24-2 空編

水の流れる音、そして誰かの話し声。

目が覚めて一番に感じたのは冷たいコンクリートの感触。
地面に転がっていて、両手を後ろに縛られている。
両足首も縛られていて芋虫みたいだ。
体に力が入らない。

あたしはどうしてここに?
中庭でルルーシュに電話しようとして、でも繋がらなくて。
次にマオが来て、ルルーシュからまた電話がかかってきて、出ようと思ったら……。

……そうだ、思い出した。
記憶に残る薬品のような匂い。
手足を縛って自分の身動きを封じた相手が誰か気づいてしまった。

どうしてマオが……ここは一体……?
なんとか顔だけ動かすことができて周りを見て、ここがどこか把握した。
薄暗いけど覚えがある。
生徒会入りたての頃、業者さんが来れなくなってスザクとルルーシュと一緒に確認しに行った所だ。
いや違う。ここを見たのはもっとつい最近のはず。いつ見たっけ?
思い出そうとすれば頭に鈍い痛みが走る。

「あぁそれと、これはボクとキミのゲームなんだから警察の駒を使うのはNGだよ。
この前みたいに撃たれるのはイヤだから。
でもさぁ凄いよね、ブリタニアの医学って。
おかげで……アヒャヒャヒャヒャッ!」

マオの声で、だけど普段の彼とは違う言葉遣いと声音に耳を疑った。
なんとか寝返りを打てば、離れたところで電話するマオが見えた。
いつもの人懐っこい笑顔じゃなくて、誰かを踏みにじるのを楽しんでいる歪みきった笑み。
あれが本当のマオなんだ。
ルルーシュみたいに、自分を偽るのがうまい人だったんだ。
無邪気なマオは演技だったのか。

「ねぇルルゥ、あの時のギアスは『撃て』じゃなくて『殺せ』とするべきだったんだよォ。ツメが甘いから妹が……アハハッ!
窮地に立ったね! 危機に陥ったね! ピンチだね〜!」

『ギアス』の単語にビクリとした。
でもそれ以上に聞き流せない言葉があった。
頭をグッと持ち上げれば、マオの向こうに車椅子ごとロープに縛られたナナリーが見えた。

「ナナリー!」
「……!!
その声は空さんっ」

這いながらナナリーの元へ向かおうとすれば、転がる石片に顔を切ってしまった。
熱を帯びた痛みに動けずにいたら、慌てた声を出しながらマオが来た。

「ソラっ!
ジッとしてなきゃダメだよ!!」

病院の時と同じ服を着て、だけどゴーグルを上げていて瞳がよく見えた。
赤々としたギアスの色。
歪んだ笑みじゃなくて、心の底から心配している顔で、マオはポケットを慌ただしく探す。
これも嘘?

「血、血が出てる……っ。
はんかち、ハンカチで拭いてあげないと……!」

いつものマオだ。
少しの血で子どもみたいにうろたえている。
優しいのに、どうしてナナリーをこんな所に?
あんなギュッと縛って、拘束して、誘拐したみたいに連れてきて……。
マオがハンカチを出した時、カシャンと何かが目の前で落ちた。
注射器だった。医者が使うようなやつじゃないけど、注射器だと思える器具。
寒気がゾワッと背筋を駆け、動悸が一気に激しくなる。
 
「うあ……あ……ッ!!」

得体の知れない恐怖が り上がり、目の前が真っ暗になり、まぶたの裏で、忘れていた記憶が映像として再生される。

「イヤァアアアアアア!!!!」

内側がひっくり返ったような気がした。
上下も左右も分からなくなる。

「空さん! 空さんっ!!
空さんに何をしたんですか!?」
「ボクは何もしてないよ!!」
「許しません……!!
空さんにひどいことして……。
お兄さまを悲しませるつもりなら……。
わたしが許しません!」
「人の話聞かないなぁ。
キミ、あんなに怖がってたのによく怒れるよねぇ。
こんな状況だっていうのに」

カチャリ、と拾い上げる音が聞こえた。
頬を優しく拭われ、ビクリとする。

「……よかった。本当にC.C.と一緒なんだ。
これなら、どんなイタイことされても傷ひとつ残らないね」

頭がガンガンと痛み、ひどい吐き気がして気持ち悪い。
ぽっかり空いていた穴が隙間なく埋まったみたいに全部思い出した。
今まで何があったのか、何を忘れていたのかを。
どうしてナナリーがここにいるのか、それも理解した。
湧き上がる怒りが恐怖を消す。

「……マオ!! ナナリーに何する気!?」
「やだなぁソラ、そんな怖い顔しないでよ。
今は何もしないよ。妹にはまだ手を出さない。
だけどもしルルーシュが時間内に来られなかったら……」

マオは喉の奥で笑い、愉快で愉快で仕方ない笑みを浮かべて天井を見上げた。
つられて視線を移せば、天井で箱らしき物が揺れ動いている。

「……なにあれ」

疑問に呟けば、マオが自慢げに答えた。

「爆弾だよ、とっておきのね。
ルルーシュが何もできなくなるような」
「爆弾? ナナリーのいる場所で……?」
「そう!
大事な妹が人質にとられてルルーシュは一人でしか動けなくなる。
その妹が今にも死にそうなら、ルルーシュは一体どう思うだろうねぇ。
クク、最高だよ」

心から楽しんでいる表情にゾッとする。
ふつふつと怒りが湧き、カッと血が上った。

「ナナリーがあんたに何したの!! 卑怯者ッ!!」

許せない────それだけが何度も頭に響く。
マオが呆れた顔でため息をこぼす。
眼差しは見下すように冷たい眼差し。

「ハァ? 卑怯者ってボクのこと?
何言ってるの。 卑怯者はルルーシュだろう?
今ここで話してあげようか。ルルーシュがどれだけ卑怯かってのを。
ボクからC.C.をとったりキミを惑わしたり、たくさんの人間にどれだけひどいことしてきたか。
話そうか? ナナリーに」

マオの脅しにグッと言葉が詰まる。何も言えなくなる。
脅しじゃなくて本当に話しそうだ。

「話してほしくないなら大人しくしてね。
……ん?」

ピクリ、と何かに反応したマオが宙を仰ぐ。
面白くなさそうに少しだけ顔を歪めた。

「あーあ……。一人増えちゃったよ。
何となくで来ちゃうから怖いんだよなぁアイツ。
外に行こう、ソラ」

ヒョイッと軽々抱き上げられる。
マオがスタスタと歩き、ナナリーがだんだん遠ざかっていく。

「空さん……っ」
「大丈夫だよナナリー! あたしは大丈夫だから!
んぐ……ッ!!」

大きな手で口を塞がれた。

「喋らないで。
暴れるのもダメだよ。
じゃないとまた眠らせるからね」

寒気がゾワッと背筋を駆け、恐ろしさに身が縮む。
塞がれた口の奥で歯がぶるぶると震えていた。
ここを出る前に一瞬だけナナリーが見えて、その表情に震えが止まる。

────ああ、しっかりしなきゃ。
ルルーシュとスザクがここに来るまで、あたしがナナリーのそばにいないと。

まぶたを閉じ、体の力を抜き、塞がれていない鼻だけで呼吸する。
大丈夫だ。だって女の人が言っていた。
あなたの心はどこへでも行けるって。
今ならできる。大丈夫だ。
体から抜け出る様子を強くイメージして、ナナリーのところに行きたいと、強く願う。
感覚が、頭の先から爪先まで消えていく。
幽体離脱に成功した実感が湧けば、聞こえなくなった水音が聞こえてきた。
閉じた視界を開けばナナリーの背後に立っていた。
ホラー映画みたいな登場の仕方だな……と思いながらナナリーの前へ回り込む。

「ナナリー」

声をかければピクッと反応し、恐る恐る顔を上げる。

「空さん……?
連れて行かれたんじゃ……」
「体はね。
あたしは行きたいって思った所に幽体離脱して行けるんだよ」
「ゆうたい、りだつ?
ふふ……空さんってすごい……」

今にも泣きそうな顔で、だけどナナリーは笑みを浮かべた。

「空さん、わたしは平気です。
わたしのところじゃなくて、お兄さまのところに行ってくれませんか」
「どうして……」
「お兄さまは絶対助けてくれます。だから怖くありません。
それよりも、お兄さまに空さんの顔を見せてあげてほしいんです。
お兄さまのほうがずっと不安だから」

強がりじゃない。ナナリーは心からそう思っている。
不安を無理に隠している表情じゃなかった。
気づかなかったナナリーの芯の強さを目の当たりにして、心が晴れていくように感じた。

すごいな。
言葉だけで大丈夫だと思わせてしまうんだから。

「……そうだね。ルルーシュは不安だと思う。
ナナリーがすごく、すごく大事だから。
でもルルーシュも大丈夫だよ。
だって今、そばにはスザクがいるはずだから」
「そうですね。スザクさんがそばにいたら絶対大丈夫です」

ナナリーが明るく前向きに笑い、あたしもつられて表情が柔らかくなる。
ふたりがここに来るまでにあたしが出来ることは、ナナリーの上の爆弾をどうにかする為の手伝いだ。

「ナナリー、あたし天井を見てくるね」
「はい。お願いします」

天井を見据え、行きたいと思えば瞬間移動できた。
目の前に現れた爆弾は振り子時計のように動いている。
はみ出たコードは赤、白、青の3本だ。
このどれかを切ればタイマーは止まるだろうけど、これを切るのはかなり困難だ。

「ナナリー!」
「ナナリー!!」

下からルルーシュとスザクの声が聞こえた瞬間、グイッと心が引っ張られた。
目の前が真っ暗になり、叩きつけられるように全ての感覚が戻る。
乱暴な強制送還にグッと喉が詰まり、咳が出て、血の味がするほど咳き込んだ。

「ソラ! 大丈夫っ!?」

視界は涙でぼやけ、今どこにいるか分からなかった。
大きな手が背中をさすってくれる。
呼吸が楽になってやっと喋れた。

「マオ……」
「大丈夫だよ。ボクがソラのそばにいるからね」

優しい声に、これが嘘でも演技でもない事に気づく。
どのマオも本当のマオなんだ。
パタパタと小走りで離れていく足音だけが聞こえた。

「どうして……」

息を吐くように言った声はマオには届かなかった。
数えきれないほどたくさんの『どうして』が頭に浮かんだ。


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