ポツ、ポツと雨が降り出す。雨は次第に大きくなり豪雨となった。
鯉伴は縁側から空を見つめ目を細める。軽くため息を吐きその場から立ち去ろうと振り向いた。その時、鯉伴の目に山吹乙女と狂骨が目に入った。山吹乙女は鯉伴に気づくと微笑みながら近寄ってくる。だが、狂骨はその場から走り去った。

「おはようございます。鯉伴様。」
「あ、ああ。おはよう。乙女、お前さん、怒ってねぇのかい?」
「え……?私、貴方に怒ってましたか?あら?」

鯉伴は山吹乙女の言葉に愕然とした。山吹乙女の記憶は宵のことを忘れるのではない。宵が関わった事全てを忘れてしまうと気づいたのだ。鯉伴は山吹乙女が見えない右手で拳を握りしめる。

「何か、貴方に思う事は合ったような気がします。けど、その原因を忘れてしまうような些細な事だったんですよ。鯉伴様、怒っていた私を許してくれますか?」
「………許すもなにも、俺が乙女を怒らしちまったんだ。乙女は俺を許してくれるか?」
「はい。もちろん。」

山吹乙女は満面の笑みを浮かべる。それに、鯉伴は叫びそうになる己を抑えた。本当は、鯉伴と山吹乙女の間の些細な喧嘩などではない。大事な、大切な存在を、忘れているのだと。そのせいで起こってしまった喧嘩なのだと叫びたい。

「乙女…、1つ、質問をしてもいいか?」
「ええ。どうしました?」
「俺の知り合いの話だ。
そいつは、見た目は弱っちいのに、一度決めた事は曲げない位強情なんだ。けど、今にして思うとそれも当たり前だったかもしれない。そいつは、片親でしかも母親しかいなかった。母親を自分が護らなければならないと感じてたのかもな。だからかどうかは分からないが、そいつは甘え方も我慢の解き方も弱音の吐き出し方すら上手く出来なかった。
少し、時が経った頃だ。そいつの母親に命の危機が訪れた。」

鯉伴はそこで一旦話を止めた。山吹乙女の真剣な目に軽く微笑み髪をすくいキスをする。

「あ、なた?」
「少し懐かしくなって、な……。」

優しげな目を鯉伴は山吹乙女に向けた。

「それで、そいつは自分の母親を助けたんだ。あるものを代償にして。」
「あるもの?」
「記憶だ。そいつに関すること全てを忘れてしまってんだ。忘れてるならまだいい。そいつのいた所に別の奴がいるんだ。全て書き換えられていて、本当の事の様にしか感じない。それに、そいつの母親はそいつの事を一切覚えられねぇんだ。俺はそいつが母親に名前を聞かれている所を見ちまった…。しかも、それが2回目っていうじゃねぇか。そん時のそいつの顔が俺の頭から離れない。そいつにとって、自分の命よりも大切な存在を助けたのに、そいつは母親に名前すら覚えられてねぇんだ。」

鯉伴は俯くと近くにあった柱を殴った。鈍い音を立て木片が微かに落ちる。

「俺はそいつに、慰めの言葉を言ってやることも出来ない。ただ、記憶を失った母親の近くにいることしかできないんだ!
なぁ、乙女。俺はどうすれば良かったんだ?どうすればいいんだ…?」

山吹乙女は鯉伴の手から血が伝うのを見た。それは、殴ったところからの出血ではなく鯉伴の爪が握りしめ自身の掌にくい込んでいるからだ。山吹乙女は鯉伴に近づきそっと血が伝う手を両手で包み込んだ。ゆっくりと鯉伴の手を解していく。

「傍に、いてあげてはどうですか?」
「傍、に?でも、俺はもう……。」
「お母様の方ではなく貴方の知り合いの方にです。その方はきっと、とても寂しいのではないでしょうか?苦しいのではないでしょうか?
……独り、孤独に戦っている。その方は、弱音も吐けないと貴方は言っていました。それならば、貴方がその方に弱音を吐かせなければ。」

山吹乙女は微笑みながら鯉伴をじっと見つめる。鯉伴も山吹乙女を見つめ、目を閉じた。深くため息を吐き再び目を開けるとその瞳は決意を現していた。


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