24-3

ぼやける視界が徐々にハッキリとする。
自分が今どこにいるのかやっと見えてきた。
木製の横長の机が奥までたくさん並び、通路には赤いカーペットが敷かれ、最奥には大きな扉がある。
ここは礼拝堂だろうか。
確か学園の敷地内にあったはず。

目線を上げればステンドグラスが視界に入り、顔を動かせば、司祭が聖書を読み上げる説教壇に立つマオの背中が見えた。
カチャカチャと何かを触る音が聞こえる。
振り返ったマオは嬉しそうな笑みをあたしに向けた。

「ルルーシュと最後の勝負をするから待っててね。
これでキミをルルーシュから解放できる」

何を言ってるんだ、マオは。
なにが解放するだ。手足を縛った張本人にくせに!

泣きたくなるほどムカついた。
怒鳴ろうと無意識に開いた口を、唇を噛み締めて無理やり閉じる。

ダメだ。
今、思うままに言ってしまったら。
自分の言葉でマオを逆上させてしまうかもしれない。
言いたい事も、伝えたい事も、全てをグッと飲み込んだ。
ギィッと音を立てて礼拝堂の扉が開き、ルルーシュが入ってきた。
マオは演技がかった仕草で両腕を広げる。

「ようこそ、泥棒ネコ君!
武器も作戦もなく、爆弾もそのまま。
黒の騎士団も使ってないし、さっきのお友達にもその場で待つように言っただけ。
どうしちゃったの、ルルゥ?」
「分かりきった会話をする気はない。
用意してあるんだろう? ラストゲームを」
「うん。
決着をつけよう、キミの得意技で!」

説教壇にはチェス盤と駒と、扇形の目盛りがついた天秤が置いてある。
カチャカチャ聞こえた音はあれか。
赤いカーペットを踏みしめ、ルルーシュが近づいてくる。

「必ず助ける。
待ってろ、空」

その言葉と冷厳な表情に心がストンと落ち着いた。
ルルーシュの瞳には、絶対大丈夫だと思える力強さが宿っていた。

説教壇まで進み、ルルーシュはマオと向き合った。

「説明しろ、マオ。
このゲームのルールを」
「簡単だよ。
互いに取り合った駒をこの天秤に乗せる。
これは爆弾の起爆装置でもあり、解除スイッチでもあるんだ」

マオはおもむろに盤上の駒をひとつ取り、天秤の片方にそれを乗せる。
目盛りの針が、駒を乗せた側にわずかに傾いた。

「この目盛りが完全に僕の方へ傾けば爆発。
キミの方へ傾けば爆弾は解除される。
つまり、キミが勝てば妹は助かるって事さ」
「趣味が悪いな。
捨てられるわけだ、C.C.に」
「挑発は通じないよ。
キミの心は丸わかりなんだから」

ルルーシュの皮肉にマオは嫌な笑みをニヤニヤと浮かべる。

「キミは頭をカラッポにできるタイプじゃない。
いつだって自分の行動を見ている批評家の自分がいて、その批評家の自分を冷めて見つめているもう一人の自分がいて、そういう人間なんだよキミは」

ゲームが始まった。
ルルーシュが駒を動かし、マオはにやりと笑う。

「フフ……無駄だよ。
どれだけ考えようとボクの勝利は動かない」

マオが駒を動かしてルルーシュの駒を取る。
投げ入れれば天秤が傾き、ルルーシュは小さく呻いた。

駒の取り合いが続く。
盤上がよく見えないけど、音や声、余裕そうに笑うマオと苦しげなルルーシュの表情に、どちらが優位か嫌でも分かった。
マオがパンパンと拍手してルルーシュを挑発する。

「凄い! 七つの事を同時に考えてボクを惑わせようって作戦だね?
でもねぇ、ボクのギアスをキミだけに絞れば何が真実か読み取るのは簡単さ」

マオが動かした駒にルルーシュは絶句する。
見た事無い表情に血の気が引いた。

「あ〜あ、最後の策もダメだった。
ボクを見くびるから、妹の命が……」

マオが取った駒を乗せれば、天秤がまた傾いた。
目盛りを見た瞬間、緊張に息が止まる。
あと一つ駒を乗せただけで完全に傾くところまで進んでいた。

「……どうしよう? もう策がない!」

心から楽しんでいるマオの声に、不快感で心がざわついた。
次はルルーシュが駒を動かす番だけど、ルルーシュはぴくりとも動かない。
押し潰すような不安で息苦しくなる。

「他人を使おうにも、ナナリーを人質に捕られている以上────」

突然、コインが床を跳ねる音が礼拝堂に響いて、心臓が本当に止まるかと思った。
ルルーシュもバッと顔を上げる。
顔色はひどく悪い。

「ごめんごめん、落としちゃった〜!」

床に落としたコインを拾う。
わざとらしい行動はルルーシュを揺さぶる為のものだろう。

「キミの番だよ。急がないと。
ほらほら、時間が無くなっちゃうよ。
妹がいなくなっちゃうよ〜!」

ルルーシュは駒を動かそうとしたが、マオはすかさず口を開く。

「へ〜そんな手でいいんだ。本当にイイのぉ〜?」

頭の中の、どこか一部がブチッと切れそうになった。
手足が縛られているのが本当に憎い。
暴れたけど、バタンバタンと音がするだけだった。
体が痛い。荒い息を吐き、グッと顔を上げる。
駒を動かそうとした手をだらんと下げるルルーシュが見えた。
弱りきった顔をしている。

「……もういいだろ」

かすかな声で呟いた。

「んん〜?」
「やめてくれ、マオ」

切羽詰まった声で言うルルーシュにマオはニヤニヤする。

「よく聞こえないなァ〜?」
「もう充分だろ!? ナナリーを助けてくれ!!」
「ハア〜?」

首を傾げて次の言葉を待つマオに、ルルーシュは悔しそうに唇を噛む。

「俺の……」

絞り出すように、血を吐くように言った。

「……俺の負けだ!」

負けを認め、その言葉を口にするのは、ルルーシュにとってどれほど屈辱か。
打つ手が本当に無いんだ。
悔しさが伝染して、じわりと涙が浮かぶ。

「フッ!
フフ……ハハハ……ヒャハハハハ!」

マオが手を叩く。喜びの拍手を何度も何度も。
狂ったように叩き続け、そして手を広げた。

「よく言えましたぁ〜!
ようやくキミの心の底からの声を聞かせてもらえましたねぇ!
気持ちイイ〜! サイコォッ!」

マオは満足そうに息を吐き、盤上の駒をひとつ手に取った。
動かして、そして、

「……でもダメ。
これで、チェックだ」

マオは何を。
目を見開き、凝視する。
マオは取った駒を天秤に放り投げた。
カラン、と音がして、目盛りが完全に傾いた。

「やめろおおおおーっ!!」

ルルーシュの絶叫に、怒りの感情に、体が突き動かされる。
縛られているけど関係ない。体を床に打ち付けながら這い進む。
頭突きのひとつでもしないと頭がおかしくなりそうだった。
怒りの感情が心を支配していたけど、ガラスの割れるけたたましい音でハッと我に返る。
スザクがステンドグラスを破って乗り込んできた。
颯爽と現れたスザクは床に散らばった破片を踏みしめ、マオの前に立つ。
驚愕の表情でマオは目を見開いた。

「どうしてお前が! まさかボクの意識を集中させて!?」

マオは隠し持っていた拳銃をとっさに出すものの、それより早くスザクが動いた。
あっという間に距離を詰め、素早く鋭くぶん殴る。
転倒したマオの手から離れた拳銃をスザクは蹴って遠くにやった。
そして、倒れたままのマオに言い放つ。

「自分はブリタニア軍准尉、枢木スザクだ!
治安擾乱 じょうらんの容疑でキミを拘束する」

来てくれただけじゃなく、殴ってくれた。
張り詰めていたものが切れ、涙がドッと溢れる。

「スザク……!」

かすれた声で言うルルーシュも、今にも泣きそうな顔をしていた。

「お前……あの爆弾を解体したのか!?
そんな! 振り子とスピードを合わせて!?」

思考を読みながらマオが叫ぶ。

「どのラインを切ればいいかはルルーシュが教えてくれたからね」

一番驚いたのはルルーシュだ。

「俺が教えた!?」
「何言ってるんだい。キミの指示だろ?
叫び声が聞こえたら突入しろって事も」
「俺が!?
……あ!」

ルルーシュの顔つきが変わる。
あたしも気づいた。
思考を読むマオを攻略する為に、ルルーシュは自分自身にギアスをかけたんだ。

勝利を確信したルルーシュはいつもの笑みを浮かべた。

「マオ、これでチェックメイトだ」
「ルルーシュ、まさかお前は!」

その後、二人は沈黙する。
ただ黙っているわけじゃない。
ルルーシュの思考をマオは読んでいるんだ。

「バカなッ! こいつが失敗したらどうするつもりだったんだ!?」
「そうだな。これはスザクを信じていないととれない作戦だ」

爆弾を解除するにはコードを切断しないといけない。
動いているあのコードをスザクが切った事にすごく驚いた。
さすがスザクだ。

あ然とするマオの腕を掴み、スザクはルルーシュの携帯を操作して耳に当てる。

「咲世子さん、もうOKです。
……はい、ナナリーをお願いします」

ナナリーのそばには咲世子さんがいるのか。
すごく安心してホッと息を吐いた。

「それで勝ったつもりか!」

スザクの拘束から逃れようとマオが暴れだす。
腕を離すまいとスザクは対応した。

「よせ!!」
「離せよ! この父親殺しが!!」

マオの発した言葉に、礼拝堂がシンと静まり返る。
耳を疑った。息ができなかった。
マオは今、何を。

「お前は7年前に実の父親を殺している。
フンッ! 徹底抗戦を唱えていた父親を止めれば戦争は終わる? 子供の発想だねぇ。
実際はただの人殺し」
「違うっ! 僕は!
俺はッ!!」

弾かれたように否定するスザクを見てマオは満足そうに息を吐く。
立ち上がり、ニヤニヤと笑った。

「よかったね、バレなくて。
周りの大人達がみんなでウソをついたおかげさ」

スザクが震えている。
マオの言葉をこれ以上聞かせたらダメだ。そう思ったら体が動いた。
床を這って進む。背もたれになる台さえあればきっと起きれる。
散らばる破片であちこち切っても止まらず、ひたすら説教壇を目指して進む。

スザクの思考を容易に読めるマオはきっと彼を追い詰める。
その前にマオを止めないと!!

「それじゃあ、枢木首相が自決する事で軍をいさめたってのは……?」

動揺しながら呟くルルーシュの疑問に「大ウソだよ。何もかも」とマオが答えた。

「うそ……?」
「し、仕方がなかった!
そうしなければ日本は……!!」
「今更、後付けの理屈かい? この死にたがりが!
人を救いたいって〜? 救われたいのは自分の心だろ!?
それに殉じて死にたいんだよねぇ〜? だからいつも自分を死に追い込む!」
「うわあああああーっ!!」

ランスロットのコクピットで聞いたあの時と同じ絶叫。
行きたかったところにたどり着けて、肘を使って身体をわずかに起こし、説教壇に背中を押し付ける。
全身が震えるほど力を込めて何とか立ち上がり、ひと息、呼吸を整える。

「お前の善意はただの自己満足なんだよ。罰が欲しいだけの甘えん坊め!」

足を縛るロープを解く余裕はない。
跳びはねながら接近してマオに体当たりした。
驚いたマオは転び、ゴーグルとヘッドホンがカチャンと落ちる。
赤い瞳があらわになった。

「ルルーシュッ!!!」

スザクの過去で動揺していたルルーシュの顔が凛と変わる。
紫の瞳が赤色に染まる。

「マオッ!! お前は黙っていろ!!」
「しまった…!!」

黙れというギアスがマオから言葉を奪う。
ごろんと転がり動けないあたしを、ルルーシュはすぐに抱き起こしてくれた。
バタバタと逃げ、扉を乱暴に押し開けるマオが遠く見える。
開いた扉の先、外にスーツを着たC.C.が立っていた。手には銃を持っている。
開いた扉がギィッと音を立てて閉まる。
どうして彼女がここにいるかは何となく理解できた。
マオのことで決着をつけに来たのだろう。

「俺は……俺は……」

床に手をつき、スザクは壊れた人形みたいに何度も呟いている。
ルルーシュはあたしを横長の机に座らせ、手足のロープをほどいてくれた。
服も腕も足も顔も、べったりと血で汚れている。
痛みは無い。まるでハロウィンの仮装みたいだ。
温かい手が優しく頬を撫でてくれた。

「……痛かったな」
「あたしは大丈夫。全然痛くないから。
それよりルルーシュ、今はスザクのところに。
スザクのところに行って……」

ルルーシュの顔が悲しそうに歪む。
今のあのスザクを放っておいたらダメだと分かっているはずなのに、ルルーシュは中々動いてくれない。

「お願い、ルルーシュ。
スザクを助けて」

強く言えばやっと動いてくれた。
スザクの元へ走り寄る。

「……スザク」

声をかけてもスザクは顔を上げない。
ルルーシュはそっと息を吐いた。

「スザク。
やったのか? 自分の父親を」

ギクリと震え、スザクはバッと顔を上げる。
青ざめた顔色は死者のようだ。

「ルルーシュ。僕は……」
「枢木ゲンブ日本国首相は、徹底抗戦を唱えるタカ派を抑える為に自らの死をもっていさめた。
物語は必要だからな。日本にも、ブリタニアにも」
「……ありがとう……」

かすれた声で呟き、スザクはよろよろと立ち上がる。
疲弊しきった横顔は青白く、今にも倒れてしまいそうだ。
それでも瞳には光が宿っていて、戻ってくれた事を実感できて安心した。
緊張の糸がぷつりと切れ、視界が暗転し、あたしの意識はそのまま途切れた。

 
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