絶対チワワのような眼差しであたしを見ている。
胸が締め付けられて息が詰まった。
自分の心が自分のものじゃないみたいに、寂しいという気持ちが湧き上がってくる。
「ごめんね!
買い物だけで家を出たから、心配させてるかもしれなくて……!!」
「……それじゃあ明日、またここで話したいな」
泣きそうな声に、
「うん。わかった」
思わず、反射的にうなずいていた。
マオが今にも捨てられそうな子どもみたいで、それしか言えなかった。
「ほんと? 嘘じゃないよね?」
すがるような、悲しそうな顔。
どうしてこんなにも、手を差し伸べたいと思ってしまうんだろう。
「マオ、手を出して」
右手を伸ばせば、マオは両手で握ってくれた。
「あたしとマオは友達。
あたしは友達との約束は破らないよ」
「友達……?
ボクとソラは友達?」
「マオがイヤじゃなかったらだけど」
彼はふるふると首を振った。
「ううん。友達になりたい。
ソラともっと一緒にいたい」
やっと笑ってくれてホッとする。
「よかった」
握った手を離せば、マオはすごく名残惜しそうだった。
「また明日、ここに来るね。
マオは何時なら空いてるの?」
「いつでもいいよ」
「それじゃあ、昼すぎの2時にここに集合で。また明日ね」
「また明日」
マオはやっと笑顔を見せてくれた。
ゆっくりと日が暮れていたのに、夜になるのはあっという間だ。
もう夕食の時間だ。早く帰らないと!!
全力で走って公園を抜ける。
明日の昼の2時か。マオなら1時間前に来そうだな────
「────あ!!」
走っていた足にストップをかける。
「明日!! 咲世子さん休みの日じゃん!!」
あああヤバイ!! なんで明日でオッケーしちゃったんだろう!? 他の日に変更してもらわないと!!
引き返し、全力ダッシュで公園に入る。
走って走って、息を切らして戻ったけど、さっきまで話していたベンチにマオはいなかった。
「マオ……帰ったのかな……?」
周囲を見たけど誰もいない。
人の気配を感じない。
「どうしよう……」
明日で約束してしまった。
考えずにオッケーした事を、マオには悪いけど後悔しながら帰路についた。
***
全力で走ってクラブハウスへ帰宅する。
遅くなってしまった。
咲世子さんとナナリー、心配してるかな……。
廊下を歩きながら、バクバクする心臓を深呼吸で落ち着かせてからダイニングへ入る。
「ただいま」
テーブルにはナナリーが1人だけいて、顔を上げて笑ってくれた。
「空さん! おかえりなさい!」
あたしのただいまの声に咲世子さんがキッチンから出てきてくれた。
「おかえりなさいませ。ご無事の帰宅でなによりですわ」
「ごめんなさい遅くなって。
友達と話してて……」
「気になさらないでください。
夕食をお出しするので、空さんはゆっくりしていてくださいね」
咲世子さんの言葉に従い、いつも座っている席につく。
「空さんはお友達の方とお話しされてたんですね。
シャーリーさんですか?」
「ううん。街で出会った人だよ。
人混みで具合悪くなって動けないでいたから公園に連れていって、話してたら友達になったんだ」
もっと話したいという気持ちに不思議となる。
だけど……ああ……明日どうしよう……。
「……何か悩んでますか?」
「え?
う、ううん。どうしてそう思ったの?」
心臓止まりそうになった。
後ろめたさに、とっさに嘘が口をついて出る。
「空さん。
わたしの手を握ってください」
「え?
うん。わかった」
ナナリーの手を握る。
やわらかくて温かい手だ。握ってるだけで幸せな気持ちになる。
「空さんには何か悩みがありますか?」
「え」
ナナリーのこれって、もしかして嘘発見器的なやつ?
「空さんには悩みがありますね」
確信を持った言い方だ。
『悩みは無い』と、彼女に嘘はつけないと思った。
「え……っと……。
……悩みは、あるよ。ちょっと困った事があって……」
「ちょっと、じゃないですよね」
ひぃいいいいい!!!!
ナナリーってば鋭すぎる!!
咲世子さんは様子を見にきたのか、ナナリーの後ろに立った。
やわらかい手が、ギュッとあたしの手を握る。
「空さん。
嘘は、つかないでくださいね……」
ナナリーはすごく辛そうだ。
彼女の言葉が胸に刺さり、何も言えなくなる。
そうだよね。ナナリーに嘘はついちゃダメだ。
「わたしじゃなくて、咲世子さんでもいいです。もっと頼ってください。
ひとりで抱え込まないで」
「そうですわ。
それに、生徒会の皆さまもいらっしゃいます。
ルルーシュ様に言いづらい事なら、私が代わりに伝えましょう」
張り詰めていたものがゆるんだように、肩の力が抜けて気持ちが楽になった。
気づけば、言えなかった事を全て包み隠さず話していた。
「────って、いうことがあって……。
……すみません、咲世子さん。
明日、1時間だけナナリーのそばにいてほしいんですけど、大丈夫ですか?
休みの日なのに、すみません……」
額を床に押し付けたくなる気持ちになりながらも、咲世子さんの目をジィッと見る。
罪悪感で心が雑巾絞りされてるように苦しかった。
「1時間と言わず、もっとゆっくりお話しされてはいかがですか?」
「そうですよ。
明日は晴れだと天気予報で聞きました。
そのマオさんって方と、たくさんお話してくださいね」
「咲世子さん……ナナリー……。
ごめんなさい……ありがとうございます……」
「空さん。ごめんなさいはダメですよ。
明日の朝はクッキーを作るので、マオさんと一緒に食べてくださいね」
「まぁ。それはとても良いですわね。
たくさん作りましょう」
ナナリーと咲世子さんは嬉しそうに笑っていて、ダイニングが優しくてあったかい空気に包まれる。
その後、ナナリー達と食べた夕食は、涙が出るほど美味しかった。
***
「わたしは咲世子さんとお風呂に入ってきます。空さんはこれで、お兄さまとゆっくりお話ししてくださいね」ナナリーはそう言って、自分の携帯をあたしに渡してくれた。
見送った後、崩れるようにテーブルに突っ伏す。
「ルルーシュ……今なにしてるんだろう……」
黒の騎士団のみんなは大丈夫だろうか?
軍の包囲網をくぐり抜け、ナリタ連山から脱出できただろうか?
C.C.は今どうしているだろう?
それに、ルルーシュに明日の事も伝えたい。
話したい事や聞きたい事がたくさんあるけど、ゼロとして何かをしているかもしれない今のルルーシュに電話をかける事に、なんだかすごく抵抗があった。
きらきらした着信音が鳴り、ビクッとする。
表示された名前を見て、すぐに携帯を操作して耳に当てた。
「もしもし、空です!」
聞こえたのはホッとした息づかい。
『……俺だ。ナナリーはお風呂か?』
「うん。これで話してくださいって渡してくれたの」
『無事に戻れたみたいだな。
どこか体に異常はあるか?』
「ううん。
寝すぎて体がダルいだけだよ」
『あんな長時間、体から抜け出していたのにダルいだけか……。
……まぁ、異常が無くて何よりだ。
ナナリーの様子はどうだった? 寂しがってないか?
3日も離れるのは初めてだからな』
「ずっと楽しそうに笑ってたよ」
『……よかった。
ナナリーが戻ってきたら、電話をかけてほしいと伝えてくれ。
いつでも出れるようにしておく』
「うん。わかった。
C.C.や扇さん達は今どうしてる?」
『今は全員で食事をしているところだ。
俺はC.C.と別室にいる。
アイツはすぐそこでピザを食べているぞ』
「よかった。
ピザを食べれるくらいには元気になったんだね」
『黙々と食べている。あれから何も話さない。
そこはアイツらしいが』
「いつか聞けたらいいね。
……あ、そうだ。ルルーシュに言わなきゃいけないことがあった。
明日の昼過ぎ、用事ができたから出かけてくるね。
あたしがいない間、咲世子さんがナナリーのそばにいてくれることになったよ」
『出かける? 一人でか?』
「ううん。
さっき、アーサーのご飯を買いに外に出て、その時に友達になった人と公園に。
……ごめんね。
ナナリーのこと頼まれてたのに……」
『……気にするな。
俺だってナナリーに謝らないといけない。
最近は騎士団で家を空けてばかりいるからな。
それより、おまえが言う友達だが、俺が帰った後で紹介してくれ』
「うん、わかった」
『何かあったら連絡しろよ。
それがたとえ深夜でも、夜明け前でも、電話したくなったら連絡しろ。
いいな?』
「う、うん……」
すごく念を押すなぁ。
そんな時間にルルーシュに電話する必要がある何かが起こるとは思えないけど。
でも、そこまで言ってもらえたら心強い。
「ありがとう、ルルーシュ。
何かあったら電話するね」
『ああ。絶対に電話しろ』
通話を終え、胸がいっぱいになる。
すんなり会話ができて力が抜けた。
「……ルルーシュが帰ってきたら、ユフィの事も話したいな」
どう説明するか考えておかないと。
待っててユフィ!
ルルーシュ説得して、会えるように頑張るからね!!
その後、戻ってきたナナリーに携帯を返し、ルルーシュと話せた事を伝えたら、二人とも嬉しそうな顔でニコニコした。
幸せそうに笑ってる理由が分からなくて、不思議に思ったままお風呂に入った。
***
体の芯まで温まった。
着替えやドライヤーを全て終わらせてからダイニングに戻る。
ナナリーと咲世子さんは鶴を折っていて、あたしも席に座った。
「空さん。
はいどうぞ」
ナナリーはオレンジ色の鶴を両手に乗せ、差し出してきた。
「空さんにプレゼントです。
きれいに折れてますか……?」
ナナリーはどこか自信が無さそうだけど、彼女の鶴はすごく丁寧に折られていて驚いた。
一生懸命折ってくれたんだろう。
「ありがとう、ナナリー!
すっごくきれいに折れてるね。まるで生きてるみたい」
「おおげさですよ」
ナナリーは嬉しそうに頬を染めた。
「空さんにプレゼントしたこれが最初の一羽です。
多くなると思いますが、千羽受け取ってくださいますか?」
「千羽も?」
「はい。千羽折ると願いが叶うんですよ。
ねぇ? 咲世子さん」
「はい。
願いを込めながら一羽ずつ折るんです。
それが千羽も集まれば、どんな奇跡だって起こりますわ」
「奇跡、ですか……」
不思議だ。
咲世子さんが言うと、どんな奇跡も本当に起こるんじゃないかと思えてしまう。
「わたしは、空さんの願いごとが叶うようにって思いながら折ったの」
一羽折るだけでも大変なのに、ナナリーにも叶えたい願いがあるはずなのに、あたしのために折ってくれた。
今日が自分の誕生日みたいに嬉しくなる。
「ありがとう。
あたしの願いごとは千羽折らなくても叶うことだよ」
「空さんのお願いは、千羽折らなくても叶うんですか?」
「うん!」
『ルルーシュのそばにいたい』
それがあたしの願いごとで、千羽折らなくても叶う願いだ。
ルルーシュは優しいからずっとそばにいられるだろう。
でもそれは、ルルーシュが望む世界になるまでだ。
戦う必要のない、ナナリーとルルーシュが安心して生きられる世界になったら、あたしは元の世界に戻らなければいけない。
マリアンヌさんに確認したわけじゃないけど、何となくそう思った。
「あたしよりも、ナナリーが本当に叶えたいと思ってる事をお願いしよう」
「いいんですか?」
「うん。
あたしはナナリーと一緒に折りたいな。
一人で千羽って大変だし、一緒にやったほうが楽しいから」
「はいっ。
ありがとうございます、空さん!」
「一緒に折るなら、ナナリー様が叶えたいお願いを空さんにお伝えしないといけませんね」
「えっ空さんにですか?」
予想外だったのか、ナナリーは大きくうろたえた。
見て分かるほどオロオロし、恥ずかしそうにうつむいた。
ナナリーの叶えたいことってアニメ3話で出ていたような。
確か『優しい世界でありますように』だったよね。
「言わなくていいよナナリー。
あたしは、ナナリーの願いが叶いますようにって思いながら────」
「いいえ! 空さんにはちゃんと話します!」
ナナリーは真剣な表情で顔で上げる。
緊張しているのか、はぁふぅと可愛い深呼吸を繰り返す。
しばしの沈黙の後、ナナリーは口を開いた。
「……空さん。
わたしは、わたしの願いは……」
ナナリーは手を祈りの形に組み直して言う。
「お兄さまのいる世界が、お兄さまに優しい世界でありますように」
それが、ナナリーの心からの願いなんだ────そう思ったら、涙が出て、大粒の涙になって、目から溢れた。
ナナリーは息を吐いて照れ笑いを浮かべる。
「思っている事を声に出して言うのって、恥ずかしいですね……」
涙が止まらない。
さらにブワッと溢れた。
「言ってくれてありがとうね……!
ありがとね、ななりぃいいいい……!!」
大号泣にナナリーはギョッとする。
「えっ!?
だ、大丈夫ですか空さん!?」
「空さん、これを使ってください」
咲世子さんから貰ったティッシュで顔を覆う。
すっごい柔らかい良いやつだ。
顔を隠していても、ナナリーがオロオロしている空気は伝わってくる。
「だいじょぶだよ……。
ななりーがほんとうに、おもったこと、きけて……う、うれ、うれしかった、だけだがら”……っ」
ルルーシュを助ける────そう思ってここに来たけど、今思うのはそれじゃない。
あたしはルルーシュと同じ道を歩きたい。
彼の望む世界にする為に、自分にできる全てをやりたい。
『何でもやってやる』
そんな強烈な気持ちが、燃え上がるように心に宿った。
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