9 りと [ 124/168 ]

大学終わりの午後4時半過ぎ、ようやく一日の全ての講義を終えて今日は晩飯何食おう?…などと考えながら大学を出て最寄駅へ向かおうとしていた時、甲高い声で自分の名前を呼ばれた気がして、瞬時に嫌な予感がした。


「あっ!!りとぉ〜!!!やっと会えた!!!」


声がした方に目を向ければ、見覚えのある女が俺の方へ駆け寄ってくる。高校の頃から割と派手めのギャルではあったが、また一段とゴツめのピアスや明るい髪色で派手度が増したギャルになっている俺の高校の元クラスメイトのチサトだった。


「やばぁい!ほんとにりとだ!やったやった、まじようやく会えたよ、超嬉しい!!」

「は?お前何やってんの?出待ち?きしょ。」

「きしょ言うな!大学前で待ってるってラインしたもん!ていうかライン無視しないでよ!」

「無視されてる、ってことはそういうことだろ。諦めろ。」

「やだぁ!!だって好きなんだもん!!」


高校卒業の時に真剣な雰囲気で告白されたから、俺も真剣に『ごめん』って断ったのに、まだ諦めないだとかなんとか言って今でもしぶとくラインを送ってきやがる。だからもう構ってられないと思い無視し続けている結果がこれだ。

ちなみに俺の隣には大学を一緒に出てきた古澤が歩いている。なのにこいつには古澤の姿が見えていないのか、なんの躊躇いも無く俺の腕に抱きついてきた。そのため古澤はチサトの言動にドン引きしながら俺から二、三歩距離を取り始める。


「あ…、じゃ、じゃありとくん、俺はここで…」

「おう、また明日な。」

「あれ?りとの友達?意外〜、真面目そうな子と連んでんだねー。」

「お前ガチでそろそろいい加減にしろよ?」


俺がどんな友達と連んでようが俺の勝手だろ、とイラッとしながらそう吐き捨てるが、こいつのしつこさは尋常じゃなさすぎて、俺の腕に纏わり付く手を振り払おうとしても一向に離れなくてさらにイラッとする。


「ねえあたしのどこがダメ?あたしそこそこ可愛いほうじゃない?この前も同じバイト先の男に告白されたよ?」


こいつは相当自分に自信があるようで、唇に人差し指を突き刺しながらぶりっ子するように小首を傾げながら上目遣いで問いかけてくるチサトの顔面をジッと見下ろすが、悪いけど『そこそこ可愛い』とか自信持たれてもド派手なギャルはまったく俺のタイプじゃねえんだよな。


「じゃあお前のその今してる化粧全部落としてから同じセリフ言いに来て。スッピンが俺のタイプだったらチューくらいはしてやるよ。」


そもそもこてこてのギャルメイクしながら『あたしそこそこ可愛いほうじゃない?』って言われてもな。お前みたいなやつ結構そこらへんにいるし。と思いながら女に言ったら嫌がられそうなことをわざと言えば、チサトはギュッと俺の腕を握ったまま頷いた。


「……いいよ、分かった。じゃあ今から一緒にホテル行こうよ。……あたし、りとならいいよ。」

「はい?ホテル?なんで?」

「え〜?だってホテル行ったらメイク落としてあげれるし、なんかそういうムード出ちゃったりして。…ねぇ、どう?あたしりとならガチで全然いいよ。」


うわぁ……、なんか急に話ぶっ飛んだな。『チューくらいはしてやるよ』って言ったので調子に乗せてしまったかもしれない。


「俺はべつにお前とそういうのしたくないんだけど。」


男には身体差し出しときゃ食いつくとでも思われてんのかな?と若干嫌な気分になり、少々嘲笑うように言い返せば、チサトはムッと拗ねるように唇を尖らせた。

…はぁ。もーめんどくせぇなぁ。なんで俺なんだよ、圭介とでもくっついとけよ、お前ら結構お似合いだぞ。


だんだん喋るのもだるくなってきてでっけーため息を漏らせば、チサトはしゅんと落ち込むように大人しくなり、「そういやりとって高校の時好きな人居たよね」ってボソボソと覇気のない声で昔話を持ち出してきた。


「…あぁ、そういやそんなこともあったな。」

「それって結局誰だったの?付き合った?」

「ううん、べつにそういう対象じゃなかったし。」

「えぇ?なにそれ?じゃあどういう対象?」

「ただ単に会って喋ったりしたかっただけ。」

「それだけ?下心とかなかったの?」

「んー…、まあちょっとはあったかもな。」


そんな話をしてどうしたかったのか、チサトは「ふぅん」って頷きながら俺の腕からようやく手を離した。


「その人とは今どうなったの?」

「べつにどうもなってねえし今も普通に仲良いけど。」

「…えぇ〜意味不明なんだけど。りとがさっさとその人と付き合ってくれてたらあたしだって早くに諦めついたのに。」


そんなこと今更俺に言われたって知らねえよ。それはお前の都合だろ。


二年前の俺の高校時代、年上の兄貴の恋人である航の事がやたら魅力的に見えた。一緒に過ごす時間は楽しくて、航の隣で楽しそうにする兄貴の事を羨ましく思った。ずっと兄貴の背中を見ながら育ってきたから、俺には無くて、兄貴が持ってるものは全部羨ましく思えて、同じように航のことが欲しくなってしまったのかもしれない。

でも今はもうそんな気持ちはだいぶ薄れた。兄貴と同じ大学に受かったから、それが結構自分の中で誇らしくて、満足したのかもしれない。いつも俺の前を歩く兄のでかい背中があったから、自分がちっぽけに見えていたけど、今はもうあんまりそんなことも感じなくなった。まあ多分丁度思春期が終わった時期でもあったんだろう。


チサトとの昔話でちょっとしみじみした気持ちになっていた俺は、ハッと足が止まっていた事を思い出して徐に足を動かし、前へ進み始める。


「…なんか、しつこくしちゃってごめんね?あたしほんとにりとのこと好きだったから、会いたくて押しかけちゃった。もうこういうことはしないからさ、たまにみんなでご飯行く誘いくらいは無視しないで来てよ。」

「まあ気が向いたら。」


しつこい女友達だったけど、自分のしつこさの自覚くらいはあったのか、反省するような態度で謝ってくれたからまあ許してやろうと思う。

「じゃああたしはこっちから帰るね」って、案外あっさり帰ってくれるようで寂しげな顔をして手を振られたから、俺も軽く手を振り返してやる。まあそこまで悪いやつでもないから、俺は別に嫌いではないし、飯くらいなら行ってやっても良いかと思う。気が向いたら。


気を取り直して、今晩何食べようかなと晩飯の事を考えながら再び駅を目指して歩こうとしていた時、俺の横にスッと背の高い男が並んだ。びっくりして軽く身を引きながら見上げるとそれは見慣れた俺の同居人で、「お前にも好きな人って居たんだな?」ってニタニタ笑いながら俺を見下ろしてきた。


「うわ最低、盗み聞き野郎。」

「歩いてたら勝手に聞こえてきたんだっつーの。まあ内容が内容だけに若干聞き耳立てたけどな。珍しくりとが女の子と居るし。りとが好きになる子ってどんなタイプなんだ?普通に興味あるわ。」

「え〜恥ずかしいから内緒〜。」

「おぉ、なんか反応がガチっぽいな。可愛い?その子の写真とかねえの?」

「拓也にだけは言いたくねえわ。」

「おい、なんでだよ。もう昔の話なんだろ?」


やたら興味津々でグイグイと聞いてくる拓也が鬱陶しくて、先にスタスタと駅に向かって早足で歩いた。なんで拓也にだけは言いたくないかって?そりゃ被ってるしな。好きだった相手が。しかも兄貴の恋人で男。普通に考えて爆笑もんだわ。

傷の舐め合いでもするか?でも俺はべつに自分が失恋したとかそういう捉え方はしてねえしな。そもそも最初から兄貴らの関係邪魔するつもりもなかったし、ちょっと航にちょっかいかけたかったってくらいだし。


無意識にどんどん拓也を置いて歩いていたから、駅に着き、改札を抜けてホームで電車を待っていた頃に俺に追い付いた拓也が「りとごめんって、怒んなよ」って謝ってきた。いやべつに怒ってはいねえよ。まあ盗み聞きはうぜえけど。


でもそれを言い返す気分でも無くて拓也の声を無視してたら、「なんか飯でも食って帰るか?奢ってやるよ」って急に俺のご機嫌取りみたいなことを言ってきた。


「え?まじ?焼き肉?」


その発言には秒で反応した俺に、拓也はふっと笑って「お前わざと機嫌悪いふりした?」って呆れた顔を見せる。


「いや拓也がうざかったから無視してただけ。」

「あー…ごめんって。もう聞かねえから。俺お前とだけは絶対ギクシャクしたくねえんだけど。同居人とギクシャクするなんて家での居心地最悪だぞ?」

「じゃあまあ今回は焼き肉で許してやってもいいけど。」

「でもそんなに好きだった子の話聞いて嫌そうにされると思わなかったわ。お前恋愛とか全然興味なさそうなのに。」

「おい、これ以上その話するなら高級焼肉店行かせるぞ。」

「あぁもぉごめんごめん。」


拓也は俺に謝りながら俺の頭に手を置いてぐしゃぐしゃと髪を撫でてきた。真面目な性格をしているから、まじで悪いと思ってくれていそうだ。…そこまで真面目に謝ってもらわなくてもな…と思いながらも何も言わずに居たら、ホームに電車が到着する。

拓也と電車に乗り込み、入り口付近に並んで立ち、吊り革を掴む。静かに俺の隣に立つ拓也をチラッと盗み見したら、いつもよりちょっと大人しくて、俺にうざがられた事にショックを受けてるように見えてしまった。意外と繊細そうな奴だ。

いつも世話になってる人なのに俺の態度もちょっと悪かったかもしれない、…と今更申し訳なくなってきた。


「さっきはごめん。拓也がうざいんじゃなくて普通に俺の機嫌が悪すぎた。」


確かに、同居人とギクシャクしてしまうと居心地が悪いのは確実だな。と思い直して今更謝ったら、拓也は表情を和らげて「腹減ったし早く肉食いに行くか」って言いながらふっと笑った。


大学生になり、拓也との同居生活を始めて早くも一年が経つ。

絶対俺みたいないい加減な自己中男と生活するのは大変だろうに、よくやるよなぁと拓也には日々感心してばかり。

そんな拓也との同居は居心地が良くて、気に入っているから、拓也との間にトラブルを起こしてしまったりギクシャクしたくないとは俺も思う。

他人に歩み寄ることは苦手だけど、時には歩み寄る事も大切だなと教えてくれる存在だ。

まあ多分これからも拓也には世話かけっぱなしだと思うけど、同居解消されんのは困るからあんまり自己中にはならないように気を付けたい。


……つっても俺だって気が付いたら洗濯とか掃除とかやってるし、これでも一応成長はした方だけど。

まあまだまだ伸び代ありまくりだろうから、地道に頑張ろうと思う。


変わりゆく彼らの様子 りと編おわり


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