短編 | ナノ




恋は盲目


私は目が見えない。

先天性のもので、産まれたときからそうだったらしい。
父親は私が母の腹の中にいる時、戦場で亡くなったそうだ。
産まれた子供が盲目だと分かると母は私と自分の母親、つまり私の祖母を置き去りに何処かへ消えた。
そのまま二十数年、戻ってくることはなかった。

何も映さない真っ暗な闇のせいで塞ぎこみがちだった私を変えてくれたのは祖母だ。
ある日祖母は私に紅を刺し肌に粉を乗せ開かずずっと伏せたままの瞼に色をつけてくれた。
それを自分で見ることは叶わなかったが、祖母は綺麗だ綺麗だと大袈裟なほど褒めてくれた。
祖母は嘘をつかない。私が見ることのできない世界をありのままに言葉にして伝えてくれる。
だからもしかしたら、本当にそうなのではないかと思えるようになった。

それから祖母は私に毎日化粧をし、外に連れ出してくれた。
そして商店街を歩き、橋を渡り、祖母の友人が営む茶屋でお茶をする。それが日課になった。

今日も、二人で出掛けるものだと思い玄関に立ち杖を握っていた。
けれど祖母は玄関から出ようとはせず、私の背中を押しこう言った。


「今日は一人で行きんさい。道は分かるだろ?私もいつまで生きていられるか分からない。だからアンタも自立せにゃならんよ。大丈夫、江戸の人は親切だから。」


盲目の私を一人送り出すことは、祖母にとっても不安だったのだろう。背中に触れる手が震えていた。
私も不安がないかと問われればもちろんある。それでも祖母の言う通り、この目で生きていく術を身に付けなければならないと思った。

祖母の気配を背に、私は歩き出した。カツカツと杖で地面を突きながら、ゆっくりゆっくり進んだ。
耳に入る人の声を避けながら商店街を進み、いつもの茶屋に辿り着いた。
そして些かの達成感を感じながら、いつものように外の長椅子に腰掛けお茶を飲んだ。


「隣、いいか?」


不意に横から掛かった声に空を見た。
その人は続けて「店の中が満席でよ」と言ったが、店の中から人の声はしない。
何故嘘をつくのだろうと疑問に思いながらも、私は「どうぞ」と手をひらりと返した。


「…お前……目が見えねぇのか?」


少しばかり渋い声の持ち主は遠慮がちに問う。
はい、と答えるとその人はポツリ「そうか」と呟き、カチッと音を立てた。ふわりと鼻孔に煙が通って煙草に火を付けたんだと分かった。


「時々…ここで、見かけてた。今日は…一人なのか?」


初対面なのに、よく喋る人だなと思った。


「はい。お恥ずかしい話ですが、初めて…一人で歩きました。」

「……怖かったか?」


目が見えない人間に対して興味を示す人は珍しい。大抵の人は気を使い避けていくだけだ。
この人の声色から冷やかしで聞いているのではないと分かるし、元々盲目の人と何か縁でもあったのだろうか。


「怖いですよ。ですが、目が見えない分…他の五感は鋭いんです。例えば貴方に言われずとも貴方が発する、音や声や匂いで貴方が刀を提げたお侍さんだと分かるし…細身の長身で、歳は…30くらいですか?間違っていたら、ごめんなさい。」


瞼を伏せたまま首を少しだけ隣へ向けてそう言った。その人が一瞬押し黙ってしまったから失礼なことを言ったかもしれないと不安になる。


「すげェな…。だいたい、合ってる。」

「良かった。すみません…祖母以外の人と話すのは久しぶりで…少し、楽しくなってしまいました。」


頬はうまく上がっていただろうか。笑顔を作ったつもりだったが、自信はない。


「…これからも、ここに来るか?」

「…?はい。」


それなら、と続けた声は少し緊張の色が見えて、釣られて私の心臓もトクリと鳴った。


「また、話さないか?ここで。」

「…、いいん、ですか?」

「毎日は来れねぇけど、…また、…会いたい。」


驚きと嬉しさのあまり言葉がうまく出てこなくなった。


「わ、わりぃ、初対面でっこんな、困るよな。忘れてく
「会いたいです。」


私が黙ってしまったせいでその人はひどく慌てた。それを遮るように考える暇もなく出てきた言葉。本心だ。


「話したいです。また。」


不思議。
目が見えないことは私にとって当たり前だった。子供の頃はそれを呪いたくなったこともある。けれど大人になるにつれ全てを受け入れてきたつもりだった。

なのに、この人とたった数分言葉を交わしただけで、思ってしまった。
目が見えたらいいのに、と。

そしてその人は再三断ったのに私の分まで会計を支払い、更には家まで送ると申し出てきた。


「駄目です。今日は私の自立への第一歩なんです。お心は嬉しいですが、今日は…ここで失礼します。」

「そうか…分かった。気を付けろよ。」


その人の声の方へ頭を下げ、また来た道に杖を突きながら歩き出した。
その人は逆方向に歩き出したようだった。
けれど暫くすると、草履ではない革靴の特徴的な足音が後方で聞こえて、私は思わずクスリと笑ってしまった。

知らないふりをして家の戸を開けた。
心配そうにすぐ祖母が駆けてきた。

そして私は溢れる笑顔を隠すことも出来ずに、今日あった出来事を話した。
祖母はそれを嬉しそうにうんうんと聞き、最後にこう言うものだから、私は初めての感情を抱いて酷く困惑したのだ。


「アンタね、そりゃナンパだよ。」


また会えたら、今度はあの人の事をもっと教えてもらいたい。
見えない目の奥で、見たこともないその人のことをずっと考えていた。


(いつか続きを書きたいです)(いつか)

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