26.海の色と桜の色

『今度の休み、みんなで海に行かない?』

スザクの提案から数日後の週末、ルルーシュ達は租界から一番近い海へと足を運んだ。
海水浴の季節じゃないため、周りには誰もいない。

「わぁ……!」

海が一望できる砂浜に立ち、空は歓声を上げた。
その後ろでナナリーを横抱きにしたスザクがやって来て、隣にはルルーシュも並び立つ。

「さざ波は聞こえるかい?」

ナナリーは海の風を感じているのか、スザクの問いに少しの間を空けて答えた。

「はい、聞こえます。
海に来たんですね、本当に。
優しい音……」
「ナナリー。
天気はいいけど風があるから、もし肌寒いなら言ってくれ」

必要なものを全て詰めたリュックを背負い直し、ルルーシュは砂浜で動かずジッと立つ空に視線を向ける。
きらきらと輝く眼差しで海を見つめる彼女は、飛び出したくて仕方ないと言いたげにうずうずしていた。

「……空。
俺達は構わないから先に行っていいぞ」

ギクリとした空は恐る恐るルルーシュ達を振り返り見る。

「海に来たかったんだよね?
遠慮しないで行ってきて」

ルルーシュとスザクからGOサインをもらい、空はパァッと笑顔を咲かせて海に向かって走り出した。
遠ざかっていく背中を見送るルルーシュとスザクは、子どもみたいだな、と顔を緩ませる。
波際まで走った空は迫るさざ波に驚き、尻餅をついてしまった。

「何をやってるんだあいつは……」

ルルーシュは慌てた顔で彼女の元に早足で行く。
彼の呟きを聞いたナナリーは楽しそうにクスクス笑った。

「お兄さまったら。
空さんのこと、本当に大切に思われているのですね」
「分かるの?」
「ミレイさんが話していたんです。
すごく大切に思っている相手にだけ本当の自分を見せられるって。
空さんのことになると、お兄さまはわたしの知らないお兄さまになります。
そのお兄さまが本当のお兄さまだと思うんです」

本当の自分を見せられる相手が、誰よりも大切な兄にいる。
そのことがナナリーは嬉しかった。

「ねぇスザクさん。
ここから離れた場所に行きませんか?
お兄さま、わたし達がいたら照れてしまって何もできないと思うので」
「ナナリー……。
……会長さんに何を教えてもらったんだい?」
「それはもちろん秘密です」

ナナリーの大人びた微笑みにスザクは目を丸くさせる。
彼女はもう子どもじゃないんだと改めて思い、スザクは苦笑した。


  ***


ルルーシュの手を借りて立ち上がった空は、照れ笑いを浮かべてスカートについた砂を払った。

「ごめん、ルルーシュ」
「いい、気にするな。
それよりもおまえ、海に行ったのは初めてだったのか?」
「うん。見たことはあるけど実際に行ったことはなくて。
砂浜だと上手く走れないんだね……」

低反発クッションのような踏み心地だ。
寄せてくる波は襲いかかるように早く、水面は太陽の光を反射してきらきら輝いている。
空には全てが新鮮に見えた。

「すごいね、浜辺の砂って。
公園の砂場と違ってすごく細かいんだね。手触りもいいし。
よし、靴脱いじゃおっと」

手早く脱いで裸足になった空はもう一度砂浜を踏みしめる。
軽く沈み込む感触が楽しくて何度も足踏みする。
そう言えばスザク達は?と空は顔を上げた。
さっきまでいた所に二人の姿がない。

「……あれ? スザクとナナリーは?」

ルルーシュは周りを確認し、遠く離れた場所に小さくポツンと見える彼らに気づいた。

「いつの間にあんな遠くに……」

それは空も同感だった。
ルルーシュは一息ついて彼女に向き直る。

「空。
多分、今しか渡せないと思うから受けとってほしい」

緊張しているのか、ルルーシュは視線を上下させてやっと空を見た。
胸ポケットから小さな箱を出して彼女の手の平に乗せる。

「これは?」
「できれば……その、つけていてほしい」

空の質問に少し外れた答えを返す。
普段の彼では考えられないほどガタガタした声。緊張がそのまま出ていた。

箱は指輪を入れるケースを連想させ、空はドキドキしながらそっと開ける。
箱の中に収まっていたのは、花開いた桜の形の石が埋め込まれた円形のペンダントだ。
ロケットのように開閉できることに気づき、空は深く考えずに開けてみる。
聞こえたのはオルゴールの旋律。過去でマリアンヌが弾いていた曲だった。
空は驚き、顔を上げる。

「ルルーシュ、これ……」
「俺の好きな曲だ」

聞こえる穏やかな旋律に空は心地よさそうに目を細める。

「……ありがとう、ルルーシュ」

曲を聞いていたい気持ちはあったが、これを首に下げたいとも思った。
ペンダントを閉じ、留め具を外して鎖の両端の持ち上げ、首へと回す。
すぐにつけられると思ったのに留め具は上手く噛み合わない。
ルルーシュがすかさず空の後ろに回った。

「俺がやる。そのままでいろ」
「あ……うん。ありがとう」

ペンダントを受け取り、ルルーシュはあっという間に鎖を繋げる。
最初から頼めばよかったと空は苦笑し、ルルーシュに向き合った。

「どうかな? 鏡無いから分からなくて……」
「ああ、すごくいい。
やはりその色にしてよかった」

空はペンダントに視線を落とす。
陽の光を浴びた桜の石は優しい色をしている。
いつの間にかルルーシュがすごく近くにいて、空はハッと視線を上げた。
顔がものすごく近い。
きっと普段なら驚いて後ずさるだろう。
だけど今は、不思議と動く気にはならなかった。
ルルーシュの指が空の頬を優しく撫でる。

「……キスしたいと、思ってしまった。
してもいいか?」

空は物言いたげに口を開閉させ、でも最後にはゆっくり頷いた。
唇を結び、顎をわずかに上げ、まぶたを閉じる。
頬を触れる手がわずかに震えている。
今ルルーシュがどんな表情をしているのだろう? 緊張しているのは確かだ。

唇と唇が触れ合ったのはほんの数秒、軽く押し当てる子どもみたいなキス。
触れ合った唇が離れ、ルルーシュも空もお互い顔を背けてしまう。
顔が燃えるように熱かった。

寄せては引く波の音だけが静かに聞こえる。
先に空が沈黙を破った。

「……ねぇ、ルルーシュ」
「あ、ああ……どうした?」
「おまえにとっての幸せは何だ?って前にルルーシュ聞いたよね」

ナリタ連山の出来事よりもっと前、カレンの母親が病院に運ばれた日にルルーシュが言った話だ。

「あたしにとっての幸せは変わらないよ。
ここにルルーシュがいて、ルルーシュのそばにいられることがあたしの幸せだから」

気持ちを言葉にするよりも先にルルーシュは空を抱き締めた。
驚きにまばたきする空は、おずおずとルルーシュの背中に腕を回す。

心が温かくなる。
幸せだと、離れたくないと、ふたりは思った。


  ***


月が夜空で輝く晩、スーツを着たC.C.がルルーシュの部屋に帰宅した。
窓辺に置いたテーブルでお茶を飲んでいたルルーシュと空が安堵の顔をする。

「遅くなったな、ルルーシュ。
成果は後で報告する」
「ああ。明日聞かせてくれ」
「途中で抜け出してすまない。
マオの事は……マオは私が終わらせた」

ルルーシュも空も無言でうなずいた。

「全部終わった。
だからマオの事は忘れてくれ」

淡々と言ったそれにルルーシュは静かに息を吐く。

「忘れてくれと言われても簡単には忘れられないだろう。あんな強烈なヤツ。
あれはギアスを使い続けた者の末路だ。
俺は忘れない。あんな風にならない為に」
「あたしもだよ。
マオにされた事は……忘れられないな」

感じた恐怖は簡単には消えない。
その時の事は明確に思い出せるし、ふとした瞬間にフッと蘇るだろう。
胸の奥が苦しくなり、呼吸がうまく出来なくなる記憶だ。
自然と握っていた右手にルルーシュが暖かい手を乗せる。
包み込んでくれる大きな手だ。
心を締めていた苦しみが柔らかくほどけていく。
空の目に、唇を噛んで今にも泣きそうなC.C.が映る。

「忘れられないけど、忘れたくない記憶もあるよ。
マオと一緒にいて楽しいって思えた日も確かにあったから」

C.C.の泣きそうな顔がだんだんと晴れていく。
心から安心した、穏やかな表情でC.C.は笑った。

「そうか。
忘れたくないと思える記憶が、おまえにはあるのか」

触れていた手で今度は頭を撫で、ルルーシュは席を立つ。

「俺は扇のところに行く。
今日はふたりでゆっくりしろ」
「行ってらっしゃい。
ナナリーの朝食は作るからね」

いつものカバンを肩に下げ、ルルーシュは「すまない。行ってくる」と笑んで部屋を後にした。
見送った後、C.C.はスーツを脱いで椅子にかけていく。

「今日は眠くなるまで話したい。
いいか?」
「もちろん」

C.C.は嬉しそうに笑う。
その表情に空は思った。
前にいつか見た子どもみたいな無邪気な笑顔と同じだ、と。

 
[Back][26.5話へ]
 


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -