25-2
検査と問診の結果、すぐに退院することができた。
学園に戻れば部活の時間なのか、校内はあちこち賑やかだ。
「ナナリーは咲世子さんと一緒にいる?」
「今は生徒会室にいる。
リヴァル達がいてホッとする、と言っていた。
もちろん近くには咲世子さんもいるから大丈夫だ」
ルルーシュの言葉に安心した。
縛られ、暗い地下へひとり連れていかれ、頭上で爆弾が揺れている恐怖は簡単には消えない。
生徒会室にいるなら安心だ。
「空は何も食べなくていいのか?」
「うん。お腹空いてなくて。
それより先に手紙を読みたいな」
自分の部屋に帰れば懐かしさを感じて胸がいっぱいになった。
ベッドに座り、ルルーシュが隣に腰掛けてから手紙を開封する。
封筒の中もくしゃくしゃだ。
紙が二枚入っていた。
手で歪みを伸ばしてから一枚目を引っ張り出し、便箋を開いて驚いた。
日本語でメッセージが書かれていたからだ。
「これをユフィが書いたのか……」とルルーシュは呆然と呟いた。
あたしも驚いた。ブリタニア人のユフィが日本語で手紙を送ってくれたなんて。
筆跡は美しく、優しくあたたかみのある言葉が綴られている。
ユフィをすぐそばに感じることができて、嬉しさに目頭が熱くなった。
一生の宝物をもらった気がした。
浮かんだ涙を拭い、もう二枚目を引っ張り出す。
今度は金色の縁で彩られた美しい筆跡の英文の手紙だった。
最後に書かれているのはユフィのフルネームと真紅色の紋章。
これはあたしがもらってはいけない品では?
緊張に身が硬くなる。
「これは……」
ルルーシュはあたしと同じような顔をしていた。
「………大変なものを渡されたな」
「ど、どういう意味?」
「これはエリアを管理する者だけが使用できる印章だ。
この種類、これは副総督……ユフィのものだろう」
「知ってるの?」
「ああ。これが押された書類を一度だけ見たことがある。
この印章は偽造ができないものだ。
読んでもいいか?」
差し出したそれをルルーシュは両手で受け取った。
印章の書類を読む眼差しは真剣で、深く考える瞳は美しい色をしている。
その手紙はルルーシュのほうがふさわしいと思ってしまった。
ふ、と軽やかに息を吐き、ルルーシュは手紙を返してくる。
そして重いため息をこぼした。
「こんな恐ろしく重要なものを、そこらで売っているような封筒に入れるとは」
「これってすごいやつなんだ……」
「……ああ。他の奴の手に絶対渡してはならないものだ。
これを持つ者が政庁を訪れた時、国外から来た奴だろうがゲットーの人間だろうが、出自を問わずノーチェックでユーフェミアに会わせなければならない。
住民IDを持たないおまえでも問題なく確実に会えるだろう。
ユフィは本気だ。
どうしても空に会いたいんだろう」
ユフィに会える道が明確に見えたけど、それでも踏みとどまってしまう。
だって行き先は政庁だ。
「ルルーシュ。
……行っても、いいかな?」
「もちろんだ。
まさかここまで最善を尽くしてくれるとはな。
行く時はスザクが案内するだろうから不安はない」
ホッとして泣きたくなる。
心に喜びが一気に広がったように思えた。
「ありがとう! ありがとうルルーシュ!!」
「ただし」
「う、うん」
「住民IDは持っていなくても、身元を保証する人間はいたほうがいいな。
ユフィと会った後、ユフィに無断でおまえについて探る人間は絶対出てくるだろうから」
ユフィと会った後、か。
考えていなかった事を指摘され、恐ろしさがじわじわと湧いてくる。
「探ってはならない人間がおまえのバックにいる─────そう思わせられる身元保証人が必要だ。
たったひとりだけいる」
「それって……?」
「桐原公だ」
見事な案に手を叩きたくなった。
「桐原公と交わした約束は覚えているか」
「うん! いつか生身で会いに行くって約束だよね」
「ユフィに会いたいだろうが、桐原公の元へ行くのが最優先だ。
桐原公なら身元保証人の件を快諾してくれるだろう。
手紙を送って返事が届いたらフジに行ってくれ」
「うん。それじゃあ騎士団のみんなにも会えるね」
心がまた温かくなる。
千羽鶴のお礼は手紙じゃ足りない。
直接伝えたかった。
安心したらお腹が空いてきた。
それを言えば、ルルーシュは意味深に微笑み、あたしをダイニングに連れて行く。
中へ入ればエプロン姿のミレイが待っていた。
「退院おめでとう〜!!
お帰りなさい、空!」
「えっミレイ生徒会は?」
「後で行くわ。
まずは空にご飯を食べさせるのが先!
ほらほら、席に座ってちょうだい」
促されて着席する。ルルーシュはキッチンへ行った。
さっきの意味深な笑みはこれが理由か。
素敵なサプライズだ。
キッチンに行ったミレイはすぐに戻ってくる。
ふわりと美味しそうな匂いがして、料理の皿がテーブルへ。
きらきらと澄んだスープとクリームパスタにお腹が小さく鳴る。
空腹の音に気付いたミレイは朗らかに微笑んだ。
嬉しそうな表情は生徒会室にいる時よりもやわらかい。
お姉さんがいたらこんな感じか、と惚れ惚れ思った。
***
食べれば食べるほど食欲が出てきて、今までご飯を食べなかった事もあり、おかわりした分も完食した。
「ごちそうさまでした」
ゆるみきった頬のまま伝えると、ミレイは満足そうに笑んだ。
「それだけ食べられるなら大丈夫ね。全然食事をとってないってルルーシュに聞いたから。
元気出た?」
「すっごく元気出た! 作ってくれてありがとう、ミレイ」
「ごちそうさま。
おいしかったですよ、会長」
ルルーシュは食べ終わるなり、食器を手に席を立った。
「俺は先に生徒会室に行ってきます」
「あ、待ってちょうだいルルーシュ。
大事な話があるんだから」
行こうとしたルルーシュは、慌てて呼び止めるミレイに目を丸くした。
「俺もここに居ていいんですか?」
「そうよ。
空だけじゃなくてルルーシュにも聞いてほしい話だから」
立ち上がったルルーシュはまた着席した。
大事な話って何だろう? 変にドキドキしてしまう。
「緊張しないで。
これからの事を話したいだけだから」
パチリとウインクしたミレイの表情に不思議な安心感を抱いてしまう。
姉がいたら本当にこんな感じかもしれない。
「空は『白の追憶』と『蒼き瞳のセリス』は知ってる?」
「ううん。初めて聞いた。
本のタイトル?」
「オペラよ。ブリタニア本国で有名な作品。
主人公はどちらも記憶喪失で、だけどストーリーは全然違う。
『白の追憶』は失った記憶を取り戻そうとせず、新しい人生を歩む主人公の話で、『蒼き瞳のセリス』は過去を追い求めて遠く離れた恋人や家族と再会する話なの。
何ひとつ思い出せないって空から聞いた時、それが頭に浮かんだわ。
家族や故郷の景色、どれかひとつでも思い出せたら良かったんだけど……」
今はどう?とミレイの眼差しが問いかけてきて、首を振って否定する。
残念そうにシュンとしたミレイに罪悪感が湧く。
嘘ついて本当にごめんなさい。胸がギリギリと絞められる苦しさに襲われた。
「空も今までの記憶を思い出せないでしょう?
これから先、あなたがどう生きたいのか教えてほしいの」
心臓が動揺で大きく跳ねる。
記憶喪失の嘘について深く考えていなかった事を内心後悔した。
動揺が顔に出てしまったのか、ミレイが慌てた様子で続けた。
「ああ大丈夫よ。心配しないで。
空がどちらの生き方を選んでも、あなたを助けるつもりだって言いたかったの。
もし空が新しい人生を生きたいなら、あなたを養子として迎えたいってお祖父様が言ってたわ」
その言葉に耳を疑った。一瞬、何かの冗談かと思った。
だってあたしは身元不明の日本人だ。そんな人間をアッシュフォード家に迎え入れるなんて……。
隣に目を向けなくても、あたしと同様ルルーシュも驚いているのが気配でわかった。
「租界に住む者が持たなければいけない身分証明書について、空はルルーシュから聞いているわね。
提示しなきゃいけない状況はめったに無いんだけど、いつかは提示を求められるわ。
その時が来たら強制排除よ。もうここには居られなくなる。
行きたいと思っても、二度と租界には入らせてもらえない。
ここに居続けたいなら名誉ブリタニア人にならなきゃいけないけど、あなたには……」
「……うん。ルルーシュから聞いた。
身元不明の人間は名誉ブリタニア人になれないって」
「お祖父様が言っていたわ。
空が安全に暮らすためには養子としてアッシュフォード家の一員になるしかないって」
「どうしてそこまで……。
……どうしてそこまでしてくれるの?
あたし、ミレイのお祖父様と会った事も話した事もないのに……」
「ええ、そうですよ会長。
空を養子に迎えても、理事長やアッシュフォード家には何ひとつメリットは無い。
むしろリスクのほうが多いな」
真剣な声に胸を抉られたような気がした。
本当にその通りだ。
あたしがここに居るせいで迷惑をかける事のほうが絶対多い。
ふわりとミレイは微笑んだ。
その優しい表情に、あたしもルルーシュも面食らう。
「これはルルーシュも知らない話なんだけど、実は私のお祖母様も記憶喪失なの」
「えっ」
「アッシュフォード家のプライベートビーチに流れ着いたお祖母様をお祖父様が助けたの。
一目惚れだった、ってお祖父様は言っていたわ。
故郷も家族も思い出せず、過去を恐れるお祖母様を守るために、お祖父様は結婚を決めたそうよ」
「過去を恐れる?」
「崖、かしら……高い所から海に落とされたみたい。
記憶を失っても、それだけは心に根深く残っていたそうよ。
詳しい話はお祖父様しか知らないの」
「今、ミレイのお祖母様は……?」
「私が幼い頃に亡くなったわ。
春の暖かな日にお祖父様に手を握られながら、嬉しそうな笑顔で眠るようにね。
記憶を失い、思い出せない空が自由に生きられるように、お祖父様はあなたを助けたいの」
その話でやっと納得できた。
ミレイのお祖父様にとって、記憶喪失のあたしは放っておけない存在なんだ。
嘘をついていることが苦しくなる。
養子だなんて、そこまでしてほしくない。
罪悪感に突き動かされて本当のことを明かしてしまいたくなる。
でも今吐き出すのは絶対ダメだ。
苦しさを消す為の、あたしが楽になりたいだけの告白はしちゃいけない。
「返事は今すぐじゃなくていいの。
時間をかけて考えて、どう生きたいか決めてちょうだい。
住民IDが無くて色々制限されて不便だけど、私とお祖父様があなたを守るから」
「ありがとう、ミレイ。
よく考えて決めるね」
「今日はゆっくり休むのよ。
また明日、生徒会でね」
ミレイの笑顔を見ると不思議と安心してしまう。
ダイニングを出るミレイを見送った後、ほんの少しだけ寂しくなった。
隣をそっと見れば、深く考えて沈黙するルルーシュが顔を上げた。
深い色をした紫の瞳と視線が合う。
「養子だって……」
「ああ」
「すごい事になったね……」
「そうだな」
「……養子の話、どうしたらいいと思う?」
「何かあった時の後ろ楯はあったほうがいい。
だが、今は養子の話は保留にしておくべきだ。
ユフィを補佐する軍人の耳に、アッシュフォードの名前が届くのは避けたいからな」
「う、うん」
ヒヤリとした緊張に身震いする。
改めて、慎重に動かなければいけないのだと実感した。
***
夕方、生徒会が終わってナナリーと咲世子さんが戻ってきたら、何故かスザクも一緒だった。
ルルーシュも想定外だったのか、少しばかり驚いている。
「戻ってきても大丈夫なのか?」
「うん。やるべき事は全部終わったから」
「来てくれてありがとうスザク。
ナナリー、咲世子さん、お帰りなさい」
咲世子さんは会釈し、ナナリーは表情をホッと和らげた。
どうしてだろう。笑顔なのに今にも泣きそうだと思ってしまった。
「ナナリー。そばにいってもいい?」
「え? あ、はい。どうぞ」
すぐに距離を詰め、しゃがんで目線を低くする。
いつもと同じ笑顔だけど、どこか違うと感じてしまった。
違って当然だ。マオにされた事で感じた恐怖は簡単には消えないから。
たとえリヴァル達や、スザクと咲世子さんがそばにいたとしても。
「ぎゅっとしてもいいかな?」と聞けば、笑顔がほんのわずかに崩れた。
手を前に出してくれたナナリーを、言葉の通りにぎゅっと抱き締める。
すると、ぎゅううううぅっと抱き締め返してくれた。
伝わる体温がいつもより熱かった。
「……空さん。
次のお休みの日に一緒に海に行こうって、スザクさんが言ってくれたんです」
ナナリーが抱き締めていた腕を離し、あたしも自然とそれにならう。
わずかに離れると嬉し泣きの満面の笑みがすぐそばに。
ナナリーの長い睫毛が濡れている。
きらきらと光って見えるそれを、宝石みたいできれいだとあたしは思った。
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