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何の予定も無かった俺の一人寂しかった休日も、街中で矢田くんに遭遇してからあっという間に時間が過ぎていき、ショッピングモールを出た頃には早くも日が沈み始めていた。

ヘアワックスを買った俺はこれから矢田くんの家にお邪魔することになり、夕飯も買って帰ろうとちゃっかり航のバイト先であるスーパーに寄り道していく矢田くん。

惣菜や酒をカゴに入れながらキョロキョロと辺りを見渡して航の姿を探す矢田くんだが、先に背後から航の声で「おいるい、なにやってんだよ」と聞こえてきた。


「あっ、航くんいたいた。」

「珍しい組み合わせだな。なにやってんの?」

「街中で偶然会って一緒に店見たりしてた。」

「おお、そうなんだ。なんか買ったん?」

「うん、良いもの買った。航くんが帰ってきてからのお楽しみね。」


航と矢田くんの会話を聞きながら『それ楽しみなのは航ではなくどう考えても矢田くんだよな』と思ってしまったがここは突っ込まずに黙ってよう。

そして『お楽しみ』とか矢田くんに言われた航はどうでも良さそうに「へー」と冷めた返事をしている。もうこいつ矢田くんの行動完全に分かりきってそうだなぁ。


「このあとは家帰ってクソカベに似合うヘアスタイル探しする。」

「なんだそりゃ。」

「あ、つーことで航、家お邪魔するわー。」

「はいはーい。ごゆっくりー。」


これまた航は俺のヘアスタイル探しの話にもどうでも良さそうに返事をして、手を止めていた仕事を再開させた。あいつが真面目に働いてる姿はより一層大人っぽく見える。返事がいつもより無愛想なのは、多分バイト中だからなんだろうな。


スーパーを出てからの矢田くんは航の顔を一目見れたからかさらに機嫌が良くなっている。一緒に住んでて毎日顔を合わせてるはずなのによくもまあ飽きずにずっと愛情ダダ漏れの態度で居られるなぁ…と感心してしまった。


それから数分歩いて矢田くんと航の家にお邪魔すると、俺はダイニングテーブルの椅子に腰掛けるよう促された。さっそく矢田くんは俺に似合うヘアスタイル探しに付き合ってくれるようで、薬局で買ったワックスをテーブルに置く。


まず初めに真正面から容赦無く顔面までビシャビシャになるくらい前髪に霧吹きで水をかけてきた矢田くんは、その後片手でグイッと雑に俺の前髪を上向きに流すように上げてきた。


「んー…、どうだろ。似合うかなぁ?」

「あの…、鏡置いてもらえません?」

「あとでな。」


サラッと俺のお願いは聞き流され、矢田くんはひたすら手櫛で俺の前髪を上に流している。絶対間抜けな姿になっているであろう自分が簡単に想像できてしまいちょい恥ずい。


「前髪ちょっと切っていい?」

「ええっ…!」


これまた突拍子も無くそんなことを言い始めた矢田くんに動揺していたら、矢田くんは一旦どこかに消えていき、ハサミを持って戻ってきた。


「ちょっとだけ。」


えっ、ちょっ…、『ちょっと』とは?
何センチが『ちょっと』なのでしょう…???

…と無言でびびって焦っていたら、矢田くんの手によって『チョキ』と切られた俺の前髪がハラリと落ちていく。

チョキ…、チョキ…、チョキ…、

パラ……、パラ……、パラ……とテーブルの上に散らばる俺の前髪。うわ、なんか若干視界がスッキリしてて怖いんだが…?まあ前髪くらいならすぐ伸びるしべつに良いけどさ…。


「うん、これくらいの方が多分セットしやすい。」


矢田くんは手櫛で俺の前髪を整え、納得いく長さになったようで、やや短くなった前髪を今度はセンター分けにし始めた。


「おお、似合う似合う。お前デコ出し結構イケんじゃん。」

「…そうすか?…あの、そろそろ鏡置いてもらえたら嬉しいんだけど…。」

「うん、あとでな。」


またもやサラッと俺の願いは聞き流され、再び霧吹きで前髪と顔までびしゃびしゃに濡らされた後、今度はセンター分けにした前髪に形をつけるように手で押さえながら『ブォォォン』とドライヤーの風を当て始めた。

この人毎日航の髪もこんな感じでセットしてんだろうなぁ…だってあいつの寝癖とかすっかり見なくなったもんなぁ…などと勝手に想像していたら、矢田くんは俺の前髪を乾かすのをやめて、先程買ったワックスに手を付ける。

近距離で俺の髪にワックスがついた手で真剣に触れてくる矢田くんに、無意識に息が止まりそうになった。…矢田くん、ちょっと顔近いっす…。イケメンはこの近さでも全然耐えられるどころかドキドキさせてきやがるぜ…。


「おー、いいじゃんいいじゃん、結構似合うよ。お前これからセンター分けでいけよ。」

「いや…、あの、鏡……」


褒めてもらえるのは嬉しいけど、自分が今どんな髪型なのか分かんねえからなんとも言えず、三度目の俺のその願いに矢田くんはようやく鏡を取りに行き、俺に手鏡を渡してくれた。


鏡を持って自分の髪を見てみたら、まだヘアセットは終わってなくて矢田くんの手にいじられている自分の前髪が映る。矢田くんが器用にセットしてくれているから上手くセンター分けにしてもらえてるけど、これを自分でできるか?っていうと、ちょっと自信が無い。


でも、前より遥かに大人っぽくなれてるのかもしれない。「はい、終わり」って矢田くんがセットを終えた後に鏡を持って正面から自分の髪を見てみれば、今までとは違う雰囲気の自分が映っている。矢田くんは前髪だけでなく、髪全体もセットしてくれたようで髪のボリュームが少し増していて、たったそれだけで前の俺とは全然印象が違って見えた。


……うん、良いかもしれない。
ヘアセットってかなり大事だったのかも。
うまくセットできるように、ちゃんと練習しようかな。


「どう?俺は良いと思うけど。」

「…矢田くんがそう言ってくれるならそんな気がしてきました…。」

「だからなんで敬語なんだよ。」

「あの、良ければセットの仕方も教えてくれません?」

「セットの仕方って、べつにそんな教えるような難しいことはしてねえけど。」


そうですか…。やはり自分でも上手くセットできるように練習していくしかなさそうだな。


「矢田くんサンキュー、結構気に入ったかも。俺セット頑張るわ。」

「おう、頑張れ頑張れ。」


…なんだよ矢田くん、今日俺に優しいな。

気に入った甚平パジャマ買えたから?

そう言えばもう数時間、矢田くんと二人で過ごせている自分にびっくりだ。今の俺は、ちゃんと矢田くんと友達っぽくなれてってんのかな。…そうだったら良いんだけど。


「そんじゃ、とりあえずお前に似合う髪型も見つかった事だし、飯食うか。」


矢田くんはそう言ってヘアセットに使った道具を片付けてから、スーパーで買って来た惣菜をテーブルに並べ始めた。続けてグラスと酒が入った瓶も取り出して飲む気満々である。


「はい、お前の梅酒。」

「おー、ありがとう。」


航もモリゾーもなっちくんも居ない、矢田くんと一対一でこんなに長時間過ごしたのは多分初めてだけど、案外普通に二人でも過ごせるもんだなぁ…と思ったのは俺だけかな?

いちいちこんなこと考えなくなるくらいに、矢田くんとの一対一が当たり前になれたらいいんだけどな。


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